第6話

 国王ラウル七世は、毎週週末の午前中は、必ず王宮の中庭で、5歳になったばかりの一人娘・キャロライン王女と過ごすことにしていた。母を早くに喪った王女にとって、この週に一度の短い時間だけが、家族と過ごす時間であった。豊かな艶のあるブロンドの髪と、透き通るような青い瞳だけ、国王の日々の疲れを癒してくれるものだった。

 この時間は、警護の兵も中庭の外で待機している。愛娘と水入らずの時間にいくさにまつわるものを目に入れたくはないという理由から、国王がそのように命じたのだが、これが彼の命取りになった。

 軍靴の音が聞こえてきたのは、午前10時頃のことだった。ラヴェンローナ公・マクシミリアンの手勢が、国王親子を取り囲む。マクシミリアンは、国王ラウル七世の逮捕状を手にしていた。そこには、グランディアハン聖公会審問院総裁・アルフレート枢機卿の署名と、総裁代行兼主席審問官・クリスティーネ司教の副署があった。

 ラウル国王は、異端として告発されたのである。


 審問院の復活は、そもそも国王と第四主教・ディミトリが進めていたことだった。それが王権の拡大につながることを警戒する主教たちの間では慎重論が強かったが、ミハイルによるエルム指導者への秘密裏の洗礼が発覚した翌日、第二主教・パトリックが突如として、審問院復活を支持すると宣言したのである。ただし、復活する審問院の総裁には、第七主教派のアルフレート枢機卿を推薦した。第七主教派は、さほどの勢力を持たない中間派であり、アルフレート自身は第二主教派のクリスティーネと親しかったが、彼のボスであるエーリッヒ主教は第四主教に近い。派閥の摩擦を生じない無難な人選であったと言える。

 この案を示された第四主教・ディミトリに反対する術はなかった。審問院の復活は彼自身が国王と謀って進めてきたことであり、アルフレート総裁という人事にも文句の言いようはない。パトリック主教からディミトリ主教に相談された時点で、パトリックは他の主教の賛同を得ており、ディミトリが抵抗してもどうにもならない状況であった。そして、70を越えた高齢のアルフレート枢機卿の補佐役として、司教補から司教に昇進したクリスティーネが総裁代行兼主席審問官の地位に就くことにも、異議を唱えるることは不可能であった。クリスティーネの学者として、司祭としての業績は誰もが認めるところだったのである。

 第二主教の一連の動きは、全てクリスティーネの献策によるものだった。審問院総裁代行となったクリスティーネは、速やかに行動を開始した。ラウル国王の逮捕状を作成し、それをラヴェンローナ公に預けて、国王の身柄を拘束させたのである。

 国王が望んでいた審問院の復活を逆手に取って、国王自身を異端として告発するというクリスティーネの策略に、ラヴェンローナ公は一も二もなく飛び付いた。異母兄を排斥して自らが王位につく好機を逃す理由はない。


 言うまでもなく、昨日まで英雄だったラウル国王に異端の嫌疑がかけられたことで、国王を支持していた民衆は動揺した。教会を非難する声も上がった。けれども、クリスティーネは少しも動じなかった。


 「民衆は移り気なものです。国王の勝利を讃える気持ちなど、3ヶ月もすれば色褪せてしまいます」


 民に人気のある国王を逮捕するというクリスティーネの提案に躊躇するパトリックやロレンスを、クリスティーネはこう言って説得した。

 クリスティーネは果断、かつ慎重だった。国王に対する審問には長い時間をかけた。国王に掛けられた異端の嫌疑は220件あまり。そのどれもが、元来さほどに信仰心の厚わけでもない若い国王の軽口の類であり、異端の決定的な証拠になるような事実は実のところ一つもない。ただ、数が数だけに、審問を引き伸ばし、国王を拘束し続ける口実としては十分に機能した。

 国王が拘束されている間、ラヴェンローナ公が国王代理となり、政務を代行すると同時に、グランディアハン市中に国王に関する悪評を広める。拘束されている国王自身にはそれらの中傷を打ち消す術がない。ラヴェンローナ公の広めた噂は、そのほとんどが全くの作り話であったとはいえ、「現在審問を受けている」ということだけは動かしようのない事実であって、果たして、クリスティーネの読み通り、市民たちの間には少しずつ、国王への不信感が植え付けられていく。


 クリスティーネは国王の審問には時間をかけたが、一方で教会改革を迅速に断行した。重すぎる教会税で教区民を苦しめていた者、教区民に教会の正統な教義と異なることを教えていた者、孤児院を預かりながら、子供を虐待していた者、いわゆる腐敗司祭と呼ばれていたような連中が次々と告発され、ある者は謹慎を命じられ、ある者は聖職資格を剥奪され、ある者は処刑された。

 教区の女性や児童を強姦していた司祭に対して、クリスティーネはとりわけ酷烈だった。彼らは「強姦魔」と書かれたプレートを首にぶら下げられ、全裸で市中を引き摺り回された上で斬首された。クリスティーネが処刑した「強姦魔」は68人に上った。

 国王の逮捕に困惑した市民にも、粛清は支持され始めた。もとより、教会の綱紀粛正は、それこそ市民が国王に望んでいたことである。学者として名高いクリスティーネ司教が代わりにそれをやってくれるというなら、人民に反対のあろうはずはない。民衆にしても、国王に権力が集中しすぎることへの不安がまるでなかったわけでもない。クリスティーネ言うところの「移り気な民衆」は、次第に国王を忘れていった。


 第二主教・パトリックは、第四主教・ディミトリとの和解に向けて動いていた。クリスティーネによって、教会は再び民衆の支持を集め始めている。親国王か反国王かで対立していた二大勢力が第四主教派と第二主教派だったけれども、状況がこうなった以上、教会は改めて団結すべきであると、パトリックは説いた。ディミトリも同意した。これ以上第二主教派、というよりクリスティーネ司教と対立することは無益だった。

 二派閥の和解にあたって、宣教局局長・ロレンス枢機卿は、宣教局を無視して蛮族どもに洗礼を施したミハイル司教を処分するように強く要請した。ミハイルは教理局次席から、辺境の教区長に左遷された。

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