002:タワーマンション
「あの、申し訳ありません。私のせいで……」
「いや、大丈夫ですよ。嘘をついて働いていたのは俺ですし、その罰が当たっただけです」
現場をあとにした俺は、東条さんを家まで送ることにした。
時刻は深夜を回りそうだし、女子を一人で帰らせるわけにもいかない。
「大事にならなかっただけマシですよ。東条さんは気にしないでください」
「そういうわけにもいかないですよ……だって稲森君は私を助けてくれたのに、恩を仇で返してしまったのですから」
彼女は酷く落ち込んだ様子で、顔を伏せる。
ここまで気にされるとは思っていなかったから、俺もどう言葉をかけていいかが分からない。
「――――そうだ、稲森君は夕食はもう済ませましたか?」
「え? ああ、いや。これから食べようと思ってたけど」
「それなら私にご馳走させてくれませんか? そんなことで償い切れるとは思っていませんけど、せめて助けてもらった方の恩だけは返させてほしいと思いまして……」
本当に気にしなくていいのに――――と言いたいところだったが、夕食のことを想起させられただけで盛大に腹が鳴ってしまった。
学校では弁当代わりに菓子パンを一つ食べただけで、それ以来まだ何も食べていない。
集中していたからこそ気づかなかったが、自覚してしまった途端腹の虫は治まることを知らずに鳴りまくる。
「ふふっ。どうやら少しは恩返しができそうですね」
「うっ……その、できればお願いしたいというか」
「ええ、もちろんです。では行きましょうか」
「ち、ちなみに聞いておきたいんですけど、どこに向かうんですか?」
こんな時間ともなると、飲食店はほとんど閉まっていることだろう。
居酒屋やチェーン店はやってるとしても、明るい場所で顔を見られればさすがに未成年バレしそうだ。
俺の質問を受け、東条さんは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「私のお家ですっ」
◇◆◇
「う、わぁ……」
東条さんに連れられるままあれよあれよと言う内にたどり着いた場所には、高層ビルに近い巨大なタワーマンションが建っていた。
現在俺の住んでいるボロい1Kアパートとは、失礼ながら天と地ほどの差がある。
さすがはお金持ち。もう住んでいるところから桁違いだ。
「ふふっ、可愛い反応ですね」
「え⁉」
「ひとまずは部屋まで行きましょう。詳しくはそちらで」
自分の家なのだから当然なんだろうけど、慣れた様子ですいすい入って行く東条さんの背中を、俺は恐れおののきながら眺めることしかできなかた。
俺の足が止まっていることに気づいた彼女は、俺に気をつかうような苦笑いを浮かべながらこちら側に戻ってくる。
「あの……オートロックなので、一緒に入っていただきたいのですが」
「――――あ、あー、そうですよね。これがおーとろっくかぁ」
「先に説明しておけばよかったですね……申し訳ありません」
「こ、こちらこそ無知ですみません」
ぶっちゃけとても恥ずかしい。
両親が生きていた頃は普通のアパートに住んでいたが、そこはオートロックではなかったし、友人にもこういう場所に住んでいる人種はいなかった。
だからこうしてマンションに自動ドアがついていること自体が新鮮だし、そもそもどうしていいかが分からない。
「改めまして、中へどうぞ。ここからまた少しだけ時間がかかりますけど」
東条さんにくいくいと袖を引かれ、俺はマンションの中に足を踏み入れる。
彼女の言う通り、広いエントランスを通ってエレベーターに乗り、そこからさらに最上階まで上がるものだから、思いのほか時間がかかって驚いてしまった。
――――というか、最上階なんだな。
何というか、もはや空気が薄そう。
まずい。こんな感想しか湧いてこない。
「ここが私の家です。自分の家だと思ってくつろいでくださいね」
「それは難しいと思いますけども……」
玄関を開け、家の中に入る。
見た所3LDKか、それ以上の部屋数がありそうだ。
どこもかしこも綺麗で、何となく甘い匂いがする。
「すみません、突然だったものであまり片付いていないのですが……」
「いやいや、むしろ埃一つなさそうっていうか」
「恐縮です。ふふっ、家族やお手伝いさん以外でこの家に来たのは、実はあなたが初めてなんですよ?」
何だか照れ臭くなってしまう事実だなぁ。
しかし彼女の発言で一つ引っかかった俺は、恐ろしいと感じつつもそのことについて問いかけざるを得なかった。
「あの……家族が来るって、どういう意味、ですか?」
「ああ、私は今この家に一人暮らししてるんです。一つの社会勉強というか、自立の経験というか」
この3LDKの家に、一人で?
同い年であるはずなのに、目の前にいるはずなのに、彼女がさらに遠い高見に消えていく。
そしてもう一つの事実。今この家には、俺と東条さんしかいないということ。
現状に置いて、今この事実がもっとも恐ろしい。
「あ、二人っきりっていうのが気になりますか?」
「そりゃまあ……こんな夜に男女が二人っきりってのは健全ではないのでは?」
「大丈夫ですよ、襲ったりしませんから」
いや、それはきっと逆だ。
「ソファーにおかけになってお待ちください。今から
「え? で、出前とかなんじゃ……」
「出前と言ってもこの時間じゃ胃に重たい物ばかりだと思いますし、明日に響くようなことがあったらいけません。それとも何か食べたい物がありましたか?」
「いえ……特にないですけども」
「よかったです。こう見えて私、料理にはかなり自信があるんですよ?」
私服の上からエプロンをつけた彼女は、鼻歌を歌いながらキッチンへと向かう。
俺、今からあの東条さんの手料理を食べるのか。
クラスメイトにバレたらめちゃくちゃ責められるだろうけども。
「嫌いな物やアレルギーってありますか?」
「あ、大丈夫、です」
「もしかして、緊張されてます?」
「も、もちろんです」
さっきからずっとキョドっているのがいい証拠だ。
「ふふっ、私としてはもっとリラックスしていただきたいんですけど、きっとそう言われても難しいのかもしれませんね。とりあえずテレビでも見てお待ちください」
「……分かりました」
借りてきた猫のように足を閉じてかしこまりつつ、恐る恐るテレビのリモコンを手に取って画面をつけた。
そもそも俺の家にはテレビがないため、こうして画面越しに芸能人が話しているのを見るのは久しぶりである。
(……映像めっちゃ綺麗だな)
俺の知っているテレビと比べて、画面はやたらと大きいし彩度のクオリティも桁違い。
東条さんはこの画面で映画などを見るのだろうか?
それは少し羨ましいと思ってしまう。
「――――はい、できましたよ」
「え?」
ボーっと画面を見ていたら、気づかぬうちに二十分ほどが経過していた。
もしかすると疲れのせいで意識を失っていたのかもしれない。
慌てて姿勢を正して顔を上げれば、ソファーの前に置かれたテーブルに二人分のどんぶりが置かれた。
「肉うどんです。本当はもっと手の込んだ料理を召し上がってほしかったのですが、かなりお疲れのようで長く待たせてはいけないと思い、少しだけ質素になってしまいました」
すみませんと謝る東条さんを前にして、俺は全力で首を横に振る。
ただの肉うどんと侮ることなかれ。
牛肉が申し訳程度に乗っているなんてことは一切なく、表面が埋め尽くされるくらいにはちゃんと入っている。
さらにその上に乗ったネギがいい彩りを生んでおり、つゆと肉の香りが食欲を限界にまで連れ去ろうとしてきた。
「本当に、いいんですか?」
「ええ、どうぞ召し上がってください」
手を合わせて食事前の挨拶を終えた俺は、渡された割り箸を手に取り、暖かな湯気を立てる肉うどんに口をつけた。
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