【2/10発売】今日も生きててえらい!と甘やかしてくれる社長令嬢が、俺に結婚してほしいとせがんでくる件 ~完璧美少女と過ごす3LDK同棲生活~

岸本和葉

001:銀髪美少女とクビになった俺

 金、金、金――――。


 生きていく上で金が必要だなんて話は全人類が知っているだろうし、俺もそれは重々分かっている。

 だからこうして学校があった日の夜も働いているのだ。

 生きていくために。

 

 家賃、光熱費、食費、その他学校で必要になった物。

 両親を事故で亡くした俺は、それらすべてを自分で稼がなければならない。

 俺を引き取ると言ってくれた親戚の家に世話になっていれば、こんな苦労はしなくて済んだだろう。

 ただ、両親が残してくれた遺産目当てに媚を売ってきたあの人たちを、俺は信用できなかった。

 彼らは俺の両親の死を悲しむどころか、悲しむ表情の裏で喜んでいたのだ。

 そんな人たちとは、例え金を払ってでも一緒に暮らしたくない。

 だから俺は、両親の遺産から学費だけ抜かせてもらい、残った金をすべて親戚たちにばら撒いた。

 二度と俺に関わらないという条件付きで――――。


「おーい坊主、休憩入っていいぞ」

「はい!」


 俺が今働かせてもらっているのは、道路の工事現場だ。

 駅前の繁華街付近での作業になるため車の通りもそれなりに多く、事故を起こさないための交通誘導係を任されている。


 もちろん未成年である俺は、本来深夜は働けない。

 この仕事は前任者のバックレのせいで急募されていたものであり、履歴書いらずの日雇いバイトだった。

 だから俺は悪いと思いつつ、年齢を偽って応募。そして若さの部分を見事採用され、今こうして働いているわけである。


「いやー、若いのがいると助かるよぉ。今大学生・・・だっけ?」

「っ、はい」

「いいねぇ。もうオレなんて腰が痛くって敵わんよ。あ、ほら、コーヒー奢ったる」

「あ……ありがとうございます」

 

 現場で作業をしている柳さんは、俺に微糖の缶コーヒーを手渡してくれる。

 夏が近づいてきたこの時期、安全のための分厚い作業着で火照った体に、冷たいコーヒーが染み渡った。


「十分くらいで再開すっから、またよろしくな」

「はい……」


 ニッと頼れる笑顔を見せた柳さんは、そのまま仲間内で集まっている場所へと戻っていく。

 これだけ良くしてくれている人を裏切っていると思うと、胸が締め付けられるように痛い。


「……ごめんなさい」


 それでも、今このバイトを失うわけにはいかない。

 昼はコンビニ、夜は交通誘導。

 最低限の寝る時間と、勉強のための時間。

 稼ぎとそれに対する時間を計算すると、これでもかなりギリギリだ。

 この先はもうどれだけ睡眠時間を削れるかの話になってくる。

 学校で寝ればもう少し楽になるかもしれないが—―――貴重な学ぶ時間をそんなことで消費したくない。


「っ、あぶね」


 少し考え事をしていただけで、意識が体を離れかける。

 すでに無視できないレベルには疲労がたまっているらしい。

 体が休憩に甘えて動かなくなってしまう前に、俺は腰かけていた道路の段差から立ち上がった。

 

 立ち上がった視線の先。俺の目は、何やら口論をしているらしい人影を捉える。


「や、やめてください!」

「そんなこと言うなよォ……ねっ、そんなに可愛いんだからさぁ、おじさんと一晩くらい遊んでよォ」


 俺と同い年――――高校二年生くらいの女の子が、頭にネクタイを巻いた酔っ払いの中年に絡まれている。

 女の子は明らかに困った顔をしているし、中年の方は酔いが回り過ぎてまともに話ができそうにない。

 このままでは苛立った中年に女の子が暴行を振るわれてもおかしくはないだろう。

 見てしまった以上無視することができなかった俺は、休憩中なのをいいことに持ち場を離れ、彼女の下へと駆け寄った。


「あの、大丈夫ですか?」

「え……?」


 女の子が顔を上げ、日本では珍しい自然な銀髪が小さく揺れた。

 俺はこの顔と、この銀髪を知っている。

 二年生に進学してから同じクラスになった、――――下の名前は申し訳ないことに曖昧だけれど、確か東条さんだ。

 進学校であるうちの高校で、去年のすべての定期テストで全教科一位を取ったとか。テニスや陸上の大会で表彰台に上がったとか。

 日本と海外をまたにかける大企業、東条グループの社長令嬢であり、この銀髪は海外の血が混ざったことによるもの。

 そしてその容姿は、誰もが振り向いてしまうような絶世の美女である。


 そんな人が、目の前で酔っ払いに絡まれていた。


「んだぁ? 兄ちゃん、俺の邪魔しようってのかァ?」


 助けに入ろうとすれば黙っていないのが、ふらふらと足元がおぼつかないこの酔っ払い。

 一言喋るだけで、咽そうになるほどの酒臭さが鼻を刺激する。

 そんな彼の手には、キラリと光る指輪がついていた。


「えっと……大丈夫ですか?」

「あぁ⁉ 何がだよ!」

「こんな時間まで飲んでたら、奥さんも相当怒ってると思いますよ」


 呆けた顔を浮かべた中年は、腕時計へと視線を送る。

 人体とは不思議なもので、それを見た途端彼の顔は青くなり、酔いがすっかりどこかへ消えてしまったらしい。


「やべぇ……帰らねぇと」


 ふらふらと去っていく中年の背中を黙って見送った俺と東条さんは、そのまま顔を見合わせる。

 こんなに近くで彼女の顔を見たのは初めてだったため、少し面食らってしまった。

 これほどまで顔が良い人間がこの世にいたのかと、意味もなく神に感謝しそうになる。


「あ――――ありがとうございました、助けていただいて」

「絡まれているところを見てしまったので、さすがに助けずにはいられなかっただけです。その……怪我とかはなかったですか?」

「はい、おかげさまで大丈夫です。本当にありがとうございました、えっと……稲森春幸、さん」

「……俺の名前、よくフルネームで言えましたね」


 放課後になったらすぐに帰ってしまう俺は、一部の男友達意外とほとんど会話しないままここ一か月を過ごしていた。

 だから皆俺の名前なんて覚えていないと思っていたし、特に毎日多くの友人に囲まれている東条さんなんて顔すら覚えられていないだろうと思っていたのに。


「クラスメイトの名前は初日に全部覚えましたよ? 皆さんと仲良くするために、です」

「は、はぁ」

「逆に稲森さんは私の名前を憶えていないんですか?」

「有名人なので、あなたが東条さんだってことくらいは……申し訳ないけど、下の名前は曖昧で。えっと、ふゆか、さん? でしたっけ」


 俺がそう問いかけると、東条さんは残念そうに俯いてしまう。

 しかしすぐにその顔を上げた彼女は、俺の手をぎゅっと握って目を合わせて来た。


「東条冬季と申します。季節に関係する言葉で、"冬季"です。女の子らしくない名前なので、些か憶えやすいと思うのですが……どうでしょう?」

「あ、いや、普通に可愛い名前だとは思うけど」

「……意外とお上手ですね、稲森君は」


 褒められたことで照れた表情を浮かべた東条さんは、気を取り直すべく咳払いをして、改めて視線を合わせてくる。


「今年から二年A組のクラスメイト・・・・・・なのですから、もっと仲良くしてくださると嬉しいです」

「そ、それはもちろん――――あ、」

「どうかされました?」


 嫌な汗がぶわりと噴き出す。

 視線を感じて恐る恐る振り向けば、そこには様子を見に来てくれたであろう柳さんが立っていた。


「二年A組、クラスメイトっておめぇ……高校生ってことか? じゃあ未成年じゃねぇか」

「あっ、その」

「……もういいわ、何も言わんで」

「……すみません」


 今日のこの時間。

 学校一の美少女と正式に知り合うことになった代わりに、俺が頼みの綱にしていたバイトをクビになったということは、もはや言うまでもないだろう。

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