004:お試し期間
「私はあなたのような人を側に置いて、とろっとろ……いや、どろっどろになるまで甘やかしたいのです! それこそ、私がいないと生きられなくなるくらいまで! これはもはや私の性癖と言っても過言ではありません!」
「えぇ……?」
マジでこの人は何を言っているのだろう。
無駄にスタイリッシュなポーズを決めながら、東条さんははっきりとそう宣言した。
あまりにも突飛な発言と行動に、俺の頭は一瞬にして冷静になる。
「私と結婚してくださるのなら、あなたを一生養うことをお約束します。あなたが天寿を全うするまで、何一つ不自由はさせません」
「それは……ありがたい話であるように聞こえますけど」
正直話が旨すぎて、このままどこかの宗教に勧誘されるんじゃないだろうかと心配になってきた。
ここまでの話もすべて俺の心を絆すためであり、一種の洗脳行為だった――――のかもしれない。
「もしかして私、疑われてます?」
「……だって、話が旨すぎますから」
「むぅ。ではもう少しちゃんと何故私が稲森君を好きになったのかを説明する必要がありそうですね」
先ほどまでのテンションに戻った東条さんは、自分で淹れたお茶を一口飲む。
「ふぅ……稲森君は、私という人間がどういう性格なのか知ってますか?」
「ちゃんと話したことがないから詳しくは分からないけど……誰とでも仲良くできる明るさがあって、誰にでも優しいってイメージ、かな」
「よかった。ちゃんと取り繕えてたんですね」
彼女は安心したように胸を撫で下ろす。
聞き間違いだろうか。取り繕えていたという言葉をそのまま受け取るなら、普段の彼女は素ではないということになるけれど。
「中学生の頃、私は今と同じように友達に囲まれた日々を過ごしていました」
でも――――実体はまったく違ったのです。
そう告げた東条さんは、顔に不快感を露わにしながら言葉を紡ぐ。
「ある日、彼女たちは私に言ったんです。『お小遣い分けてよ。あたしたち、友達でしょ?』、と」
「あ……」
「あの人たちは、私自身には何の興味もなかったんです。ただの金づる、そう認識されていたんでしょうね。だから高校からは舐められてしまわないよう、常に中心にいられるように努力しました」
ああ、だからか。
「私も、お金目当てに近づいてくるような人たちのことを気持ち悪いと思う人間なんです。だからあなたが親戚から離れた時の心情には共感ができますし、その気持ちが分かるあなたなら、私に対しても下心で近づいてこないだろうと思ったのです」
「……」
「私たち、寄り添えると思いませんか?」
納得しかけている自分がいる。
しかし今の話を受け入れた上で、またさらに引っ掛かる部分ができてしまった。
「けどそれで俺が東条さんとけ、結婚? しようものなら、俺もお金目当てってことになりませんか?」
「私から提案しているのですから、別にいいのです!」
「えぇ……?」
「そもそも私が稲森君のことをお金で釣ろうとしているのですから、むしろお相子ですよ」
そういうものなのだろうか?
いくら説明されてもトンデモ理論にしか思えないけれど、彼女の中では理屈が通っているらしい。
「私は大学を卒業すると同時にお父様から東条グループを引き継ぐことになっていまして。高校大学の在学中に関しましては、すでに簡単なビジネスを勉強がてら任せていただいています。この家もお父様に買っていただいた物ではなく、私が出した利益だけで購入した物なんです」
「え⁉」
「……まあ、お父様を保証人にしたローンでの購入、ですけどね。ただ私が言いたいのは、私は稲森君に一切の不自由をさせない自信があるということです! ――――しかし! 何においても人生は甘くありません! もちろんあなたにもやってもらいたいことがあります!」
「い、一体何を……?」
彼女は一際厳しい顔つきを浮かべて、俺を睨む。
「お仕事を頑張って帰ってきた私を、とびっきり甘やかすことですっ!」
「……ん?」
「帰ってきた私の頭を撫でて、一緒にお風呂に入り、一緒にご飯を食べて、一緒のベッドで私を抱きしめて眠る! これを毎日欠かさずお願いします!」
「あの、雑用とかそういうのは……」
「掃除はお手伝いさんに任せますし、ご飯は絶対に私が作ります。料理は私の欠かせない趣味ですし、手伝ってもらうことはあれど誰にもその仕事を譲る気はありません!」
勢いがすごい。
「強いて一番難しいことを伝えるのであれば……」
「伝えるのであれば……?」
「――――あなたには優しいままでいてほしい、です」
東条さんの目は、まるで眩しい物を見る時のように細められていた。
きっと俺が彼女を見る時も、同じような目になっていることだろう。
あの東条冬季が、この俺に憧れの感情を抱いてくれていた。
事実なはずなのに、やけに現実感がない。
「私はあなたの優しさが欲しいのです。私の命の灯が消えるまで側にいてほしい。そして私と同じお墓に入ってほしいですし、可能なら来世もあなたと共に生きたいと思っています」
「それは保証しかねますけども……」
「現実がどうのこうのではなく! そのくらいあなたへの想いが強いということなんですっ」
あまりに熱がこもっているからか、現実感がないはずなのにさっきから嘘を言っているように聞こえない。
しかし――――俺と東条さんは本当に今まで関わり合いになったことがないし、向こうがどれだけ俺を調べたと言っても、俺から見た東条さんはまだ分からない部分が多すぎるのだ。
「……整理させてほしいんですけど。東条さんは俺のことが好きで、婚姻関係を結ぶ代わりに俺の今後の生活を支えてくれる……と言うことで合ってますか?」
「はいっ、ぜひ私のヒモになっていただきたいと思っています」
言い方が悪い。
「もちろん稲森君は男性としてまだ結婚ができない歳ですし、すぐさま籍を入れるようなことはいたしません。高校を卒業したら籍を入れて、正式な夫婦になります。なのでそれまでは婚約という状態になりますね」
「そうなると……大学進学はどうなりますか?」
「稲森君が行きたいと望むのであればお金は出しますし、行きたくないのであれば家でゴロゴロしていてください。もちろんあなたがどーしても働きたいと言うのであれば、渋々ですがそれもサポートします」
東条さんはとことん自分の側を離れて欲しくないらしい。
俺が働くことで自分との時間が少なくなるのなら、家にずっといてもらう方がいいという考えなんだ。
やはりどこまでも話が旨すぎる。
働かずに、東条冬季という目の保養でしかない美少女の代表と呼べる人間を愛でるだけの人生。
男としては情けないかもしれないけれど、そんな生活に魅力を感じないわけがない。
だけど――――。
「むぅ……強情ですね。もっとすんなり受け入れていただけると思っていました。そんなに私って魅力ないですか?」
「魅力がないわけじゃないんですけど……懸念していることが大きすぎて」
「その懸念とは?」
「いや……まだ恋愛感情もないまま話を結婚まで進めていいものなのかと」
俺は至極当然のことを言ったつもりだったのに、何故か東条さんは目を丸くしてぽかんとしていた。
無意識のうちに何か変なことを言ってしまったのかと焦っていると、彼女は口元を押さえて笑い始める。
「本当に稲森君は可愛らしい方ですね。あなたはこれまで散々苦しんだのですから、もっと欲望に忠実になってもいいはずなのに」
「な、何の話ですか?」
「少し、手をお借りしますね」
東条さんは突然俺の手を取ると、そのまま自身の胸元に引き込んだ。
二つの大きな膨らみが俺の手を包み込み、極限までの柔らかさと温もりを与えてくる。
途端に頭が真っ白に染まった。
後からこの時のことを思い返すと、混乱に混乱が重なり、そこからさらに極大な混乱要因を叩きつけられたことで、脳みそがショートしてしまったとしか考えられない。
「どっ、どうです、かっ⁉」
「ア……ヤワラカイデス」
彼女の胸の柔さは、俺に対する自白剤のようなものだったようで。
思わず本音を漏らした時には、もう遅い。
恥ずかしさや申し訳なさで頬が熱くなり、慌てて手を引っ込める。
「これでも……駄目ですか?」
「っ……」
東条さんは俺以上に頬を赤く染め、下手すれば頭から湯気が立ち上っているような錯覚すら見えるようだった。
これだけの羞恥心を抱えながらも、東条さんは俺を引き込むためだけに全力でアピールしている。
一体何が正しいのだろうか?
男として、稲森春幸として、どうすることが正解なのだろう。
「――――時間をくれませんか?」
「え?」
「友達からとか、別の形でもいいので、俺が東条さんを好きになるための時間が欲しい……です」
俺のためにここまで体を張った彼女の覚悟のようなものを、俺は汲まなければならない気がする。
この場で結論を出すことは、できないけれど。
「――――なるほど、稲森君の気持ちは分かりました。では、一カ月のお試し期間から始めるというのはどうでしょう?」
「お試し、ですか」
「はい。一か月の間、先ほど私が提示した生活を一部制限をかけて体験してもらいます。その上でこの先も続けたいと思ってくださった時は、晴れて婚約していただく……という形で」
東条さんの提案を聞いて、俺は一旦胸を撫で下ろす。
一か月間。それだけの時間があれば、きっと俺の醜い部分も見えてくるはずだ。
幻滅されるなら、俺の中の希望が膨らむ前がいい。
ここまで頭を捻ってもらった上で、これをさらに断るというのはさすがに酷のように思える。
落としどころにするのなら、きっとこの辺りだ。
「じゃあ……それでお願いします」
「はいっ! こちらこそ!」
そうして、東条さんは今日一番の笑顔を浮かべた。
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