第4話
「そうか、国王はやはり、すぐにでも洗礼を施せと言うか」
サンレアーノ大聖堂の最深部、第四主教の執務室に、静かな声が響く。第四主教・ディミトリである。ミハイルにとって学問上の師にあたるこの老人の、その青い瞳からは衰えることのない知性を感じさせる。
「国都の街は、国王万歳の声で溢れております。今、国王の求めを断れば、人民の教会に対する不信感はますます高まるであろうと思われます」
この時期、教会は必ずしも民衆に支持されていなかった。
グランディアハン帝国は、元々は都市国家グランディアハンを中心とする小王国の連合であった。外敵と戦うために連携を強め、国王たちの合議によって当時のグランディアハン国王・マグヌスを皇帝に推戴したことが、「帝国」の始まりとなる。
皇帝となったマグヌスは、帝国をまとめるために、それまで各地で信仰されていた宗教をひとつの体系にまとめ、専門の聖職者集団を組織した。これが、グランディアハン聖公会の始まりである。皇帝は、帝国の政治的指導者であると同時に宗教的権威であるとされた。
マグヌスが作り上げた帝国の祭政一致政体は、マグヌスのような偉大な指導者のもとではよく機能したが、彼の後の皇帝たちは、必ずしもそのような独裁君主として君臨するだけの力量の持ち主ではなかった。
マグヌスから数えて8人目の皇帝・ヨハネス二世のときに、クーデターが起こった。グランディアハン聖公会の7人の主教が、ヨハネス皇帝の退位を求める決議を発したのである。聖公会の教理において、皇帝は主教よりも上位の権威を有すると認められていたが、皇帝位は公会議において主教が授けるものとされている。帝位を授ける主体である主教会議が皇帝の退位を要求することには十分な根拠があるとされ、ヨハネス皇帝の暴虐は、人々の憎むところであったために、民衆も主教会議を支持した。
結局、ヨハネス皇帝は退位し、その弟・フィリップがグランディアハン国王となり、「帝国」の政治的・軍事的な盟主であることは認められたが、宗教的な指導者は聖公会の7主教であるとされるようになった。以来250年、グランディアハン帝国は皇帝不在のまま、グランディアハン国王と聖公会の主教たちによって運営されてきたのである。
この250年の間に、教会にも膿が溜まっている。聖職者になるためには、教会の定める試験に合格する必要があるが、その試験に合格できるのは十分な教育と、人的資源に恵まれた良家の子女ばかりであった。クリスティーネなどは例外中の例外なのである。聖職者は特権階級化して、民衆の反感を買っていた。現国王・ラウル七世は、そういう状況にあって、軍事的な成功をもって、教会を凌ぐ権威を得ようとしている。人々は、ラウルが皇帝となって、腐敗した聖公会を改革することを期待している。審問院の件にしても、聖職者たちはともかく、民衆は、ラウル国王の審問院総裁就任を歓迎するに違いない。
「審問院の件は、やはり国王が総裁に就任するというのは、前例はない訳ではないとはいえ、この状況では危険と言う他ない。我々に近い聖職者を総裁に据えるのが賢明な落としどころだと思う」
「猊下ご自身が総裁になられるというのは?」
ラウルが審問院を使って断行しようと計画している改革はあまりにも性急なもので、審問院を復活させるにせよ、ラウル国王にブレーキをかけることは絶対に必要であるとミハイルは考えている。とはいえ、枢機卿クラスの連中では、勢いに乗っている国王に歯止めをかけるのも難しいだろう。第四主教直々に総裁に就任するのであれば、いま少し穏健に改革を進められるのではないか。
「それも考えている。国王と教会の力関係が、歪なものになってはなるまい」
主教はそう言って、窓の外に目をやった。
「…猊下、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「何だね、司教」
「猊下は、ラウル国王を皇帝にするおつもりですか?」
ミハイルは、これまで、このことを主教に尋ねたことはなかった。歴史上の存在である皇帝が今の世に現実に現れるというのは、どうにも現実味のないことに思われてならなかった。公会議を開催してラウルを皇帝に推挙し、戴冠式を挙行するその手順をミハイルは知っている。それでも、それは遠い昔に行われていた行事の記録でしかなく、今の時代にそれが行われる可能性について、ミハイルには実感がわかない。まして、ラウルのような宗教心の乏しい男が皇帝に相応しいと言えるだろうか。
「時代は変わっている」
ディミトリは呟くように言った。確かに、時代は変わっていた。もはや、サンレアーノに鎮座する高級聖職者を、人びとが無条件に敬うという時代ではない。それにしても、と、ミハイルはどうしても思ってしまう。
「司教。帝国は、これほどまでに強大になった帝国は、宗教なくして治めることが可能だろうか」
「…難しかろうと存じます」
エルムに限らず、いまや帝国には37の民族が同居している。生活様式も言語もバラバラなその集団に、グランディアハン市民であるという自覚を持たせるのに、宗教による同化は不可欠だ。
「人が善く生きるには、宗教が必要だ。私はそう確信している。そして、宗教は人を排除するものではなく、受け容れるものでなければならない」
「魚肉を食す者も、受け容れねばならないのでしょうか」
ミハイルには、師の言うことがよくわかる。宗教なるものが単に精神生活のためのものであるなどと考えるほど、ミハイルはナイーブではない。宗教と政治はコインの裏表だ。政治的な状況が変化すれば、宗教も変わらざるを得ない。それでも、魚肉食だけは、どうしても容認する気になれなかった。エルムには刺青の習慣もある。それとて不快には違いないが、まだしも譲歩できるところだ。
刺青が禁止される理由は分かっている。それが、偶像礼拝につながるからだ。蛮族どもの刺青は、その多くが彼らの神を表象し、異教の神々と一体となることを意図したものであるという理由で、皇帝・ステファンの時代に、公会議で禁止された。
だが、魚肉食の禁止がいつ、いかなる理由で禁止されたのかはわかっていない。
だからこそ、聖職者の合議によって定められた刺青の禁止よりも、魚肉食の禁止の方が重要なのだ。人間の理解の及ばぬ領域で定められた規範が現に存在しているという事実が、人間の理性を超越した存在の実在を示唆している。魚肉食の禁止は、その理由が明らかでないからこそ、信徒たちの心の奥深いところで、信徒の思考や感性を強く拘束し、その拘束が信徒の結束と共感を生み出している。
「時間をかけて、エルムの民を馴致していく他あるまい。司教、現実問題として、エルムの民700万人を、洗礼を施さぬまま帝国の中に留めおくことは不可能だ。エルムの民とて、我らの洗礼を受けることを心から望んでいるわけではあるまい。彼らの古来からの信仰と訣別することに抵抗する者も多いはずだ。それでも、国王の武力と、交渉によって、洗礼を受けて帝国の傘下に加わることを了承したのだ。いまここで、我らの方が洗礼を施すことを躊躇すれば、エルムの方にも、やはり洗礼を拒否しようという動きが当然出てくるだろう。急がねばならぬ。1ヶ月後の主教会議で、彼らへの洗礼を認めさせなければならぬ。エルムの悪習を変えていくことは、その後で考えれば良い」
ミハイルは深く平伏した。師の覚悟を聞かされたからには、これ以上迷うことは、ミハイルには許されなかった。700万もの新しい信徒を獲得したとなれば、その最大の功労者たる国王に至尊の地位が与えられることも当然、避けられないだろう。ミハイルは、あの俗物の頭に帝冠が似合うだろうか、などと考えていた。
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