003:生きていてくれることが

 空腹という要素も強いんだろうけど、それ以上に東条さんの肉うどんは絶妙だった。

 つゆの濃さもしょっぱ過ぎず、どちらかと言えば優しい味なのに、ニンニクなどを使った強い旨味のある料理以上に箸が止まらない。


「気に入っていただけたようで何よりです」

「おいひいですっ」

「ふふっ、ゆっくりで大丈夫ですから。落ち着いて食べてくださいね」


 そうは言われても、箸が止まらないのだから仕方がない。

 結局、五分もかからない内に完食してしまった俺は、名残惜しさを感じながらどんぶりをテーブルへと戻した。

 

「ふぅ……ごちそうさまでした」

「はい、お粗末様でした。食後のお茶を用意してきますね」

「何から何までありがとうございます」

「いえいえ。したくてやっていることですから」


 こんなに優しい人がこの世界には存在していたのか。

 あまりの温かさに、思わず目頭が熱くなってしまう。


「粗茶ですが、どうぞ」

「ありがとうございます……だけど俺そろそろ――――」

「今浴槽にお湯を張っているので、時間が来たらお入りください。肉体労働で汗もかいていると思いますし、このまま寝ては稲森君が明日気持ち悪い思いをしてしまいますから」

「え? あ、はい。お構いなく……って」

「寝床の方も用意してきますね。稲森君は敷布団派ですか? それともベッド派ですか? もし枕が変わると寝られないというタイプでしたら、使いの者にご自宅まで取りに行かせますけど」

「ちょ……ちょっと待ってくれ!」

「はい?」


 首を傾げ、東条さんはきょとんとした顔を浮かべる。

 まさしく何を言っているのか分からないと言った表情だが、分からないのはこっちの方だ。


「えっと、気のせいか? もしかして、東条さんは俺が君の家に泊まっていくと思ってる?」

「はい。最初からそのつもりで準備してましたけど」


 訳が分からない。

 もちろん俺は帰らせてもらおうと思っていたし、そもそも長居するつもりはまったくなかったのに。


 若い男女が二人きりで夜を明かす。

 例えそこに間違い・・・がなかったとしても、褒められた行為ではないはずだ。


「――――あ、そうでしたね。私ったら勝手に先走ってしまって……混乱させてしまい申し訳ありません」

「いやあの、どういうことですか……?」

「先にお話ししておきたいことがあるので、まだ少しお時間をいただけませんか?」


 まったくもって何が何だか分からないが、説明してもらえると言うのであれば聞くべきか。

 そう思った俺は一旦立ち上がろうとしていた腰を落ち着けて、ソファーに深く座り直す。


「可能ならもう少し距離が近づいてからと思っていたのですが……すべてをお話させていただきますね」

「っ……はい」


 東条さんがあまりにも神妙な顔つきになるものだから、思わず俺も生唾を呑み込んでしまった。

 妙な緊張感に包まれる中、彼女は俺に向かって深々と頭を下げる。



「私と、結婚していただけないでしょうか」


 

 ――――はい?



「そ、それはどういう……」

「経緯からちゃんとお話しいたしますね」


 混乱がさらに濃くなった俺を無視し、東条さんは話を続けようとする。

 どことなく、本当にどことなく、ましてや気のせいかもしれないが、彼女自身が酷く動揺しているように見えた。

 テンパっているような、照れているような。

 顔も赤くなっている気がするというか、目が泳いでいるように見えるというか。

 ともかく平静ではないことが、彼女の様子からは窺えた。


 もしかして、しれっとした態度で告げたように見えたが、相当緊張していた――――とか?


「実は、私は今日までずっとあなたのことを見ていました」

「へ?」

「今日あなたのバイト先で出会ったのも偶然ではありません。私の実家である東条グループの力を借りて情報を集め、あなたの職場を知ったからこそ私はあの場にたどり着けたのです」


 彼女の話が、すんなりと入ってこない。

 何故? どうして? が先行して、想像やこじつけができないままでいるからだ。


「……ずっと、気になっていたのです。日に日に疲れ、やつれていくあなたが。ご友人から声をかけられてもその誘いに乗らず、毎日授業が終わると同時に学校を出てましたよね? 昼食も菓子パン一つだったり……それがどうしても、気になりまして」


 東条さんは、一言一言確かめるように言葉を紡いでいた。

 先ほどまでとは打って変わって、羞恥や照れはどこにもない。

 どちらかと言えば、自身の悪事を母親に伝える幼き子供のような印象を覚える。


 わずかに冷静になってみれば、東条さんのしたことはまともとは言えない。

 相手が相手なら、ストーカー認定されてもおかしくないのだから。


「そして……あなたの身に起きたことも、すでに私は知っています」

「っ⁉」


 東条さんは、そこからこう話を続けた。 


 高校に入学する直前。稲森春幸の両親の車が居眠り運転のトラックに突っ込まれ、二人はその場で即死。

 トラック自体は両親の車を吹き飛ばしただけでは飽き足らず、近くにあった電信柱に突っ込んだ結果、運転手も病院に搬送される段階で亡くなってしまった。

 稲森幸雄に残った物は、運転手が働いていた会社からの慰謝料と、両親がコツコツ溜めていた財産。

 しかしかなりの額になったその財産たちを狙い、親戚が稲森春幸を引き込もうとすり寄ってきた。

 稲森春幸はそれを円滑に拒否するために、学費以外の財産をすべて渡して、バイトで生活費を稼ぎながら一人暮らしをしている――――と。


「全部……知ってるんですね」


 俺の過去については、別に、好き好んで言うことではないと思っていたから黙っていただけだった。

 だから知られていたところで怒りを覚えたりはしない。

 だけど、俺の汚点を見られたことで、幻滅されたんじゃないか――――とか。ガキの癖に見栄を張って馬鹿な奴だな――――とか。

 そんな風に思われていたらと想像してしまい、途端に不安が込み上がる。


「……私が知ったのは、そういった過去だけではありません」


 彼女は俺に気を使いながら、そっと手の甲に自分の手を重ねてきた。

 俺よりも体温が低いらしく、東条さんの指は少し冷たい。


「私はあなたを見ている中で、あなたの優しさを知りました」

「優しさ……?」

「はい。コンビニのバイトでは同僚のミスを庇い、交通誘導のバイトでは自分も疲れているのにも関わらず、腰の悪い作業員の支えになってあげていました」

「そんなの、別に大したことじゃ……」

「他にも知っていますよ? 電車では妊婦さんやお年寄りの方に絶対席を譲りますし、荷物が重くて困っているお婆さんを背負って信号を渡る姿は、ここ半年ほどで二回は目撃しました」


 半年前って。一体いつから俺を見ていたのだろう。

 怒りはしないが、さすがに少しだけ怖くなってきたな。


「あなたは自分が毎日苦しく不便な生活をしているはずなのに、困っている人がいたら迷うことなく手を伸ばすことができる。私はあなたのそんなところに惚れ込んでしまったのです」

「俺は……当然のことをしただけで」

「その当然のことが当然のようにできる人を、私は愛おしく思ってしまうのですよ」


 そう告げて微笑む彼女から、月明りのような優しい光を感じた。

 どこまでも綺麗に整った顔と、日本では中々見ることのできない銀色の髪。

 神秘的な雰囲気を纏う彼女は、"女神"という言葉がもっとも似合っていた。


『人を助けることができる人でありなさい』


 両親が残したこの言葉を、俺は二人がいなくなった今でも守っていた。

 そして俺がそういう人間であろうとしたからこそ、親戚たちから獲物として見られてしまったのだろう。


 もしかしたら俺の人生は間違っているのかもしれない――――。


 そんな風に考えたことがないと言ったら、それは嘘になる。

 だけど東条さんが肯定してくれただけで、不思議と安心することができた。

 彼女の言葉には、何かそういった重みがあるような気がする。


「東条さんみたいな人にそんな風に言ってもらえるなんて……何か、生きててよかったって思えます」

「私も稲森君が今ここで生きていてくれることが、すごく嬉しいです」


 本当にこの人は女神様なのかもしれない。

 酷く照れ臭くなった俺は、それを誤魔化すためについつい頬を掻いた。


「では――――私と結婚してくださいますか?」


 ――――それとこれとは話が違うかもしれない。




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