第4話 世界の真実

 ―――満で3歳を過ぎた、ある日。

 それはうららかな昼下がりのことだった。

 立って歩くことも出来るようになり、発声器官としての口や喉が使いこなせるようになった頃を見計らって、私はついに、行動を起こした。


「義父(とう)さん、おはなしがあります」


 かねてより計画していたことだった。

 乳歯はすでに生え揃い、消化の良い流動食を口にできるようになり、食事を楽しむ味覚の豊かさも身についていた。

 私は義母(イェルダ)が席を外したタイミングで、義父(ヴィザル)へと、唐突に語り掛けた。


 3歳になったばかりの幼児から、不意打ちに流ちょうな丁寧語で話しかけられるのはさすがに想定外だったらしく、義父は「うぉぅ!?」と読んでいた本を取り落とし、びっくりした表情をこちらに向けていた。


「あ、アーレン!? 今わたしを呼んだのは、アーレン…かね?」

「はい、義父(とう)さん」


 急にハキハキと喋りだした私を、目を見開いて凝視する義父。

 うん。そりゃまぁビックリするよね。


「こ……れは、驚いたな。

 情報庫(データベース)の情報だと、言葉を自由に話せるようになるのはもっと先だとあったのだが。

 まだ教育プログラムも組んでいないというのに…いや、もしやイェルダが私に黙っていたのか?

 いやいや、それにしても……ふむ」


「いいえ、義父さん。義母さんにおしえてもらったわけではありません。ことばは、じぶんでべんきょうしました」

「お、おお? それは凄いな………それは凄いな!!?

 もしかしてアーレンは天才か!?

 い、イェルダっ!!! イェルダ、アーレンが、アーレンが言葉を!!」

「あ。義父さん、まってください。義母さんにはなすまえに、だいじなおはなしが」

「ぉ……む?

 ……ごほん。なんだ、アーレンよ?」


 唐突に話し始めた私に、義父は随分と目を白黒させていたが、私が妙に落ち着いている姿を見て見苦しい姿は見せられないと思ったのか、咳払いと深呼吸で平静を取り戻そうとしていた。


「……義父さん、はじめに、わたしはあやまらなければなりません」

「? 謝る?」

「はい」


「……ふむ。アーレンよ。

 もしかして先月落っことした花瓶のことか?

 あれはイェルダが悪いぞ。子供の手の届くようなところに花瓶なんて置いておく方が悪いのだ。

 むしろお前に怪我がなくて幸いだった。あのことについてはイェルダにも厳しく……」

「いえ、そのことではありません」

「ふむん? ではあれか?

 先週、おしめを取り換えた時に私の顔に盛大にひっかけた、あのことか?

 いやあれは確かにビックリしたが。まぁ大丈夫だ。あの頃はお前もまだおしめも取れない赤ん坊だったのだから。

 それに男なら仕方がない。飛距離はステータスだぞアーレン。ノズルの調節方法は成長するにつれて自然と……」

「いえそのことでもなく」


 確かにあれについては正直本当にすまんかったと思っているけれども。

 どうにも今生、下半身がトラブルの種を抱えてるような気がしてならない。


 気を取り直して、私は自分の隠していた秘密を、義父へと打ち明ける。

 取り繕えるほど言葉を学んだわけでもないので、とにかく単刀直入に。


「……義父さん、わたしは、あなたたちをだましていました。

 わたしは、このせかいのにんげんではありません。

 こことはちがうせかいからやってきた、べつのせかいのにんげんです」


「……なに?」


 ―――そうして、私はまだあまりうまく回らない口振りで、自分自身の抱えている事情を打ち明けたのだった。


 前世の存在。

 異世界転生。

 赤ん坊の姿にそぐわない、一個の人格について。


 言葉は流ちょうに話せないが、それでも真摯に、彼らが与えてくれた愛情に背かぬように。訴える。

 ―――義父は、それを静かに、黙って聞いてくれていた。


 自分の正体を打ち明ける間、私はたえず襲ってくる恐怖と戦わねばならなかった。


 彼の表情が突然、何か恐ろしいものを見たような恐怖に歪むのか、なぜ騙したのかと、怒りと悲しみに歪むのかと。

 強く気を引き締めつつ、そうして、私はすべてを語り終えた。


 さすがに、この身は未だ3歳児。

 語り終えるころには喋り疲れて、身体が随分とだるかったが、それでも自分の中につかえていたものを吐き出したおかげで、心は幾分か軽くなっていた。

 ……このあと起こることを想像すれば、また心は重くなりそうだったが。

 そうして、私が自らの抱える事情を語り終え、一息ついたころ。


「―――ふむ、」


 長い……私からすれば体感としてとても長い沈黙のあと、義父は静かに口を開いた。


 口調も、表情にも今のところ、激しい感情は見られない。

 ただ静かに白髪の混じった顎髭を撫で、何かを思案していた。

 ……そして、何かを決心した表情で、義父は私のつぶらな瞳を見つめ返した。


 その視線に宿るのは、今までの慈愛に満ちた、可愛い幼子を見る暖かいものではなく……一人の、知性ある対等の人間に向ける意思の光であった。


「アーレンよ」

「はい」

「少し、散歩に出ようか」

「……?」

「あぁ、そういえば、まだこの部屋から外には出たことは無かったな。

 もっと身体が頑丈になって、ちゃんと歩けるようになってからと思っていたが、まぁ、私が抱いていけば問題なかろう」

「それは……まぁ」

「よし、ではいくぞ、アーレンよ。

 今から行けば、日没には間に合うだろう。

 イェルダにも声をかけておかねばな」


 そうして、私は生まれて初めて、いや、転生してこの部屋に連れられて以来、久しぶりに外の世界へ出ることになる。


 …

 ………

 ……………。


 義父の意図は分からない。

 想像していた最悪の反応は逃れた……とみていいのかはまだ判断が出来ないが、これはこれで想像とは全く異なった反応で、これからの展開が予測できず不安が募る。


 義母は、突然義父が私を外に連れ出すと言い出して、はじめ烈火の如く怒り、猛反対した。


 だが義父のただならぬ気配を察してか、しぶしぶ、最終的には私を抱き抱えた義父の後に着いてゆく形で落ち着いた。


 ―――はじめてこの目で見る外の世界は、驚きと安どに満ちていた。

 空を見れば鮮やかな青空で、草木の青々しい香りを、穏やかな涼風が運んでくれる。


 わずかだが、外の景色は子供部屋の窓から見えていたので驚きはない。

 それでも、澄んだ風と、どこか懐かしい草木の匂いは、生前あまり自然に親しみの無かった自分にも新鮮な驚きを与えてくれた。


 見たことのない植物がうようよ生えている人外魔境だったりしたらと不安だったので、そういう意味でも、とても安心した。

 ……あの黒い巨大ムカデみたいなのが沢山いる光景を覚悟していたし、そういう意味でも、本当に安心した。

 そういや、あの黒ムカデなんだったんだろうなあ。

 あれから姿を見ていないが。

 謎である。


 義父の腕に抱かれながら背後を見れば、私が育った『屋敷』の外観が見える。

 屋敷は私の常識の基準でいえば、じゅうぶん豪邸といえるものだった。

 外壁は年季の入った石造りで、日に灼けた褐色のレンガ屋根。

 全体の造形は想像したとおり、中世ヨーロッパの貴族の屋敷に似ていた。

 屋敷の周囲には様々な草木が溢れんばかりに生い茂っていて、屋敷の外壁には蔦が這っている。

 だが、それは無作為に生えているのでは無く、人為的な手入れで管理されているのが傍目に見てもわかる。

 自然と建築物の調和がとれているのだ。

 義父のセンスなのか義母のセンスなのかはわからなかったが、中々に良い仕事をしている。


 屋敷の玄関からのびる、きちんと整備の行き届いた道。

 私は義父に抱えられるまま、ゆっくりと歩いてゆく。

 私はすでに3歳児だ。

 ある程度は歩けるようになってはいたが、けれどまだ体力が追い付かない。この道を自分の足で駆けるようになるのは、もうしばらく先になるだろう。

 …そのような未来が来るかどうかは、甚だ疑問ではあったけれど。


 正門をくぐり、道なりに進んでしばらく。

 どれほど行っただろうか。

 義父と義母は私に合わせてか、ゆっくり歩いていたのでそれほどの距離ではないはずだ。


「おぉ……」


 眼前に広がる光景を見て、思わず声が上がる。

 まず、見えた光景は、畑と、果樹園―――恐らくは義父と義母の運営する農場なのだろう。

 周囲からみて、こじんまりとした盆地状態になっている土地に、きちんと整地され、明確な規則で区画分けされた畑や果樹園がいっぱいに広がっている。広さでいえば、ざっと4~5haくらいあるだろうか。これが個人経営の農園だとすれば、日本の基準でいえばなかなかの広さだ。

 遠目で見て、どんな農作物が植えられているかはわからなかったが(そもそも、この世界の植物が私の知っているものと同じという保証はなかったが)、どの区画も作物が瑞々しく繁り、豊作とはいかないまでも、農園として滞りなく運営されているのが理解できた。


 ……さて。ここだけみれば、普通の農園だ。

 私が驚いたのは、農園に対してではなかった。


 ここまで見た景色は、少しの驚きはあったが、それは私の常識――つまりは転生前の世界観――に収まるものであって、どちらかといえば安どの方が勝っていた。

 だが、そこから見えた光景は、明らかに私の常識外であり、ここが異世界だと示す光景だったのだ。

 異世界でなくても、転生前の世界にもこんな光景はあっただろう。

 私が常識外の光景だと驚いたのは、そこで働く作業者達の姿だった。

 畑を耕し、実った作物を収穫する作業員。


 ―――それはすべて、自律駆動している錬鉄機鋼(ギ=アプストル)達だったのだ。

 錬鉄機鋼(ギ=アプストル)。

 転生当初、私が『ロボット』と呼んでいたものの、この世界での正式名称らしい。

 私の世話をしていたプリムラも、この錬鉄機鋼の一体だった。


 この錬鉄機鋼というのは、この世界の人間が造り出した機械の一種で、自律的に動ける高性能なシロモノだ。

 詳しい仕組みは知らないが、個人的には異世界版ロボットないしアンドロイドという認識で差し支えないと思っている。


 それが、総勢でざっと20体ほどの姿が確認できる。

 彼らは規則正しく動き、収穫可能な作物の実った耕作地では正確な動きで収穫に適した作物を収穫し、土作りの必要な耕作地では一糸乱れぬ動きで横一列に並んで鋤や鍬を振るっている。

 無骨な赤銅色のメタリックなボディに陽の光を反射して、一心不乱に与えられた仕事に従事している。


 ―――いやはやなんとも、絵に描いたようなSFチックな光景だ。

 転生前も、農業のオートメーション化が叫ばれて久しい時代に生まれてはいたが、ここまでの光景はまだ見られるような時代ではなかった。

 今まで私が目にしたことのあるのは、私の身の回りの世話を行っていた家事用錬鉄機鋼であるプリムラと、他の数体の機体だけだった。

 これだけ大量の錬鉄機鋼が仕事に従事している光景を見ると、私がやってきた世界が異世界なのだと否が応にも理解させられる。


 その時、作業に従事していた一体が、私たちに気付く。

 途端、作業をぴたりと止め、こちらへ体を向けて、直立不動の態勢をとった。

 それにつられて、というのも生易しいくらいの急激さで、他の錬鉄機鋼たちも、例外なく作業を中断して同じ態勢をとる。

 その光景は、まるで洗練された軍隊を見ているようで、私の心にに驚きと、どこか空恐ろしい気持ちを抱かせた。


「―――閣下!」

「―――人間閣下!」


 唱和される言葉。

 直立した姿勢で、手は動かさず(おそらく、この世界に敬礼に相当する仕草は無いのだろう)、顎部の上下で敬意を示す。

 そのある種、異様ともいえる光景を義父は特に驚くことなく平然と受け止めると、手をゆっくりと振ってみせた。

 おそらくそれは軍隊における「休め」の号令のようなものか。一斉に彼等は僅かに腰部を折り、軽いお辞儀のような仕草をみせた。


「視察ではない。作業に戻れ、錬鉄機鋼(ギ=アプストル)達よ」

「―――は、閣下!」

「―――人間閣下!」


 そうして、ひとしきりの唱和の後、何事もなかったかのように、彼等は作業に戻る。

「さて、行こうかアーレン」

 こちらもまた、何事もなかったように義父は歩き出す。

 ……どうやら、これが私に見せたい光景というわけではないらしい。単純に、近くに寄ったから挨拶した、みたいな軽いノリだった。

 私としては、これはこれで衝撃的な光景なのだが。


 そうして、さらに歩くことしばらく。

 目的地に着いたようだ。


 ―――そこは、見るからに立派な、そして極めて荘厳な気配を漂わせた『聖堂』であった。


 建てられてから相当な年月が経っているのであろう。

 石造りの建物である点は屋敷と違いは無いが、その佇まいには100年や200年ではきかない、重厚な歳月の重みが宿っている。


 ……何故、それを一目で『聖堂』であると思ったのかは自分でもうまく説明ができない。

 その建物が漂わせる静謐な空気から感じ取ったのか、私が覚えていないだけで、見覚えがあったかは分からない。

 ただ、目の前の建物が『そういう』ものであるのは理解できた。そして、その直感にさほど間違いがないであろうことも。


 建物に近づくと、その見上げる程に大きな正門の傍らに立っていた、2体の錬鉄機鋼が近づいてくる。

 彼らのシルエットは、先ほどの農作業に従事していたものやプリムラとも異なり、幾分か鋭角的な装飾が施されていた。

 体表面の色も赤銅色ではなく、白銀色で、手に持っているものも農具ではなく、武器(おそらくは、槍か棍のようなもの)であった。どこか中世騎士の甲冑を思わせるそのフォルムから、おそらく彼らは警備員なのだろうと推察する。


「閣下。本日は如何なご用向きでしょうか。

 本日は礼拝日ではないと、スケジュールの照会が済んでおりますが」


「なに、ただの散歩だよ。いい天気なのでね

 イェルダと―――アーレンも一緒だ」


 そう言って、義父は私の頭をひと撫でして微笑む。

 その姿を白銀の騎士たちは暫し観察する。彼らの眼(にあたるパーツ)がジッと私を捉えているのが分かって、少々居心地が悪い。


「―――おぉ、おぉ!

 アーレン王子!」

「アーレン王子!!」


 お、王子?

 その呼称は今までされた事が無かったので、戸惑う。

 というか、そういえば義父はさっきから、『閣下』とか呼ばれているな。

 …もしかしてこの義父母、とても偉い身分なのだろうか?

 王様と妃様とか?


「確か本日で、齢は3年と6日、加えて只今、15時間24分となられたとか!!」

「で、ありましょう。然らばアーレン王子もついに、外出される程に成長なされましたか! これは目出度い!!」

「拝謁の儀は何時でありましょうか、閣下!!」

「何日何時間何分何秒後でありましょうか、閣下!!」

「スケジュールのご登録を迅速に、閣下!!」

「「閣下!!」」


 ……おぅ。

 めちゃくちゃグイグイ来るな、この白銀の警備ロボット×2。


「あぁ、いや、今日はまだ気分転換で、アーレンに外の空気を吸わせただけだ。

 まだ皆の者への披露目の予定は未定だ。

 もっと体力がつかんとな」

「なんと、それは」

「至極に残念っ(´・ω・`)」

 表情は浮かんでいないが、声音から落胆の気配は伝わってきていた。

 ちなみに義父、先ほどから威厳のある風に振舞ってはいるがこのメタリックな警備兵たちの押しの強さはやはり苦手らしく、対応に腰が若干引けている。


「すまないな。

 ―――では、私たちは『結界』に用事がある。

 閲覧レベル『最高』で、『統括官(マスター)』権限の適用を申請。

 機密(ロギング)適用は『公開』の設定に」

「「イエス、閣下(マスター)!!」」

 白銀の警備兵たちは一糸乱れぬ動きで、荘厳な気配を漂わせる聖堂の扉を開く。

 扉は、彼等が手で開けていた。

 ……そこ手動なのね。


 屋敷の中で生活している時も、先ほどの農園の作業風景でも思ったが、なんだろうか、この違和感。

 要所要所はとんでもなくハイテクノロジーなのに、普段の生活スタイルには、中世レベルのローテク感が漂っている。

 このアンバランスさが何とも気になるところではあったが、今は気にしても仕方がないだろうと、意識の端に留めるだけにしておく。



 ――聖堂の内部は、静まり返っていた。

 私たち以外の気配は無く、外に居てすら漂っていた神聖な空気は、内部においてさらに濃密に、私たちを包み込んでいた。


「地下へ降りる。

 ……イェルダ、足腰は大丈夫か?」

「ふふふ。大丈夫ですよ、あなた。

 そんなに年寄り扱いしないでくださいな」

「いやしかしな。おまえ、この前アーレンを高い高いして、腰を痛めていたでは…」

「あら、それを言うならあなただって。

 アーレンが大きくなって手狭になったからって、大きめのベビーベッドを倉庫から引っ張り出して。

 錬鉄機鋼(あの子たち)に任せておけばいいのに、見栄張って自分で運んで、しばらく筋肉痛で動けなくなっていたじゃないの」

「あれは、ちょっと予想より重かったんだ…油断していた。一人で運ぶサイズではなかった」

「わたしだって、ちょっと油断しただけです~」


 やいのやいの、二人は妙な見栄の張り方をしながら、聖堂の地下へと繋がる階段を降りてゆく。

 その姿には、先ほど『閣下』などと呼ばれ、ゴーレム達から崇拝されていた姿は微塵も重ならない。

 ただの、仲睦まじい老夫婦の姿だけがそこにあった。


 地下へたどり着いた時、私たちを迎えたのは、やわらかい光に包まれた黄金色の世界だった。

 突然の、地下では有り得ない光量に目を眩ませていたが、やがて眼が慣れてくる。


 と、その光の出所は、自分たちの足元――地面が光っているのだと分かった。

 部屋の広さは上に建つ聖堂の規模と比べればさほど広くはなく、10畳といったところ。

 周りを見てみれば、地面は無骨な石畳で、壁も似たようなものだ。

 光る地面以外は、驚くほど殺風景な空間だった。


 そして、私はこの光景を憶えていることに思い当たる。

 光景というか、この光の色と、暖かさだ。

 転生前の記憶ではない、これは――。


「憶えているか、アーレンよ。この場所を」

「……はい。義父さん。ここは……わたしが、すてられていたばしょですか」


 ……一瞬、「捨てられていた」という言葉を聞いた時、義母が何とも言えない表情を見せた。

 だがそれよりも、私が妙に流ちょうに言葉を喋ったことに驚いたのか、その表情は驚きに上書きされてすぐに見えなくなった。

 ……あ~、そういえば、まだ義母に私の素性を話していないのだが。いいのだろうか。


「アーレンよ。

 これは、この光る場所はな。

 『聖護法陣』と呼ばれる、我が『聖アレッサリア護法圏』が誇る唯一無二の国家の象徴であり、究極の秘跡なのだ」


 わたしはまぶしさを我慢して、その光る地面をよく観察してみる。

 ―――地面には複雑な文様が描かれていて、光を放っているのはその文様だということがわかった。

 ……へぇ、すごい。

 本当に地面が光っている。

 どんな理屈で光っているかは謎だが、この神秘的な光景を表現するなら、確かに『究極の秘跡』というのは大げさでないように思える。

 これが、聖護法陣とやらか。

 よくわからないけど。


「アーレンよ、お前は賢い。

 おそらくは、今たくさんの疑問を抱えているのだろう。

 この『聖護法陣』のことも。わたしたちのことも。そして、この世界のことも、だ」

「…」


「だが、まずはじめに、お前の言葉の間違いを訂正するところから始めよう。

 アーレンよ、お前は私に、『だましていた』と言ったな?

 『私はこの世界の人間ではない』と、『別の世界からやってきた人間だ』と」

「……はい。それは…」


「違うのだ、アーレンよ。

 ―――知っていた。

 私たちは、それを知っていたのだ」


 私が、その言葉の意味を理解する為に、ひと時の間を要した。

 その私の驚きを汲んでのことだろう。

 私が落ち着くのを少し待ってから、義父は話を続ける。


「故に、だ。

 お前が言った、『わたしたちをだましていた』というのは当てはまらない。

 私たちはお前が異世界からやってきたことを知った上で、お前のことをずっと育てて来ていたのだから」

「で、すが義父さん、わたしは、わたしの中には…」


「ふむ。それは少し驚いたがな。

 だがなにぶん、『知っていたとはいえこうやって目の当たりにするのは初めてのこと』だし、そういうものだと思ったのだが…違うのか?」

「いや、ちがうのかと聞かれましても…わたしもはじめててんせいしたので、わからないのですが」

「では良いではないか。そういうものなのだろう?」

「は、はぁ」


 え? いいの、それで…?


 こちらも異世界転生のプロでもないので、普通の異世界転生とか分からないし。

 そもそもの話、「いや、なら普通の異世界転生ってなんだよ」って話か。


「では、次はお前が疑問に思っているであろうことについて、順に説明していこうか。

 まず、お前をイェルダが初めて見つけた、この場所――『聖護法陣』について、だ」


 そうして、義父は地面に屈んで、私を陣の上へと降ろした。

 その文様に触れてみると、暖かかった。

 何か蛍光塗料のようなもので床に描いているのかと思ったが、どうもそうではないようだ。擦ってみても、手には何も付着しない。


「この地、『聖アレッサリア護法圏』は、これの加護によって成り立っている。『あらゆる意味で』、な。

 聖護法陣は、結界であり、壁であり、無くてはならない大気と同義だ。

 これが無くば我が国は無く、我らは存在すら許されぬ。

 聖護法陣こそが、我らの生存するために必要な、絶対の要である」


 そう語る義父の表情は、悪戯にホラを吹いているわけでも、狂信に彩られているわけでもなかった。

 淡々と、当然の事実として語っている。

 『空気が無ければ死ぬ』と言っているのと、変わらぬ調子で。


「まぁ、この聖護法陣のそのあたりの役割については、また後で話そう。

 今は、これの『本来の目的』についての方が重要だからな」

「ほんらいの、もくてき…?」

「そうだ。アーレンよ。まずそもそも、この聖護法陣がなぜ、この地に在るのか。

 聖護法陣はな―――」


「―――『異世界の勇者』を召喚するための装置なのですよ、アーレン」


 ふと、横を見れば、そこにはこの数年ですっかり見慣れた、老婆の笑みがあった。

 「…イェルダよ、それわしの台詞…」としょんぼりする義父をそっちのけで、義母は私の頭を優しく撫でながら、その物語を紡ぐ。

 

「――――むかし、むかし。

 ――まだ、人間が世界の果てまで、何処へでも行けた時代。

 ある日突然、この世界の片隅に、大きな大きな、黒い穴がぽっかりと開きました。

 その黒い穴からは、語るも恐ろしい、凶暴な『魔物』と、生きとし生けるもの全てを腐らせる、おぞましい『瘴気』が溢れました」


「――凶暴な『魔物』たちは平和に生きていた人間を、動物を、すべてを襲い、暴虐の限りを尽くしました。

 おぞましい『瘴気』は、たちまち世界に溢れ、人の心と身体を腐らせ、世界を死の大地に変えてゆきました」


「――人間は黒穴からとめどなく溢れる『魔物』の群れと『瘴気』に、懸命に抗いました。

 けれど、『魔力』という強大なチカラを振るう『魔物』の軍勢と、どんな方法でも防ぐことのできない、『瘴気』の霧は、瞬く間に彼らを屠り、蝕み、追い詰めていきました」


「――追い詰められ、窮地に陥った人間でしたが、そんな時、そんな時代、ついに彼らは彼の仇敵に抗う手段を見つけます。

 ―――それが、『召喚法式・聖護法陣』。この世界に満ちる『エィテル』の力を用いた、人智の究極にして、最後の希望…」


「アーレンよ、この聖護法陣はな、世界の裏層に流れる『エィテル』の動脈に干渉して、その力場を動力に、界の殻層へアクセスする―――まぁ簡単に言えば、此処とは異なる世界を探し、干渉するアンテナの役割を果たすもの…と、伝えられている。

 そうして干渉し、アクセスした異世界から、この世界を蝕む瘴気や魔物を打倒できる要素をもった――太古の文明では、『抗体要素』と呼ばれていたかな――、そういう存在をこの世界へ召喚するのが、この法陣の機能なのだ。

 つまり、この聖護法陣の『目的』というのが、この世界に異世界の勇者を召喚すること、なのだ」

「なる、ほど…?」


 イェルダの昔語りを継いで、ヴィザルがこの光る魔法陣がここにある、本当の目的を語るが、

 専門用語多すぎ問題。さっぱりわからん。

 まぁとにかく。

 つまり、彼らの言い分としては、こういうことだろう。


 ―――この聖護法陣とやらは、異世界から英雄を召喚する機能があり。

 ―――だから、ここに捨てられていた私は疑いようもなく異世界の『勇者』で、故に私が語った素性も違和感なく受け入れることができる、と。


「私も、詳しいことを知っているわけではないのだ、この知識もすべて聞きかじりでな。

 ……なにせ、この聖護法陣はこの地に在って、既に2千年の時が過ぎている」

「に、せんねん…」


 この光る魔法陣は、2千年前に作られ、そして今もここにある、という事か。

 とすると、先ほどの義母の昔語りは、2千年前のこの世界の人類が経験した歴史ということ。

 あまりに長すぎて、気が遠くなりそうな時間だ。


「聖護法陣は2千年の長きにわたりこの地に刻まれ、我ら『人』を守る、最後の砦として我々を見守っている。

 …先ほど、この法陣の『役割』について後で話すといったな?

 『目的』は先ほど説明したとおり『異世界の勇者の召喚』だが、実はもう一つ、副次的な効果があってな」


 さりげなく、腕が辛そうな義父から私を受け取った義母が、私の乱れた頭髪を撫でつける。


「―――それは、『結界』としての役割だ。

 この聖護法陣の周囲は、強力な『聖気』によって加護され、『魔物』も『瘴気』も近寄ることのできない聖域となったのだ。

 聖護法陣は襲い来る魔物の侵入を防ぎ、身を侵す瘴気を完全に遮断する、完全なる防壁の役目を果たしてくれている。

 故に我ら人間は、こうして2千年間、辛うじて生き永らえることができているのだよ」


 ふむ。

 簡単に言えば、この光る魔法陣は、超強力なバリアにもなってるってことか。


 そこまで説明して、義父は私を再び抱える。

 古ぼけた土階段を上り、地上へ。

 だが、そのまま来た道を戻るのではなく、今度は『上』へと続く階段を上り始める。


「―――この『アレッサリア大聖堂』はな。

 太古の昔はこの一帯を治めていた古代王国の王都…その中心部に建てられた、古神教の聖堂であったそうだ。

 2千年前の『魔物』との大戦の最中、偉大なる『召喚法式・聖護法陣』を発動し、以降此処が『聖アレッサリア護法圏』の中心となった。

 他にも、かつて旧王朝の王族が住んだという城郭もあったが、長い時の中で廃棄され、今はもう遺構が残るだけだ」


 登り階段はらせん状に、際限なく上へ上へと続いている。

 そういえば、最初に見た聖堂の外観には、建物のちょうど中央に、天へと突き刺すように伸びた『塔』が存在していた。

 おそらく今登っているのは、その塔の内部か。


「ふぅ、ふぅ。

 つ、疲れる……。

 これは……流石に老骨には堪えるな……腕と腰にクる…」

「…あなた、無理しないで。アーレンは私が抱っこしましょうか?」

「い、いや…! なんのこれしき…ッ」


 男の意地か、ただのやせ我慢か。

 義父は私を抱えて、必死の形相で塔を登る。「しばらく筋肉痛でお休みかしらねぇ…」という義母の声を尻目に。


 やがて、私たちは塔の最上階へと到達した。

 そこには粗末な扉が設えてあって、塔の外周をぐるりと囲むように設けられたバルコニーへと続いているようだ。


「本来は、もっとお前が成長して、分別のつく頃になったら連れてくるつもりだった」


 ―――外へと出ると、そこは天上の世界であった。

 この聖堂自体、屋敷と同じように小高い丘の上に建っていたというのもあるが、塔は極めて高い建築物で、私がざっと見た限り、周囲にはこれ以上に高い構造物はなかった。


 つまり、今。私たちは全てを見下ろせる、天上の高みにいたのだ。

 義父に慎重に抱えられ、恐る恐る下方を望めば、先ほど通り過ぎた農園や、その近くには私の育った屋敷が小さく見えた。

 農園にはまるで米粒のような大きさで、ちょこちょこと作業に勤しむ錬鉄機鋼たちの姿が見える。


「なあ、アーレンよ」


 義父が、私に語りかける。


「お前が、私たちに言った言葉で、実はもう一つ『間違い』を訂正しなければならない箇所がある」


 私は、小首を傾げて、私の身体を支えてくれている義父の表情を見る。

 義父の表情は、穏やかで、静かで、風に攫われて消え行く砂城のような儚さを湛えていた。


「お前は、自分のことを『捨てられた』といったな?

 『聖護法陣』の前にあって、ここを、『自分の捨てられた場所だ』と」

「はい…それは、」


 そうだ。

 そこは、少なからず引っかかっていた点だ。

 確かに、先ほどあの不思議な光る魔法陣の機能について説明された。

 突飛な説明ではあったが、ここは異世界。今更そんなファンタジーなものがあっても驚かないし、違和感なく受け止められる。


 だが、だとしても、だ。

 そこに私が寝かされていて、それを発見したからと言って、安易に私を『異世界から来た勇者だ』と断じることができるものだろうか?


 口ぶりからして、義父も、そして義母も、私のことを殆ど最初からそういう存在だと信じて疑っていなかったようだ。


 ―――だが、私は前世での人生から、経験則として知っていた。

 この世界の宗教周りの事情は分からなくとも、あそこは聖堂――つまり何らかの宗教の庇護下にある教会の中で。

 ―――子供を捨てる場所としては、割とオーソドックスな場所だった。


 雨風もしのげて、発見されやすく、野垂れ死ぬ危険性が少ない。

 警備の目を盗んで侵入する難易度はあるだろうが、そこさえクリアできれば、『子供の捨て場所』としては申し分ないではないか。

 言い方は下衆だが、そういう神聖な場所に捨てられていたとなれば多少の『箔』もつく。

 子を捨てるような屑親にしては、そこそこまともな親心ともいえるのではないだろうか。


 ―――私は、前世においても捨て子として人生を始めたクチだ。

 公民館の前にボロ傘だけ添えて捨てられて、拾われた後はそのまま養護施設に引き取られ、そこで少年時代を過ごした。


 その施設には似たような経緯でやってきた少年少女が沢山いた。

 病院の前に捨てられていた者、コインロッカー、挙句の果ては裏通りのゴミ捨て場に捨てられていた、なんて奴もいた。

 実際、教会の前に捨てられていた奴だっていたのだ。


 そういう人生だったから、だから元々、私は親という存在に幻想を持ってはいない。


 彼らも人間だ。崇め奉る存在ではない。

 間違いだって起こすし、

 現実と理想の軋轢に悩むだろうし、


 ―――その果てで子供だって捨てる。

 そういうものだと、経験則として知っていた。


「わたしは…あそこに、『そうみえるように』すてられただけかもしれないではないですか。

 『勇者』だと、まちがえるように。

 わたしをみつけた、あなたたちにとりいるために。

 わたしは、ただのふつうのすてごで、『勇者』なんかじゃないかもしれないと…」


 だから、そういう意味で、私は彼らを騙している可能性はまだ存在している。

 そういう存在なんだとこの優しい二人を騙すことで、不相応な幸せを得ている可能性が。


 私は、勇者なんてそんな御大層な存在ではないのだ。自分でよくわかっている。

 だから……わたしは……


「アーレンよ、違うのだ。違うのだよ。

 『それは絶対にありえない事』なのだ」

「…?」



「簡単なことだ、アーレン。

 ――――――この世界に、もう私たち以外の人間などいないのだよ」 



 ―――。

「―――え?」


 静かに、義母が傍らで、風に崩れた私の前髪を撫でつけている。


「……2千年。

 世界に黒い穴が空き、魔物と瘴気の侵攻に晒され、ついに人が結界を完成させて、ここ『アレッサリア聖法圏』を人類最後の橋頭堡としてから、経った歳月です。

 その間、この『聖護法陣』は結界としての役割を果たし、魔物も瘴気も一度たりとも通すことはありませんでした。


 ―――ですが、同時に。

 『英雄の召喚装置』としての役割については、ただの一度も果たしはしなかったのです」


 義母は、遠くへと視線をやる。


「2千年の歳月は、あまりに長すぎました。

 人は長きにわたり、この狭い結界の周囲にしか生存を許されず、世界は既に瘴気にまみれて、人がわずかな時間すら命を保てる場所ではなくなっている……」


 その視線の先は、青い空が続いて――いや、青い空が、やがて緩やかにかかるグラデーションのように色を変えて、昏い、黒に近い藍色へと変色していっているのが判った。


「御覧なさい、アーレン。

 あれが、世界の境目です。この結界の加護の及ばない、人の生存が許された世界の果て。

 この聖堂を中心として半径30キルメル。その先は、瘴気に包まれた死の世界です。私たちは、その先に出たら最後、瘴気に精神を侵され、呼吸は許されず、臓腑は腐り果て、命を保つことはできません。

 そんな狭い世界で、私たちは長い間、細々と文明を築き続けてきたのです。

 ……ともすれば、緩やかに滅びの道を歩むことは、初めから決まり切っていた運命なのでしょうね」


 静かに、義母は笑う。

 その皺だらけの顔は、歳月の重みに潰された、諦念に満ちていた。

 義父が、言葉を継ぐ。


「随分前に、私たちの伯母にあたる方が死んだ。…何年前だったかな? もう覚えていないが、20年くらい前だったか?

 その方が、私たち以外の最後の人間だった。

 私たちは最後に生まれた男女で、夫婦となり、子供も産もうと努力はした。

 だが、昔の偉い学者が曰く、『人は、既に種としての繁栄限界を通り越している』らしくてな、結局、子供は産めず終いだったよ」


 淡々と語る義父の表情に、悲壮感はない。

 きっと、そんなものはとうの昔に通り越してしまったのだろう。


「だから、お前が捨てられていて、『勇者』の立場を騙っているなんて発想は、そもそも私たちにはないんだ。

 ……理解できるか、アーレン?

 お前があの『結界』の中で泣いていたのを見つけた、我々の驚きが。

 最期の人類であるという運命を受け入れ、朽ちてゆくしかなかった年寄りが、赤ん坊を抱いた瞬間の、感情を」


 想像、できなかった。

 その心情は、何十億という人の住む地球の、豊かな日本という国に生を受け、そこで暮らした記憶を持った私にはあまりにも途方もなさ過ぎて、言葉にすべき何かがあるのかすらわからない。


「分かりますか、アーレン?

 あなたの身体を抱きかかえ、温もりを感じた瞬間の、感動を。

 あなたの小さな手が、私の皺だらけの頬をぺちぺちと叩いた瞬間の、喜びを」


「お前は私たちを騙しているといったがな、アーレンよ。

 正直な話、お前が英雄だとか、異世界から転生した人間だとか…もはや、そんなことはどうでもいいのだ。

 わたしたちにとって、本当に、それは大したことではない」


「あなたが、私たちの元にやってきてくれた――それがなにより、何にも代えがたい宝物なのです」


「だからこそ……私たちは、お前に謝らなければならない。

 お前は私たちを騙しているわけではないが、

 ―――逆に私たちが、お前を騙したも同然なのだ」


「……ごめんなさい。アーレン。

 私たちの都合で、この世界に召喚された勇者様。

 あなたを祝福すべき世界は、もはや終焉に向かっているのです」


「―――すまない、異世界から召喚された英雄の魂よ。

 あなたを喚んだこの世界は、あなたに救ってもらうはずだったこの世界は、

 ―――すでに、滅んでいるのだ」

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