夜Ⅱ
「お、おい、二人は……」
「お二方には無事生還していただきますよ、他に死体になった方と一緒にね。ここからは他の人には聞かせられない話なので。さて天方達也、あなたは今一瞬倫理の境界が分からなくなりましたね?」
「い、いや、そんなことは……」
反論しようとするが、俺は心の中が見抜かれたようでうまく言葉が出てこない。
そんな俺にピエロ男は続ける。
「普通の人には先天的に、もしくは経験や教育で培われた善悪の基準というものがあります。それが倫理です」
「あ、ああ……」
「では倫理を持たない存在は人間と言えるでしょうか?」
ピエロ男の問いに、俺は考えるのをやめたかった。
今の俺は普通の人がピエロ男の話術に嵌まって一時的に倫理観が混乱しているのとは違う。
元々確固たる物が何もなかったところに、これまでの人生においてそれらしいものが作られていた。それが再びぐちゃぐちゃにされて、何もない状態に戻っている。
認めたくはないが、そんな感じがした。
「例えば世の中には神楽や不破のような“サイコパス”と呼ばれる人がいます。しかし神楽は自分の利益を最大化すること、不破は自分の好奇心を追及することが善であり、それらが妨げられることは悪である、という価値観がありました。要するに一般の人と全然違うだけで善悪というものはあるのです。ではあなたにとってそういう基準はありますか?」
「そ、それは……例えば人殺しは良くない」
これだけは何があっても揺らがないはずだ、という極端な例を出す。
「なぜですか? 例えば戦争や死刑では人は死ぬはずです。第一、あなたたちはさっきから投票でたくさんの人を殺しています」
「だから、そんなことを強要してくるお前は悪い奴だ」
「ではあなたは自分が生き延びるために他人に投票したのでしょうか?」
「……」
よく考えると別に自分が、という訳ではない。
単にこの馬鹿げたゲームを終わらせたい、という気持ちと村人陣営に勝って欲しいという気持ちがあっただけだ。
……何で?
何で俺はこのゲームを終わらせた方がいいと思ったんだ?
なぜ村人陣営が勝つ方がいいと思ったのだろうか?
おそらく、それが一番犠牲者が少ないと思ったからだ。
「そう、あなたにはそれがない。結論から言ってしまえばあなたの脳は最先端のPCのようなものです。状況に応じて最適の解のようなものは出せますが、そこに感情はありません」
「そ、そんな……」
言われてみれば、昔からあまり感情はなかったような気がする。
ただ、周囲が喜んでいれば何となく俺も嬉しいし、誰かが嫌な目に遭えば嫌な気持ちになる。そんな感じだった。
これまでの人生俺は何か主体的な感情を抱いたことがあっただろうか。
何となく周囲と同じように学校に通って勉強し、将来も周りに期待されているように研究者か何かになろうと思っていた。
それではそういう周りから植え付けられた固定観念のようなものを全て取り払ったとして改めて何か意思のようなものがあるだろうか、と考えてみる。
強いて一つ挙げるとすれば、自分が普通の人間であって欲しい、という気持ちはあった。
だが自分が”普通の人間”になるために頑張ろうという気持ちはあまりなかった。
俺の悩みを尻目に、ピエロ男は俺が普通の人が持っているものを持っていないという前提で話を進めていく。
「この先さらに最先端の脳を作りだすことが出来れば、人工的に優秀な人間を多数生み出すことが出来るでしょう。ですがそこに感情や倫理が全くないとそれはそれで問題です。これはこれで極端な例ですが、環境問題を解決するのに人類を全滅させるのが正解、などとなりかねませんからね」
「それは……」
違う、と言おうとしたが先ほどの御剣と籠宮の両吊りは要するにそれと同じことではないか?
俺が生き残るために二人を吊った以上、環境問題を解決することが至上の目的であれば人類を全滅させるべき、と思うかもしれない。もっとも俺はそこまで環境問題の解決には関心はないが。
「そこで次に問題になるのは、教育で感情を発生させることが出来るのか、ということです。仮に出来るとして、最強の脳を持った人間を作り出して倫理を後から身に着けさせるのと、普通の人間に最強の教育を施すこと、どちらの方が効率がいいのか。あなたはこの結末に興味がありませんか?」
「それは……」
それを聞いて俺はない、とは言えなかった。
ピエロ男の言っていることは人間をモルモットか何かと同一視している馬鹿げたことのはずなのに。
それなのに俺はそれを一蹴することが出来なかった。
「他にも、優秀な人間を幼少期から隔離して英才教育を施すか、国民の上位四割ほどは全員高校ぐらいから仮想現実で英才教育を行うの、どちらが効率がいいのか」
「……」
「我々はあなたに倫理を学ばせようとしましたが、結局『周りの人間が何となくこう思っているからこのことはいい、悪い』という程度の行動指針しか学ばせることが出来ませんでした」
「だ、だが普通の人間だってその程度の倫理観しかないやつもいるだろう」
「そういう方には大体倫理がないように見えて、欲があります。お金が欲しいとか、こんな趣味がやりたいとか、可愛い女性と仲良くなりたいとか。そして欲は損得勘定である程度縛ることが出来ます。しかしあなたには恐らく欲もありません。最後の場面、例えばあなたが占い師であったとして両吊りを思いついて提案しなかったと思いますか?」
「それは……」
俺と対抗の占い師を両吊りにすれば村人は助かる。
そうなれば俺は確信はないが、提案したような気がする。そしてそれは「自分を犠牲にしてでも皆を助けたい」という気持ちからだが、それは恐らく善意とは違った何かだろう。
「となるともう少し自己の欲求というものを入れてもいいかもしれませんね。しかし自己の欲求が強いと扱いが面倒ですし……やはり難しい問題です」
そう言ってピエロ男は画面の中で首を捻る。やはり俺には分からないことだらけだった。
「とはいえ、実験対象に実験の内容を知られてしまった以上仕方ありません。せっかくなので我々の研究施設に来ませんか?」
「はあ? 何で俺を実験していたやつなんかと一緒に働かなければならないんだ」
「別に私と同じ部署ではないですよ。ただ、あなたはある程度優秀ですし、実験サンプルにもなれる。もってこいだと思いますが」
「そんな言い草で承諾すると思うか?」
「ですが、あなたは元の暮らしに戻りたいですか?」
「それは……」
確かに、自分が純粋な人間ではないと知ってしまった以上、これまでのように友達と当たり障りのない学園生活を行うことは不可能だ。
どうしたって周囲との壁を感じてしまうだろう。
それでも俺は自分がそうだと信じていた普通の人間として生きるために努力することは出来るだろうか。
何食わぬ顔で進路を決め、適当な相手と結婚し、それらしい家庭を築く。
そんな未来図を想像しようとしたが、全くうまくいかなかった。
ならばいっそそれを周りの人間が知っている実験施設で働く方がいいのだろうか?
「俺は……」
「分かりました」
俺が決断を伝えると、ゆっくりと意識が遠のいたのだった。
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