第11話 微睡みの行く先
―――ある日のこと。
私はその日の授業を終え、のんびりと屋敷の周囲を散策していた。
歩いているのは、普段暮らしている屋敷の近くにある果樹園へと続く農道だ。
道の傍には、青々とした葉を茂らせた樹木が規則的に植えられている。
樹の背丈は人間の大人より少し高い程度の細木で、昔テレビで見たことのあるさくらんぼの木が印象に近い。
それが通りに沿ってずらりと並ぶ風景は、こじんまりとした家族経営の果樹園という風情だ。
実際その通りで、ここは義母が管理している国有果樹園の一つである。
……家族経営なのに『国有』というのが、なんとも我が国の実情をよく表しているね。
さて、この果樹園。
季節になれば色の黄色いさくらんぼに似た小さな果実がたっぷり実り、収穫したそれは義母と家事長(プリムラ)らによってジャムにされたりフルーツ和えにされたりして食卓に上ることになる。
このジャムをたっぷり塗ったトーストと、アレッサリア特産の茶葉で義母が淹れてくれる『翠花茶(ルーディエ)』という紅茶のような良い香りのお茶をお供にした昼下がりの茶会は、私の日々の楽しみの一つなのだ。
―――麗らかな日和の中、屋敷に備えられたウッドデッキで、『廃都』から発掘してきたアレッサリア黎明期の小説家や劇作家たちの珠玉の短編を片手に過ごすひと時。
こういうの、ロハス生活っていうんだっけ?
……環境に優しいというか、この世界では環境が人類滅ぼしにかかってるけど。
アレッサリア聖法圏、人口ただいま3人。
増える予定は無し。
果樹園の管理はもちろん人間ではなく錬鉄機鋼が行っている。
今も、作業用錬鉄機鋼たちが木々の成長具合や土質をチェックし、様々なデータを収集中だ。
伸びてきた雑草を取り除く作業に従事している機体も見える。
稼働中の錬鉄機鋼達はこのアレッサリア全土に散らばり、人の殆どいなくなった現在もこの作業員たちのように、それぞれに与えられた仕事を絶えずこなしているのだ。
「―――アーレン王子!」
「「「アーレン王子!」」」
彼らは私の姿を見つけると、仰々しい仕草で敬礼の体勢をとり、一斉に唱和する。
小さいころから見慣れた光景。
もう慣れたが、前世がそんなご大層な身分でなかったので、やはり心のどこかで居心地の悪さを感じてしまうのは否めない。
「あ~、かまわず作業を続けてくれ、錬鉄機鋼たち」
「「「はっ、<人間閣下>!!」」」
かつて見た義父の姿を思い浮かべながら、努めて威厳を損なわないよう、堂々とした所作を心掛ける。
錬鉄機鋼たちは一糸乱れぬ動きで敬礼を解くと、何事もなかったかのように元の作業に戻っていった。
「……はぁ。
坊ちゃん呼びもだけど、王子だの殿下だのと呼ばれるのもむず痒いね……」
いまだに慣れない。
―――ふと。
作業に戻る錬鉄機鋼たちを眺めていたら、視線が樹林の奥に佇む『それ』に向いた。
そこに居たのは、やはり錬鉄機鋼だ。
ただし、他の機体と違って敬礼にも参加しておらず、作業にも戻らず微動だにしていない。
その機体には蔦が伸び放題で、その四肢を絡めて地に縛り付けている。
足元は果樹園の土に埋もれ、半ば地面と同化していた。
本来は赤銅色に輝くボディも、錆が浮いて青白く酸化している。
何年も、どころではない。状態から見ても、何十年、何百年と前からその場に佇んでいる機体だと分かる。
「……」
私はその動かぬ姿を、静かに眺める。
そんな私の姿を見て、作業用錬鉄機鋼たちのリーダーらしき機体が声をかけてきた。
「『58-01654機』がどうかしましたか、王子」
「……ん、いや。
君は、彼…えぇっと、『58-01654機』のことを知っているのか?」
「はい。『58-01654機』は情報庫の屋外業務従事機体目録の中にIDが登録されています。
登録年は『聖歴』1856年。第58代コラール公の御治世の機体でございますな。
所有者はウィドーラ=メイ=アルカンド様となっております。
作業内容は当該樹林の管理業務です。
なお私用(プライベート)の機体ですので、公開設定以外の情報は閲覧が許可されておりません」
うーん、そういうことを聞きたかったのではなかったのだけど。
私は呟き、忠実に私の質問に答えてくれた機体に感謝してから業務に戻るよう伝える。
その機体はもう50年以上も前に、ここで働いていた機体だという。
―――こういった光景は、実のところ珍しいものではない。
聖法圏内のいたるところに、動作を停止した錬鉄機鋼が、その身を風化に任せて静かに佇んでいる。
当の機体――『58-01654機』に近寄ってみる。
確かにその表面は蔦や苔が生えるに任せていたが、思いの他状態は良いようだった。
……だが、その機体が動き出すことはもうないだろう。
なぜなら、彼の所有者がすでに居らず、『所有権』がそのままで鬼籍に入ってしまったからだ。
この『58-01654機』に、「動け」と命令できる人間が既にいない。
ゆえに彼は、もう決して動くことが『許されていない』のだ。
―――錬鉄機鋼というのは、それなりに機械化が進んだ世界から転生してきた自分が見ても、驚くべき機能性の機械達である。
自立的に動き、思考回路も人間に迫るものがある。
スペックは人を遥かに凌駕していて、軍事用ともなれば生身の人間が何人と束になっても敵わない。
生産能力も同様で、効率良く合理的に作業を行い、殆ど休みも不満を持つことも無く働き続ける。
どこぞの世界の共産主義者が聞けば、さぞ泣いて喜びそうな理想的な労働力である。
……『ロボット』の語源にしてかの作品の原作者である、カレル=チャペック氏あたりが聞けば、さぞ嘆き怒りそうな労働階級でもあるが。
そんな単純な労働力としてのみ見れば完璧で理想的な彼らだが、欠点もある。
彼らにとって、人間は――所有者は絶対であり、その命令以外で動くことは無いようにプログラムされている点だ。
所有者が居なくなった彼らは動くことが『許され』なくなり、故障のあるなしに関わらず、動作を停止してしまう。
現在動いている機体は、現アレッサリア王家――つまりは義父・義母・私の3人に登録された私用機か、公共事業用として登録された『公用機』が全てだ。
私用機は、王家の人間である両親や私が居なくなれば、この『58-01654機』同様動かなくなる。
公用機にしても、王家からの事業命令で動く機体で、新たな指示が無くなれば、それ以外の事は出来ない。
それが、許可されていないから。
彼らは、人間から許可されない限り、動けない。
人間のために生み出された、忠実なる奴隷。
―――『生存機因問題』という論争が、この世界にはあるらしい。
『彼ら無機物から生じた錬鉄機鋼に自由意志はあるべきか、また、あるべきと仮定した場合、人は彼らの自由意志の在り方をどのように規定すべきか』
これは、この聖法圏内で百年程度前から議論されている問題であり、長い間、識者が議論を交わしてきた根深い問題でもある。
過去にはこの問題を語るために『機鋼心理学』なる学術分野が開拓され、相当数の研究機関や専門家が日々喧々諤々と『機械の心の在り方』について議論を交わしていたという。
……非常に難しい問題だし、デリケートな問題だと思う。
私も暇な時間にその筋の学会論文などを読んでみたのだが、内容は正直さっぱりだ。
相当紛糾しつつ、結局、今の今に至るまでその結論は出ていないことが分かったくらいだった。
―――この国には、人だけではない、多くの錬鉄機鋼達によって支えられてきた歴史的事実がある。
―――ならば、アレッサリアという国家を愛するならば、その愛は彼ら錬鉄機鋼達にも向けられて然るべきではないのか?
そう説いたのは、私ではない。『機鋼心理学』に精通したという、当代の義父から遡って十数代前の国王だそうだ。
数百年も前から、この疑問はこの世界の人類に問い掛けつづけられている。
『機械に自由は必要か?』
前世の世界でも、SF作品の中では度々語られてきたテーマの一つ。
この世界では、錬鉄機鋼という存在が実在するがゆえに、とても身近な問題として長年真剣に議論されてきた。
―――今や、人間は3人しかおらず、うち二人は年老いていて、残りは若いとはいえ男一人。
このままいけば、間違いなく人間は滅ぶ。
それは逃れようの無い運命だ。
だが、人間が滅んだ世界に、錬鉄機鋼(かれら)は残る。
私達3人が死ねば、公用私用関わらず、全ての錬鉄機鋼は動作を停止するだろう。
この『58-01654機』のように。
そして、このアレッサリア聖法圏は終焉を迎えるだろう。
『機械に自由は必要か?』
この議論に、答えを出すべき時が近づいているのだ。
「……ん?」
ふと、微かな駆動音を耳にして、我に返った。
農道の先、屋敷へ続く方向へ目を向ければ、小型の乗用車がこちらへ向かって、緩やかな坂道を下ってやってくる。
見慣れた車体だ。
車はこじんまりとしたもので、プロ野球の試合なんかで選手を運ぶときに出てくるリリーフカーみたいな形状をしている。
ちなみに。
この世界の乗り物を車、と表現しているが、前世の一般的な車とは決定的に異なる点がある。
この乗り物、タイヤに相当するものがついておらず、車体が地面に接地していない。
つまり、浮いている。
地面から常に溢れている法気(エィテル)を利用した、原理としてはリニアモーターカーにちかい仕組みで浮いて動く車である。
乗っているのは義母であった。
運転席と助手席が前後に配置され、義母は助手席の方に座って、ゆったりと景色を楽しんでいるようだ。
運転席にはメイド服を着た薄桃色のボディの女性型錬鉄機鋼が座していた。
車はゆっくり私の傍までやってきて停止すると、義母はたおやかな仕草で私に微笑みかけてきた。
「あら、アーレン、今朝ぶりね。
お散歩かしら?」
「こんにちは、義母さん。
今日は授業も全部昼のうちに終わってしまったからね。
ちょっと気分転換にと、こっちまで足を延ばしてみたんだ」
「うふふ、良いわねぇ。
この辺りは全部、翠桃樹(ルディウル)の果樹園だから、樹の背丈も大きくならないし、日差しも良好なの。
だから日向ぼっこには最適よ。
こっちの斜面は北部向きだから、景色もとても良いし。
……実は、私もよく本を読みにここにやって来て、そのままお昼寝しちゃうのよ」
それでお夕飯に寝過ごして、あの人によく怒られるのだけど、と。子供が秘密をこっそり教えるように囁く義母の姿を見て、私は笑いながら答える。
「確かに、ここは昼寝をするにはとても良さそうだね。
日差しも暖かいし……何より、とてもいい風が吹いているから」
私が視線を遠くに向ければ、そちらには開けた蒼天と、緑の絨毯に覆われた大草原、うねる様に蛇行して走る大河。
そして大草原の向こうに、まるで深緑の波濤に飲み込まれるように静かに佇む、『廃都』の姿が見える。
「…それで、義母さんはどうしてここに?」
「ああ、それがね。私ったらうっかりしてたのだけれど」
そういって、義母は頬に手を当て小首を傾げる。
義母が困っているときにする癖だ。
「翠桃(ルディム)のジャムをね、きらしてしまってたのよ。
それで、新しく作ろうと思って翠桃をお台所で探したのだけれど…」
「あー…、そっちもきらしてた?」
「そうなの」
把握した。
「でもね、おかしいのよ?
翠桃は一昨日に十分な量を果樹園の方から入荷してもらったばかりなはずなの。それが全然残ってなくて。
だからしょうがないから、こうして果樹園まで追加で貰えないかとお願いしに来たの」
「……」
「それにしても、変よねぇ。確かに籠いっぱいに貰ったと思ったのに……。
発注ミスしちゃったのかしら、私」
年は取りたくないものね、と苦笑いを浮かべる義母から、そっと目を逸らす。
背中を伝う、冷汗。
………知っている。私は、それを知っていた。
その翠桃の発注が正しく行われたことも、その翠桃が果たして今、どこにあるのかも……。
だが、言えない。
―――実は、散歩というのは口実で、つまりは要するに、「授業帰りに喉が渇いていて台所に山盛りにされていた翠桃をみて、うっかりつまみ食いしたらそれが採れたてで思いの外美味しくて、口が進んだ結果全部ペロッと食べちゃったこの国の王子様」が、その立場を濫用…もとい最大限に活用して、果樹園からこっそり食った分をチョロまか…もとい、融通してもらえないかなー…などと画策してこの園にやって来ていたというのは。
言えるわけがなかった。
その時、スッと、影が差す。
私が、止めどなく伝い落ちる冷汗に背筋を寒くしていると、運転係だったメイド型錬鉄機鋼が音もなく私の眼前にやって来ていた。
「……プ、プリムラ……っ!」
それは、よくよく見知った薄桃色の錬鉄機鋼。
『翠香候』プリムルワーレ=イリッシュ社製第十二世代5型。
王家の忠実なる従僕にして、私のよく知るメイド型錬鉄機鋼である。
―――そして刹那、私は悟る。
自分が窮地に陥っていることに。
……そう。このメイドさんはただ家事が出来て医療行為に精通し、王家に仕えているから『翠香候』という爵号を叙されているのではない。
実際に、ただのメイドにあるまじきスペックを秘めているから、『翠香候』なのだ。
『無駄に』超ハイスペックメイドロボなのである。残念ながらドジっ娘要素は無い。
「坊ちゃまより、不自然な体温上昇と発汗作用―――併せて、現在の状況に適切ではない過度の眼球運動を感知しました。
―――奥様、何やら坊ちゃまには隠し事がある様子」
「あら?」
ぎくり。
プリムラは、元々は義母付きのメイドにして、我が家――ひいてはアレッサリア王家――の家事全般を統括する有能なる家庭用機(コンシューマ)だ。
家庭用機でありながら、王宮や上流階級へのニーズを前提に開発されたハイスペックの上位機体であり、その性能は日々の日常生活サポートだけでなく、スケジュール管理やタスクマネジメント、貴賓への応対など、日々の雑務に秘書的な役割を求められる上流階級にとって有用な能力も保有している。
メイドとしての役割だけでなく、執事・秘書相当の役割も難なくこなす―――そんな彼女には、人間の『顔色』を把握して、嘘・動揺を正確に見抜く機能なんて物騒なものが実装されていたりする。
彼女に補足されると、隠しておきたい事実も容易に白日の下に晒されてしまう。
とても頼りになる、信頼のおける有能な我が家の家事長であるが、よりによってこのタイミング、この場に最も居て欲しくない相手断トツのナンバーワンであった。
冷や汗が背中を伝う。
指摘を受けて、義母が再び、頬に手を当て小首を傾げ、目を細めた。
ただし、今度は逆の手、逆の角度だ。
私はその癖を知っている。
―――義父が、こっそり倉庫から年代物の蒸留酒をちょろまかして、一本空けた挙句、酒の肴だなんだと冷蔵庫を荒らしまくったのに気づいた時、それを(プリムラと一緒に)問い詰める時なんかの癖だ。
だいたい、そういう時の義母の表情は、目を細めた笑顔に見えて、目の奥が全く笑っていない。
「―――ねぇ、アーレン?」
声も、いつものおっとり穏やかそうな声音に聞こえていて、まるで地獄から吹き荒ぶ風のような、底冷えのする寒気を感じさせてくる。ああ、父さん、父さん、魔王が来るよ。
「隠し事とか、なぁい?」
私はもう一度、晴れ渡った青空と、その下に吹き曝された『廃都』の姿を眺める。
シレジアツグミの番が、今日も空を気持ちよさそうに泳いでいる。
鳥は良いなあ、―――自由に空を飛んで逃げられるから。
「ちょっとこっちに来なさいアーレン」ぐわしっ。
「あ”ぃっ!? 痛たたたたっ!! ちょっと義母さん、耳、耳っ!!
耳引っ張るのはマジで痛っ、痛い!!」
「もうっ!!
つまみ食いは行儀が悪いからダメって言っているでしょうに!
食べたいならちゃんと私なりプリムラなりにいいなさい!
そういうところばっかりあの人に似るんだから…!」
「いやまぁ、わかっているんだよ?
でもほら、食べたくなったらその場ですぐ食べたいじゃない?
それに、『つまみ食いは王家の嗜みだ』って」
「…一応聞くけど、誰が言ってたのかしら?」
「義父さん」
「まっったく、もう!!
変なことばかりアーレンに吹き込んで!」
「ぁ痛だだだだッ、ゆ、緩めて、もーちょっと緩めてくれないかな!!? ちぎれる、ちぎれるッ!?」
後であの人もお説教ね、と年甲斐もなくぷんすこ可愛く怒る義母の姿を横目に、私はこっそり目を細めた。
ごめん、義父さん。
そしてありがとう。怒りの矛先の分散に一役買ってくれて。
空は青く、瑞々しい翠桃のなる果樹園には穏やかな風が吹く。
風は草原の草花を揺らし、古き『廃都』の栄光の残滓を、少しずつ少しずつ、剥ぎ取ってゆく。
それでも、陽の光の暖かさは、どんな歳月にもどこの世界かにも関わらず、ただただ、暖かかった。
――――――この世界は、とっくに詰んでいる。
滅びは間近で、人類に未来などない。
それでも。実のところ。
悲しみながら余生を過ごさなければならぬほど、世界は絶望で満たされてはいなかった。
アーレン=ディ=アレッサリア12歳。
おしなべて、世はことも無し。
西部戦線、異状なし。
優しい義理の父母と、錬鉄機鋼(きかい)たちに囲まれた第二の人生は、意外と快適ではあったのだ。
…
……
………
―――しかし、現実というのは非情で。
私がアーレン=ディ=アレッサリアとして生を受けて、16歳を迎えようとしていたある日。
――――――とうとう恐れていた、それでも、どう足掻いても決して逃れえぬその日が、やってくる。
―――<特に行くべき場所がなくとも、旅立ちの時というものがある>。
そんな言葉を残したのは、一体誰で、どのような場面で紡がれた言葉であっただろうか―――。
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