十二、

 夏休みが始まって最初の週末、母はレンタカーを運転して僕を迎えに来た。見慣れないワゴン車に、僕は家から持ってきた学用品から服まですべて詰め込むように言われた。マユミちゃんは出てきて、荷運びをじっと見守っていた。母とマユミちゃんはずっと言葉を交わさなかった。

 母は最後にマユミちゃんに、非常に慇懃な口調で「ではお世話になりました」と言って、この家にどう見ても似つかわしくない高そうな菓子折りを渡していた。僕はそれを車の助手席から黙って見ていた。

 車のエンジンをかけると、母はそれまでとはうって変わったような明るい表情になり、「ねえ、お腹空いた?喫茶店で何か食べない」と聞いた。車は、僕たちがこれから生活する東京近郊の街に向かっていた。母はそこでアルバイトから始めて正社員に昇格し、マンションも契約して住む家も整え、僕の親権をとってくれたのだった。

 その夏休みは僕が前から憧れていた沖縄旅行に行った。

 絵の具を溶いたみたいに真っ青な海でシュノーケルをした。アメリカ風の大きなハンバーガー、それに和食にも中華料理にも似ている沖縄料理も食べた。僕は時々、マユミちゃんや佑樹、それに父のことを思い出した。けれど、僕と子供みたいにはしゃぐ母の顔を見たら、そんなことはとても言い出せなくなってしまった。母のこんな表情は、父と一緒に暮らしていた頃には見たことがなかった。

 沖縄から帰ると、僕たちの新しい生活が始まった。僕は新しい学校に転校した。母は毎日遅くまで働いていた。僕は沖縄で食べたゴーヤが美味しかったので、ちゃんと本を買っていろいろな料理を研究し、母に作ってあげた。母はマユミちゃんのように買ってくる食材をしょっちゅう間違えたり忘れたりしないので、心底ほっとした。


 父とは、それからも年に何回か会っていた。マユミちゃんは僕が出ていってすぐ、酒屋店員の仕事も辞めてしまったらしい。おそらく(いつものように)、父が「辞めても生活の面倒は見てやる」と言ったからだろう。

 佑樹のことも、父と会うたびに聞かされていた。私立中学には落ちたが、地元の中学でバスケットボール部に入って楽しくやっているのだという。その中学は僕の通っていた小学校の隣にあって、制服が昔ながらの暑苦しい詰め襟だった。僕の通うことになった中学は今どきのモスグリーンのブレザーで、しかも夏服は涼しい素材だった。でも、そんなことはどうでもよかった。僕はもう佑樹と会っても話が合わないかも知れないと思った。母子家庭になったから、母に悪くてユニフォームを買わなければならない運動部に入ることはできなかった。その代わり、調理部に入った。土曜日に部活動で調理をして、そのまま昼ごはんを食べられるというメリットがあった。母は土曜日も残業で会社に行っていることが多かったから、一人で昼ごはんを食べないで済んだ。

 母は経済的にかなり頑張って、奨学金なしで僕を大学まで上げてくれた。大学受験の年、父から「マロが死んだ」という連絡があった。腎臓炎を起こし、体調を悪くしていたのだという。「引っ越しなんてさせなければもう少し長生きしたのかな、猫は家につくものだから。」父は住んでいた家を出て、会社も一部を売り、人生の新しいスタートを切ろうとしていた。

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