第2話

 聖公会宣教局局長・ロレンス枢機卿は64歳。クリスティーネから見れば上司に当たる人物である。クリスティーネと同じく、魔力で加齢を抑制してはいるが、それでも50代程度には見えた。男性聖職者は、女性聖職者と比べて、若すぎる姿でいるよりは、適度に重々しく見える中高年の姿でいることを好む傾向にある。

 聖公会の男性聖職者は、黒のローブを身につける。その中でも、枢機卿以上の位階を持つ者には赤の模様が彩られている。ロレンスには、そのローブがあまり似合わない。小顔と狐のような細い目つきが、どことなく威厳を欠く。ロレンスは実際のところ、その見た目通りの小心な男で、枢機卿という地位に相応しい尊敬を得ているとは言えない。本人にもそれがわかっているから、たとえば、若くして司祭として、学者として、教育者として名望を得ているクリスティーネなどは煙たくて仕方がないのだが、不幸にして、彼はクリスティーネよりも使い勝手の良い駒を持っていない。


 「閣下、カルマゼリアの件、お聞きになりましたか?」

 局長執務室に入るなり、クリスティーネは要件を切り出した。聖公会の女性聖職者は青のローブを身につける。こちらは男性聖職者のそれとは対照的に、小柄で細身な娘、たとえばクリスティーネのような女によく似合う作りだった。ぴっしりとした青のローブを身に纏うクリスティーネは、えも言われぬ威厳があり、ロレンスは内心の萎縮を隠すのに苦心せねばならない。

 「聞いている」

 重々しい声を出そうとして、かえって上ずった掠れ声になってしまうのが、自分でも腹立たしかった。なぜ枢機卿たる自分が、高々司教補の、それも30代の小娘を相手にして物怖じせねばならないのか。

 「新領土は、どのような扱いに?」

 クリスティーネの緑の双眸が、ロレンスを見据える。国王によって征服されたエルムの地が帝国の版図に組み込まれ、エルムの民が帝国の人民となるのであれば、聖公会は彼らに洗礼を施さなければならない。

 「エルムの民は700万と言われている。その数では皆殺しにすることもできまいし、全員を奴隷として扱うこともできまい。少なくとも、国王がそのようなことには反対されるであろう」

 クリスティーネの表情が歪む。

 「…では、洗礼を施すと?」

 「第四主教猊下は、そのように仰っている」

 クリスティーネは、目の前の景色が歪むような感覚に襲われた。エルムのような蛮族が、一夜にして聖公会の文明的な教義を理解し、グランディアハンの文化を受け入れられるわけがない。そんな連中に洗礼を施すことは教理に対する冒涜に他ならなかった。

 「エルムは海の生き物を食べると聞きます。身体に刺青をするとも聞きます。そのような蛮習は改めさせるのですよね?」

 魚肉を口にすることは、グランディアハン聖公会が最も重要な禁忌のひとつだった。

 「そうあるべきだと思うが、現実には難しい。第二主教猊下も、苦慮されておられる」

 グランディアハン聖公会の最高指導者は、7人の主教である。しかし、主教たちの意見は必ずしも一致しない。第四主教・ディミトリは国王と親しく、国王の征服した新領土の民への洗礼に積極的であった。この度の国王の勝利は、第四主教の派閥を勢いづかせるであろう。一方で、第二主教・パトリックは聖公会の伝統を重んじている。新領地の民に洗礼を施せば、彼らのことも聖公会の信徒として扱わねばならなくなるが、聖公会の教義を受け入れる文化的な素養の無いものたちを信徒として認めることは、教会の秩序を揺るがすことである。これが、クリスティーネやロレンスの属する第二主教派の主張であった。


 「国王は、教会の権威を奪おうとしています。いえ、それ以上の野心を持っています」

 クリスティーネの低い声に、苛立ちが浮かぶ。ロレンスは不快げに顔を背ける。ロレンスとてそのくらいのことはわかっている。国王が領土の拡大に熱心なのは、新しい領土の民を聖公会に受け入れさせ、聖公会の組織を変容させることが目的だ。教会に異質な文化を流入させることで、教会の伝統が切り崩され、相対的に国王の権力は強まる。王権の強化にこだわるラウル国王が、皇帝に地位を狙っているのは間違いない。

 「国王に帝位を授けるには公会議を開かねばならん。公会議の開催には、7人の主教全員の同意が必要だ。少なくとも、第二主教猊下は公会議の開催をお認めにならぬ」

 「帝国はこの250年、皇帝位を空位として、国王と教会が協調することで安定を保って参りました。ラウルの振る舞いは、その秩序を脅かすものです」

 だとしても、帝国を外敵の脅威から守るという国王の責務が果たされることを非難することなどできようはずはなく、新領地の人民を洗礼を受けない非国民として遇するのも、第一不可能なのだ。ロレンスは内心毒づいた。

 「ラヴェンローナ公も、我々の味方だ。少し様子を見るのだ。良いな?クリスティーネ司教補」

 立ち上がり、背を向けた枢機卿に、クリスティーネはそれ以上何も言えず退室した。

 クリスティーネはラウル国王を憎んでいる。国王には信仰心が乏しく、日頃から教会の権威を軽んじる言動が目立った。

 (あの男を皇帝などにしてなるものか)

 クリスティーネの口元が、憎悪に歪む。

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