第2話 転生先世界についての一考察
―――<人間とは、どんなことにもすぐ慣れる動物である>。
とは、有名な文豪・ドストエフスキーの言葉だが。
そんな言葉をのこした彼の人生は、死刑判決くらった後流れるように恩赦→シベリア送り→兵役という、まるでテンプレのような共産主義的思想犯完全☆抹殺コンボ経験者にして、根っからのギャンブル狂で死ぬまで借金で首が回らなかった――という背景を踏まえると、その言葉の重さと闇が、異常なほど伝わってくるというものである。
そんなちょっとしたトリビアはさておき、転生1ヵ月目。
慣れてくると、自分でろくに首も回せない赤ちゃん生活は、本当にヒマだと痛感する。
食事と排泄以外、できることが無いというのはなかなかに苦痛だ。辛い。
身体は子供、頭脳は大人な立場を生かし、彼らの会話から言葉を学び取ろうと努力はしているが、さすがに1ヵ月程度ではまだまだ理解にはほど遠い。
私の世話をする老夫婦の会話を聞くとはなしに聞いてみて。
彼らの話す言語は英語ではないのは辛うじてわかったが、私の知識ではどこの国の言葉かはさっぱりわからない。
「――――ン? ――――ーレン?」
だが、ただひたすら会話のリスニングをこなせば、それなりに話法のルールくらいはわかってくるもので。
さしあたって、私に向けて語られる言葉に、頻出する単語があった。
「――――アーレン、――――アーレン」
『アーレン』。
これはたぶん、私の名前だ。彼らが私を指し示し、紡ぐ単語。
どうやら私の名前は、『アーレン』というらしい。
名付けたのは多分、老婆か老翁のどちらかだろう。
それが転生して私の覚えた、最初の単語であった。
自分の名前を覚えた要領で、この部屋に頻繁に出入りする老夫婦とロボットの名前と思しき単語も聞き取れた。
まず、老婆と老翁の名前は、イェルダとヴィザルというらしい。
老夫婦の命令に忠実に従って、掃除やわたしの身の回りの世話を行っているロボットの名前はプリムラだ。
今のところ、この3人(2人と1体?)が転生後に私の出会った全てである。
イェルダとヴィザルはどうやら夫婦のようだ。
言葉は分からなくとも、二人の間に醸し出される空気感で察せられる。
そして、この二人以外の人間の姿は、未だに見ていない。
そしてプリムラは、当初の想像通り、この老夫婦に仕えるハウスキーパー的な仕事に従事しているようだ。
ということはつまりはメイド。メイドロボットだ。
メイドロボット。
ちなみに特にドジというわけではない。仕事ぶりは超有能。
毎日オムツ換えてもらってる私がいうんだから間違いない。……お世話になっております。
それと、周囲の様子も観察して、ざっくりとだが自分の置かれている環境もわかってきた。
まず、彼らの生活水準。
きっとそれなりに裕福な家庭なのだろうと推察できる。
理由としてはまず、メイドロボットの存在と、老夫婦の身なりが良いという点だ。
メイドロボット自体の価値がどれほどかはわからないが。
老婆の髪の手入れはよくされていて、肌も年相応に皺は刻まれているが、特に荒れている様子もない。
服装も、凝った刺繍を施された前掛けや肩掛けのカーディガンなど、いかにも手の込んだ腕輪や首飾りを身に着けていて、品位を感じさせる。
どこかの民族衣装のような凝りようで、多分、衣類などは工場での大量生産品ではなく、手で縫製された手作りの品だろう。
印象としては、東欧から中央アジア辺りの文化圏の雰囲気が近いだろうか。前世で本などで見たイメージなので、あくまで私の主観だが。
身にまとっている雰囲気にも余裕がみえる。切羽詰まった感じがない、というか。
経験則として、貧困層というのは常に、余裕の無さそうな、ピリピリとした空気感を醸し出しているものだ。
私の寝かされている部屋は立派なもので、恐らく急ごしらえで設えられたはずなのに、ベッドの内外にはいろいろなものがあふれている。
子供用の玩具やら何やらがたくさん。
「あぶぅ(訳:ふむ)」
結論としては、彼らの生活水準はそれなりに高く、物に困るような生活をしてはいないと判断できる。
次に推察するのは、自分のおかれた状況。
目覚めた当初の慌ただしい状況から考えるに―――どうやら私は、捨て子らしい。
それをこの老夫妻が拾ったのだと思われる。
数日経ったが、両親と見られる存在の姿は見えないし、あの慌ただしさは、この老夫妻にとっても私は予想外の来客であったのだろうと察せられる。
「ばぶぅ……(訳:はぁ)」
―――まさか、転生しても『また』両親から捨てられるとは思ってもいなかった。
転生するとも思っていなかったが。
捨て子。
……その事実自体には、ショックはない。
「またか」という感想があるだけである。
実は、捨てられたのはこれが二度目だったりする。
まぁだからどうした、という話ではあるのだが。
私は、甲斐甲斐しく、捨て子のはずの私の世話をする老夫婦を眺めながら、我が身の境遇を真剣に考えてみる。
「あぶぶ。あぶ、ばぶーん(訳:果たしてこの世界は何なのだろうか。そして私が赤ん坊として生まれ変わった理由は一体……?)」
……。
うん。シリアスに自分の生きる意味とか考えてみても、オムツ&おしゃぶり装備した赤ん坊だと全然キマらないな!
イェルダがなんだか微笑ましいものを見る目でこちらを見てる。
くそぅ、めちゃくちゃ恥ずかしい。
まぁ、さしあたって私に出来ることといえば、彼らの会話を盗み聞いて一刻も早く言葉を理解することだ。
そうすれば、私を取り巻くこの状況の謎も解けるかもしれない。
…
………
……………。
―――窓から差し込む陽光はぽかぽかとした昼下がり。窓の向こうには綺麗な青空が広がっている。
ベビーベッドに寝かされる赤ちゃんも含めて、なんとも牧歌的な光景だ。
……当の赤ちゃんの中身が70過ぎた、元じじいだということを除けば、だが。
赤ちゃんの仕事は寝ることと泣くこと、とはよく言われるが、まさにそのとおりで、とにかくよく眠くなる。
食事(ミルク)を済ませた後というのも相まって、陽気に誘われうつらうつら、と眠気がやってくる。
――その時。
ぬっ、と、影が差した。
イェルダかな、と何の気なしに微睡んでいた目を開く。
影の主は、窓の外に居た。
陽光を遮り、その身を陰にして、こちらを見ている。
視界に映ったのは。
――――――端的に言って、化け物だった。
まるで山のように巨大な、漆黒の身体。陽の光を浴びてヌラヌラと光沢を放つそれはメタリックな質感を伴っていた。
細長く、身体は節に分かれて、夥しい数の足がある。それがギチギチと蠢く。
頭に相当するであろう頭頂部には、複眼が機械じみた点滅を繰り返し、鋭い牙を内包した口吻が悍ましい汁を滴らせながら、ガチガチと噛み合わせを繰り返していた。
そのシルエットはサイズ感を除けば、前世で見たことのある、ある生物に類似していた。
―――ムカデ。それも、とてつもなくでかい。
それが、窓の向こうから私を見下ろしていた。
「―――おぎゃぁぁああああああああああああああっ!!!!?(びくっ)」
「―――シギャァァアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!?(びくっ)」
ばぶんっとおしゃぶりをかっ飛ばしつつ、私は今生においてもっとも赤ちゃんらしい泣き声(悲鳴ともいう)をあげた。
え!? ナニアレ!? ナンデ!? ムカデナンデ? スゴイデカイ!!!!(錯乱中)
突然の私のリアクションに、ムカデの化け物は興奮したのか、ウゴウゴと気味悪い動きで体をくねらせつつ、忙しなく口を開閉して体液を撒き散らす。
「―――(ギチギチガチガチガチガチガチガチ)」
―――ぇ怖っ!? 動きキショっ!?
驚いたイェルダが、何事かと私のもとにやってくる。
―――いかん、老婆よ! 来てはダメだ!
窓に! 窓に! 化け物が!!
私の願いも虚しく、イェルダは窓のそばに近寄ると、…スパァンと、そのまま無造作に窓を開け放つ!
……いや、ダメだろう外に今すごい化け物居るよ!? 見ただけでSAN値削られそうな凄いやつ!!
愕然とする私を尻目に、イェルダは漆黒の巨体を見上げて、何やら強い口調でまくしたてる。
イェルダは化け物に対して、何ら臆することなく相対していた。
……ぇ、すごいな、イェルダさん!?
「―――! ―――ッ!!」
「――」
……と。
ここにきて、私はようやく、化け物の様子がなんだか自分の想像とちょっと違うことに気づいた。
窓を開けて相対したイェルダに襲い掛かるようなことはなく、むしろ頭を下げて神妙にしている様子だったのだ。
イメージとしては、イタズラをして親に叱られている子供の光景が近いか。
実態は超巨大ムカデだが。
……そして耳をすませると、イェルダの怒り声以外に、小声で抗議のような言葉が聞こえる。……あのムカデ、言葉喋れるのか。
やがて、イェルダが呆れたような、怒ってぷんすこしているような声と一緒に窓の向こうを指し示す。
パッと見、『帰れ』というジェスチャーに見える。
すると、巨大ムカデはすごすごと身を翻して、時折名残惜しそうに、未練がましく、こちらを振り返りながら去っていった。
……。
……え、なんだったんだろう、アレ。
唐突すぎて事態が全く呑み込めていない。
なんだか、見た目に反してやたら人間臭いムカデだったんだが。
うーん、ひとまず、害のある存在じゃないと思えばいいんだろうか?
イェルダもムカデが去ったのを確認したら、私をあやして、何事もなかったかのように戻っていったし。
…………何なんだろうね、この世界。
謎がまた一つ増えた。
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