フェイタル・ブレイク

こんぺいとー

フェイタル・ブレイク

 格ゲー。それは、一秒未満の猶予の中で行われる無数の駆け引き。

 負けたらそこで終わり――『ミス一つ許されない』という、耐え難いはずのプレッシャーの中で信じられるのは、自身の積み重ねてきた経験と知識。

 身も蓋もないことを言ってしまえば、彼らはただコントローラのボタンを押し、スティックを傾けているだけだ。

 しかしそれでも。

「強い――この男、あまりにも強すぎるッ!! 逆転につぐ逆転、目まぐるしく戦況の変わる中、五セットにも及ぶ死闘を制したのは、神葬 叶ェッ!!」

 勝利した男の咆哮。敗北した男の叫泣。

 やがて行われた、健闘を称え合う握手と抱擁は、少年――朶木 凪斗を魅了するには充分すぎた。

「凄ぇ」

 意図せず出ていた感嘆は、そのまま憧憬という形で少年の指針となる。




 ■ ■ ■


 一年後。

 東京都墨田区にあるとあるホールは、空を揺らす大歓声に包まれていた。

 それもそのはず――何故なら今日、大人気タイトルである本格的Esports格ゲー、『フェイタル・ブレイク』略してフェーブレのダイヤモンドランク大会『霹靂』が行われる日だからだ。

 当然の如くテレビの特番も組まれ、視聴率は二十パーセント強を維持している。

 そしてこの『霹靂』は、朶木 凪斗のデビュー戦でもある。

「すっげえ、広ェーッ!!」 

 この景色を見られただけでも、4G圏内かすらも怪しい田舎から、半日と諭吉を三枚かけて東京へ来た甲斐があるというものだ。

「観光気分なら帰れよ、遊びじゃねえんだぞ」

 凪斗よりも一回り体格の大きい男だ。髪がツンツンと逆立っている。

「なんだと!! でも……確かにそうだ! ありがとう!」

 指摘され、舞い上がった気持ちを落ち着かせるべく、凪斗は自らの頬を叩く。

 俺は自分を振り返ることが出来る男なのだ、と自画自賛しつつ、凪斗は疑問を口にする。

「ところでお前誰?」

「対戦表も見てねぇのかよ。お前の一回戦の対戦相手だ……ほんと何しに来たんだお前」

「対戦表? あーアレか、見たけどどうやって顔で判別……あ、名札か!」

 首からぶら下げた名札、『神葬 叶』と乱雑な字で記されたそれを見て凪斗は納得する。

(……にしても、どっかで見たことあるようなないような……)

「その感じだとこういうランクの大会初めてだろ。だからって手加減なんかしねェけど、まともな試合はしろよ。ヘタクソと戦るのは嫌いなんだ」

 記憶を遡ろうとする凪斗を遮って、叶はそう吐き捨てた。

 鋭い言葉に眼光――人一人くらいは殺していそうだなコイツ、と凪斗は思う。

 実力に関しては、実際に戦って示せばいい。口でいくら反駁した所で、ダサいだけだ。

 それでも言われっぱなしは性にあわないので、凪斗はこう返した。

「さっき何しに来た、ってお前言ったよな」

「……? あぁ」

「優勝だ。テッペン――取りに来たッ!!」

「は? バカにしてんのか」

 射抜く眼光は殺意そのもの。それでも凪斗はなお、勢いをそのままに人差し指を立てた。

「してない。絶対イチバンになってやる。俺は本気だ、大マジだッ!!」

「……口だけ野郎が。そんな甘い世界じゃねえよココは」

「知ってる! でも絶対諦めないし出来るまでやる!! そしたら出来る!!」

「だったら諦めさせてやる――俺が現実って奴を教えてやるよ、試合でな」

 無茶苦茶な理論を展開する凪斗に、叶は諦めたようにただ一言吐き捨てた。

 話は終わったが、ただ一つだけ気になっていることがあって、凪斗はそれを聞いた。

「お前の名前、なんて読むんだ!!」

「……しんそう かなえ。しんそう かなえだ」

 凪斗の思考はそこで止まった。

(ん……? しんそう? かなえ? ……神葬叶ェエエ工!!?)

 心の中で二度、三度名前を復唱する。目の前に立つ男の名札をもう一度、二度、三度と見る。葬の字が上手く読めなかったから、一目では気づかなかった。

 ――間違いない。全国のフェーブレプロプレイヤーの地位を決定づける公式ランキング、その堂々たる一位。

 生ける伝説、最年少天才プロゲーマー神葬 叶。

 あの時、凪斗が憧れた背中だった。

「……マジかよ、燃えてきたぁあ!!」




 ■ ■ ■


 フェーブレにおける心理戦は、ステージ選択の時点で既に始まっている。

 キャラのステージ適正も勿論だが、浮遊台の有り無しで使えるコンボが変わる――つまり、『このステージでこのキャラなら九割九分こいつに勝てる』というステージが、両者共に存在する。

 そしてこのステージの選択方法は、至極単純。

 ジャンケンで勝った方が、一つステージを拒否し、負けた方が残りの大会用ステージから選択する方式だ。

「……『原初』を拒否」

 凪斗の使うキャラは浮遊台のあるステージで真価を発揮するため、定石に則って浮遊台のないステージを拒否した。

「選択、『秩序界』」

(んー……やっぱそう来るよな)

 叶の選択もまた、定石。

 『原初』を拒否した時点で浮遊台に強いキャラを使うことは明白である為、浮遊台がステージの外側にある――浮遊台がゲームに絡みにくいステージを選択したのだ。

(やっぱ絞らせない方が良かったか……? いやでもそれで『原初』選ばれたら元も子もないし)

 ステージ選択のやり取りに、完全無欠な正解択など存在しない。結局、結果が出るまで答えの出ない話。

 キャラ選択を経て、Ready? の表示とともに真の戦いは始まる――。始まったのだが。

「――なんだよ、これ」

 結論から言えば。

 ――勝負に、ならなかった。

 適切すぎる差し返し、完璧すぎるコンボ、圧巻のリスク管理。

 HPという絶対的な概念が存在せず、通常攻撃を加えれば加えるほど与えやすくなる『致命攻撃』を、一度与える事が勝利条件であるこのゲー厶において基本、一方的な展開は有り得ない。

 どうやっても一撃で死ぬリスクが発生する――運によっては、初心者が闇雲に繰り出した攻撃に足元を掬われることが、往々にしてあるからだ。

 しかし神葬 叶は違う。相手の呼吸を、型を読み、未来予知にも等しい先読みで完璧なゲームメイクを成す。

 凪斗も練習だけは人一倍して来た。WiFiのない環境で、それでもずっと。

 ずっと――。

「フェーブレ? 皆でフェーブレやんの!? 俺も混ぜてよ!」

「おう、俺んち集合な!」

 始めのうちは良かった。凪斗にも、一緒にやれる友達が沢山いた。

 いつも五人ほどで集まって、楽しくプレイしていた。

 日本中のプレイヤーとやる機会が、オンラインプレイがなくとも自分は強くなれる――凪斗は、本気でそう思っていた。

「っしゃー、また俺の勝ち! なあなあ、次どこでやる!?」

「……悪ぃ、俺もうフェーブレやめるわ」

「え?」

「だってつまんねえよ、お前が絶対勝つじゃん」

「……だったら! 勝つまでやればいいだろ!」

「ンだよ、ゲームごときにそんなマジになれるかよ。ただでさえ勝てなくてつまんねーのに、どっからンなモチベ出すんだよ」

 凪斗は自分の耳を疑った。何を言っているのか、全く分からなかった。

「だから! 勝つまでやればいいじゃんって――」

「いい加減自覚しろよウゼェんだよッ! 誰でもお前みたく折れずに前だけ向いてられると思ったら大間違いだクソが! 毎日手も足も出ずに愛想笑いするだけのこっちの身にもなれよッ!!」

 フェーブレがいくら流行っているとはいえ、凪斗のようにプロを志す者は決して多くはない。

「……ごめん」

 それしか、返す言葉は無かった。

 ガチ勢とエンジョイ勢の似ているようで決して交わることのない感性の違いは、彼らの友情を引き裂く火種となって――。

 一人、また一人とやめていく。凪斗とは違い、彼らにとってフェーブレは数ある暇つぶしの一つでしかない。

(俺と一緒の土俵に立ってくれる奴……いない、欲しい。喉から手が出るほど欲しい! けど……あーもう、悩んでたって始まんねぇ! 練習だ練習!)

 それから一年。電車に乗って一時間ほど、地元から最も近い場所で開催されたカジュアルランク大会を制覇して、ようやく手に入れたプロプレイヤーの切符。飛び出して、掴んだ夢の欠片。

 だから凪斗も、コンボの精度に限れば負けてはいない。

血の滲むような努力の結晶、ずっと触り続けてきたコントローラはいつも通り、しっくりと手に馴染んでいる。それでも。

「触れない……ッ!!」

 そもそも、触れさせて貰えない。凪斗がコンボを開始する、そういう展開に持ち込ませて貰えない。

 そして、開始から約三分。

 三先勝負の内の二セットを奪い、リーチをかけた状況で叶は口を開いた。

「そんなんで勝てるわけねぇ。とっとと諦めてサレンダーでもしとけ」

「……凄ぇ」

「あ?」

 追い込まれても、歯が立たなくても。

 凪斗の心境は単純だった。

「凄ぇ、凄ぇ、一位の壁、高ぇ!! クソかっけぇなぁちくしょう!! もっと……もっと教えてくれよ!! 今、こんな楽しいのに自分からやめるなんて、そんな勿体ないこと……するわけない!!」

「……そうかよ」

 神葬 叶は、口だけが達者な奴が一番嫌いだ。

 そしてこの朶木 凪斗も、その例に漏れないバカだと――つい先程まで、思っていた。

(多分一日の半分は練習してやがる、コイツは口だけの奴じゃない。分かってる……それでも)

 ――気に食わない。その理由は、叶自身にもよく分からなかった。分からなかったが――それでも、決して譲らない。

 一度口に出した以上、決して引っ込めず現実にする。叶には、矜恃がある。

(努力も知識も経験も覚悟も、俺の方が上だ。格の差を見せつけてやる……ッ!!)

 そして始まる、第三ラウンド。ほぼ勝負が決まっているというのに、両者は火花をさらに激しく散らす。

 凪斗にとっては背水、絶体絶命、ここで負ければ全てが終わり。

 一発のミスも許されない――常人ならばそれだけで震え、まともな操作など出来ない場面。

 だが凪斗は。

(……ここに来て、精度が上がってやがる……! どんなメンタルしてやがるんだ……ッ!!)

 まるで別人のように速く、強く――。

 時間がズレているような感覚が叶を襲う。

 叶は何が起きているのか、理解に苦しんだ。

(集中力だけでこんなに変わるもんなのかよ……!! だけど呼吸は変わってねぇハズだ。……読め。先を読め!! 奴の時間の更に先を行け……ッ!!)

 未来予知にも等しい先読み。

 ――そうして叶の出した『致命攻撃』に凪斗は絶対に、間に合わないはずだった。

 凪斗の繰り出した攻撃の硬直フレームは七。そして、叶がそれを読み、正確なタイミングで繰り出した攻撃の前隙は六フレーム。

 時間にして六十分の一秒、たったそれだけ――それでも、絶対的な時間。

「うぉぉぉぉッ!!」

 凪斗は、飛び越えた。

 当たるはずのない凪斗の致命攻撃が、ヒットした音が叶のそれと同時に響く。

(読んだはずなのに……ッ!! 何で間に合ってやがるッ!?)

 そしてそのまま、お互いの致命攻撃が同時に交差して――。

 モニターに映し出された光景。それは、叶の勝利だった。

 致命攻撃をくらい、勝負の判定が行われるその一瞬が――少しだけ、叶に味方をした。

 凪斗は分かっている。叶の言う通り自分には。まだ何もかもが足りない。……それでも。

「くそ、くそ、ちくしょォオッ!!」

 溢れる悔しさを抑えられなかった。

「……何だ、今のは」

 悔しさに叫ぶ凪斗をよそに、勝利の二文字を咀嚼する暇もなく叶は考える。

(俺のタイミングが遅かった……? ミス……? いや、違う!! ズラされたッ!! こいつ、自分のリズムを……終盤、ほんの少しだけ遅くしてやがった!!)

 恐らく、狙ってやった事ではなく――本能。勝利に飢えた獣の野生だと、叶は断定する。

(何かが違えば負けてたってのかよ、クソ……!)

 素質がある。絶対に諦めない姿勢、楽しむことを忘れない心、そして脅威の野生。あるいは、凪斗には自分以上の適性があることに叶は気づいていた。恐らく、初対面の時から薄々とその異常性を感じ取っていたのだろう。

(俺がコイツを嫌いな理由は……嫉妬かよ。ダセェな。……だったら、成長したコイツを……完璧な状態のコイツを叩きのめして証明してやる。最強は俺だと)

 叶は凪斗を見下ろし、口を開いた。

「お前はクソ下手くその口だけドチビだ、俺はそうやって言い続ける」

「……」

「絶対は結果だ、勝利っつー結果だけだ。……勝ち取ってみろよ。今お前が、心の底から悔しいならッ!!」

 去り行く叶に凪斗は涙を拭って、言われるまでもないとばかりに指を突きつけた。

「……いつか、絶対!! お前を倒して……俺が、ナンバーワンになってやる……ッ!!」

 試合は終わった。

 しかし二人の勝負の鐘はむしろ――今この時より、始まりを告げる。



■​ ■ ■


 舞台の上から観客席へ。自らの敗北を噛みしめながらも、凪斗はこの機会を決して逃さない。

(人の試合を見るチャンス……!)

 洗練された立ち回り、コンボ、気づいたことは片っ端からメモに取っていく。

 そうして時間は過ぎていき、遂に――。

「さあさあダイヤモンドランク大会『霹靂』もいよいよ大詰め! 参加者千名の予選を見事通過し、本戦第一回戦を戦うのはこいつらだァ!」

「実況声でけー! つかモニターでけぇ!! ……いつか俺も、あそこに立つんだ……ッ! あっ、てかアイツ! 神葬 叶、やっぱ本戦まで行ってんのかちきしょー!」

「数多の実力者を食い散らかすTHE最強! さぁ誰かこの男を止めてくれ! 神葬 叶ェ~!」

 舞台の上に立ち、歓声に答える影のうちの一つは神葬だった。

「アイツの試合も見とかないとな……瞬き禁止だ!」

 ほどなくして始まった神葬の試合は、凪斗に驚愕を齎した。――予想していたのとは、全く違う意味で。

 神葬の完璧なプレイが崩される度に、観客が沸き上がる。まるでそうであって当然、とでも言うように、神葬のプレイを称賛する者は誰もいない。

 今この瞬間、神葬 叶に味方はいなかった。

人はエンタメに、ドラマを求める。強者が当然の如く圧勝する光景を求めている者は、どうしても少ない。だが。

「アンタが応援されない理由、分かるか?」

 叶の対戦相手――不倒 伐矢はそれだけではない、と口を開く。

「あ? なんだ突然」

「アンタのプレイはな、例えるなら水なんや。これだけは絶対曲げへんっちゅう執念が無い。アンタには自分がないんや。そんなんじゃ踊らへんやろ、心は」

「俺はそれで絶対を築いてきた、お前の事はそれなりに認めてるが、負け惜しみにしか聞こえないな。……それに、観客なんて関係ねぇよ。いつだって戦うときは……一人だ」

「カッコええなぁ、やけどまぁ――」

 弾ける、致命攻撃の稲妻。轟く歓声。

「負けるなんて、一言も言ってへんけどな?」

 不倒 伐矢――一セット、先取。

「お前、今の……まさか」

「いやぁほんま僥倖やったで。ナギトクンやっけ? アレの勝負を見れたんはデカいわぁ」

「……っ!」

 リズムの急な変更。絶対王者として君臨してきた叶を打ち破る可能性のある策。

(見てやがったのか……クソッ)

「どや? 王者のメッキ、剥がれてきたんちゃうか?」

 叶の戦法は、相手に大きく依存する。

 適切すぎる差し返し、完璧すぎるコンボ、圧巻のリスク管理。

 逆に言えばそれは、特筆すべき特徴がないという事だ。そこにあるのは突き詰めた理論のみ。

 彼の戦法の中に、彼の姿は――エンターテインメントは、無い。

「叶クン、アンタ――このゲームやめたらどうや?」

「は……?」

「アンタ、つまらんのや。見てる側もつまらん、戦っとるワイもつまらん。勝敗以前に、つまらんゲームに価値なんか無いやろ?」

「……テメェ……ッ!」

 伐矢の言葉と、あの時かけられた言葉が重なる。

 叶はそれと同じような事を、何度も言われてきた。

 目を見開き露骨に反応する叶を見て、伐矢は追い打ちをかける。

「アンタ、そういや今ノンスポンサードやんな? ワイより実力あんのにその始末。gametubeの登録者もワイは十万人、アンタは炎上して閉鎖。つまりゼロ人。全部詰まっとるやろ、その解雇っちゅう結果に。そんで絶対? 最強? どの口が言うねん、片腹痛いわ」

「……っ」

 炎上、チャンネル閉鎖、そしてプロ契約の取り消し――。

 否が応でも思い出される、苦い記憶。




 ■ ■ ■


 小さい頃からずっと、神葬 叶に友達はいない。

 勉強も運動もそこそこに出来るが、楽しくはない。少しやれば出来てしまうから、つまらない。

 必死でやって、楽しそうに失敗している彼らが、叶には理解できなくてただただ気持ち悪かった。

 世界が色褪せて見えて、人生の何がそんなに楽しいのかまるで分からない――そんな、漠然とした絶望。虚無だけが広がる日々。

 そんなある日、叶はテレビでフェーブレの特番を見た。

 一見ただの愚直な殴り合いに見えるそれの中に、緻密な計算と血のにじむような努力があるのをひしひしと感じる。

 やがて勝敗が決まり、それぞれの感情の噴出が空を引き裂く。

「……カッケェ」

 それは、脳天を貫く衝撃だった。初めての憧憬だった。

 神葬 叶の行動ははやく、その次の日にはフェーブレを買い、次の週には初めてのオフ大会へ。……結果は。

 一回戦で惨敗し、何も出来ず終了。

 神葬 叶の人生で初めての挫折。

「……やってやろうじゃねぇか」

 『出来ない』は、苦いと知った。

 『負け』は、悔しいと知った。

 ――それならば『出来る』は、『勝利』の味は?

 知りたい。その高みへ登ってみたい。

 それでも、何度努力しても敵わない。

 その努力自体本当に正しいのかさえも。

 勉強と違って、絶対的に正しい選択がない。あるいは突き詰めればあるのかもしれないが、それに必要な演算能力は人間の要領を遥かに超えている。

 運動と違って、日本中の本来戦れない相手とオンラインで出来てしまうから、井の中の蛙ではいられない。否が応でも思い知らされる、自分の無力。

 日本中にライバルがいる。そこら中に登るべき壁が乱立している。

 一つ登ったってそこにはまた壁があって、ゆく道をもう一度もう一度と阻む。

 勿論、苦しかった。悔しかった。しんどかった。辛かった。……それでも、その世界は。

 彩り、溢れている。

 二年だ。二年間の時をかけて、神葬 叶は少しずつ上へ登って行った。

 だというのに王者となった今、彼を応援する影は一つもない。

 登録者こそその知名度で伸びているものの、ストイックな性格が災いして配信は炎上の連続。

「その動きはダメだ。リスクに対してリターンが割にあってねぇ。ちょっとは頭で考えろ」

「さっきそれダメだつったろォが!! 人の話聞いてんのかカス!」

「あぁ!? 実力もねぇ雑魚が匿名だからってピーピー喚いてんじゃねえよ、嫌ならとっとと帰れ! 俺だって好きでこんな事(配信)してんじゃねえよッ!!」

 あまりにも大炎上したため、スポンサー契約をたった二週間で切られる始末。

 叶はよく覚えている。契約を切られたあの日、言われた事を。

「君ねぇ……向いてないよ。ゲームの概念は勝ち負けだけじゃあない。勝っても負けてもこう、渦巻く色々な感情の中に……楽しかった、がなくちゃあダメなんだ。それが前提だ。勿論それは君だけの話じゃない。君のプレイを見た客が、そう思わなくちゃあダメ。一流のプロはね、感動を、青春を、ドラマを! エンタメを客に与えるんだ。君、一度頭を冷やしなさい。自分が何のためにフェーブレというゲームをやっているのか、初心を思い返しなさい。……少なくとも、今の勝利だけの君に、私は魅力を感じない」

 何も、言い返す事は出来なかった。

 実力は誰よりもあるのに、プロゲーマーとして食べていくだけの域に達していない――異様な有様だった。

「……」

 何が足りないのか、全く分からない。登るべき壁はもう全て登ったはずだったのに。

 だというのに、叶はまだ。

 あの日見た背中に、追いつけないでいる。

 まだこの世界を知らぬ誰かに、まだこの世界を傍観している誰かに強く訴えかける――頭をハンマーでブン殴るような、人の人生を丸ごと変えてしまうプレイが出来ないでいる。

 ――神葬 叶のプレイでは、人々を魅了出来ない。

 それを事実として受け止められず、神葬 叶は初めて自身の無能を呪った。

 だが今更――何を変える?

 二年間、血眼で追い続けてきた結果の積み重ね、それを捨てろと言われてはいそうですかと行くわけが無い。

 執着と、自責と、どうしようもない憧憬の間で――神葬 叶は、停滞している。

「……だからって、勝つ以外の何が俺に出来るってんんだ」

 弱みを突かれて揺れる心を、叶は叱咤する。

 今まで出来なかったことが、急に出来るようにはならない。人はそう簡単には変われない。

(そもそも変わる気なんざねェよ、俺が絶対で……俺が勝利そのものだ)

 精一杯の強がりだった。譲れない矜恃を必死で守って、辛うじて折れずに神葬 叶はここにいる。

 心を揺さぶられ、人生そのものであるゲームに対する姿勢すら否定され。

 まるでこの場にいる全員に、「お前は間違っている」と言われているようだった。

 手元に残ったのは、積み重ねてきた勝利だけ。

(それすらも奪われたら、俺に何が残るんだ……ッ!!)

 焦る。焦れば焦るほど、完璧だったハズのプレイは乱雑になっていく。

(……違う。俺は、俺がこんな所で負けるわけねぇ、俺は、俺は……ッ!! 負けたら、俺の二年間の意味は……ッ!!)

 流れるように二セット目を落とし、三セット目。絶対王者の姿はもう、見る影もなかった。

「もうグズグズやな。んじゃま、ごちそうさまや」

「く……っ、そ」

 三度目。光る、致命のエフェクト。実況が立ち上がり、波乱に震え声を絞り出す。

「まさか――まさかまさかの展開だァァ!! 王者神葬 叶、手も足も出ず敗れるッ!! 勝者はこの男、不倒 伐矢! 新たな伝説の幕開けかァア!?」

「もしアンタに勝つ日が来たら、こうアドバイスしたろ思うとうたねん。そう、アンタな」

 続いた言葉と結果に、叶は一言も発することが出来なかった。

「ゲーマー、向いてないで」

(……知ってる。そんなのとうに知ってるんだ……でも、俺は……クソ……!)

 今まで自分を否定してきた周囲の声が、どんどんと大きくなる。

――「勝利だけの君に、私は魅力を感じない」

――「アンタ、つまらんのや」

――。

「そんなことないッ!!」

 刹那。ぐるぐると渦巻く言葉が、たった一人の咆哮に打ち消された。

 心を根元から折られ、絶対の勝利というコンセプトさえも失った叶の代わりに叫んだのは。

「……お前、何でここに」

朶木 凪斗――と。警備員と思わしき男二人が、どこから入ってきた、やめなさいなどと喚いている。

「だって俺はお前とのフェーブレスッゲェ楽しかった!! クソ上手くてクソかっこよくて、性格はクソだけどこうなりたいって思った!!」

 唐突の反駁に困惑し、押し黙る伐矢をおいて。

 凪斗は勢いのままさらに、叶を指さす。

「やい叶! お前一回負けたからって死にそうなツラしてんじゃねーぞ! 人には偉そうにしたくせに自分が負けたら泣いちゃうんですかァーッ!?」

「な、泣いてねぇよッ!! そ、それより……お前、それは本当なのか」

「それって?」

 聞き返すことを、格好悪いとは思った。

 それでも叶は、ズタズタになったプライドを一人で守る事に限界が来ていた。

「俺との試合は……楽しかったのか」

「あぁ!! スッゲー楽しかった!! ビリビリ来た! そもそも俺がフェーブレ始めたのは、テレビでお前の試合見たからだ!! 完璧なプレイも、涙が出るほど笑っちまうくらいの強さも、纏めて全部『お前らしさ』だろ!! 俺と戦った時みたく強気でいろよ、負けたからって好き勝手言わせてんじゃねえよ!!」

 状況は、何も変わっていない。

 自身のアタリの強い性格も、相手に依存しすぎるプレイスタイルも、『誰もが憧れる強さ』にもまだ辿り着いていない。

 何も変わっていないのに、叶は自分の心がぐっと楽になるのを感じた。

(……救われた気に、なってんじゃねえよ……!)

 認めたくなかった。自分の方法が間違っていると認めてしまったら、今までの努力が否定されてしまうようで嫌だった。

(それこそ逃げじゃねえか。……どうかしてたんじゃねえのか、俺……ッ!)

 叶はそして、凪斗に負けないデカい声で叫ぶ。

「壁は絶対に登る、必ず克服する……ッ! 次は負けねぇ、絶対だ、絶対負けねェ!! お前も観客も皆楽しませて、それで勝ってやる!! 俺はもう逃げねェ!!」

「少しは折れるって事を知らんかい、厄介やなぁ……」

 面倒くさそうにそう返す伐矢の言葉を、叶は訂正する。

「いや、折れた。ボキボキだった。それは俺と戦ったお前が一番実感してただろ」

「……」

「今思えば、リズム変更の戦法にだって弱点はある。見様見真似だし、ボロもあったと思う……。回数を積めば、リズムを変える瞬間自体読めるはずだしな。でも、それに気づけないほど俺はどうかしてた――だから、お前には感謝してる。このままじゃ俺は、絶対になれないって分かった」

「……ほんま厄介この上ないわ。アンタが失敗を認めるなんて、隕石でも降るんちゃうか」

 対戦後の握手。負けを背負ってそれをするのは、叶にとっては久しぶりだった。

 頭にかかっていたモヤが、すっかり晴れた気がする。対戦前よりも晴れ晴れとした気分で叶は会場を後にした。

「ったくしっかりしろよー。お前を倒すのは俺ってさっき決めたのに、もう玉座奪われてるじゃねえか」

「……元々座った気になってただけだ。それに、今日はアイツの方が強かったけど、明日は違う。次は絶対に勝つ」

「え、なに、明日も大会あんの? それ俺も出られる?」

「モノの例えだバカ」

 イライラしながら訂正する叶をよそに、凪斗はあっと思いついたように人差し指を立てた。

「あ、てかこれで俺ら両方脱落じゃん! 二人で観戦しようぜ折角だし!」

「あぁ? なんでお前なんかと……」

「どうせお前友達いないんだからいいだろー。俺一人じゃ分からねぇ事もあるし教えてくれよ色々! ほら行くぞ!」

「あ、コラ待てテメェ! 俺の前を歩くんじゃねえ!」

 挫折があるから、壁を知るからこそ、人は空を仰いでその向こうを志す。

 一人は、スタートラインから。一人は、仮初のエンドラインから。

 時を同じくして転げた二人は、頂点を目指して再び駆け出していく。

 先にたどり着くのははて、どちらなのだろうか。

 それはまだ――今は誰にも分からない未来の話。


(10425文字)

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