十一、
次の日は畑中の家に行ってカレーを作った。ルーから作る本格的なやつ。苦労して材料を買い揃え、本で読んだ通りにやっていたのに、途中から畑中の姉貴が割り込んできて、小麦粉のルーを焦がしてしまった。そして言ったことが、「あんたまだ小学生なのに、台所で勝手に火を使っちゃだめじゃない」。
後から考えてみればそれも一理あるが、ともかくその時僕は将来こういう女を彼女や奥さんにしたくないと思った。結局焦げた味のするカレーを三人で食べた。玉木慈は、この日ついに来なかった。
子供時代の佑樹と最後に会ったのは、もうすぐ夏休みになる頃だった。僕とマユミちゃんが生活する家に、今晩ご飯を食べに行きたいと言って突然電話をかけてきた。僕はちょうどキムチ入りのお好み焼きを用意していたところだったので、急遽粉と具の量を増やして、マユミちゃんと佑樹と三人で食べた。佑樹は自分で持ってきた小さなスイカを、真ん中から放射状ではなく、まず縦四つに割り、次に上から下へ順に切り分けていったので、甘いところとそうでないところができてしまった。真ん中の大きくて甘いところをさっそく独り占めにしようとした佑樹に、僕はさすがに腹を立て「おい、不公平だろう」と注意した。佑樹はニヤリと笑った。ふとマユミちゃんの方を見やると、端っこの白くて全然甘くない部分を黙ってシャクシャクと齧っていた。気が付かなかったのか、それとも僕たちに一番甘い部分を食べさせてくれようとしたのか、それはわからなかった。
スイカを食べ終わると、僕は今日返された算数の小テストの間違い直しを始めた。佑樹は「おー、うちのクラス明日それやるんだよ、見せろよ」と問題を覗き込んだ。僕がそれを拒否すると、佑樹はこれ見よがしに自分のカバンから塾の問題集を出して解き始めた。中学受験の練習用として配られた、マークシートの答案用紙。マユミちゃんはそれを見て、「その丸を真っ黒く塗るだけなの?簡単だよね」と呟いた。佑樹はどう答えていいのか困っていた。
スイカの皮を勝手口の外にあるごみ箱に入れに行く時、佑樹は僕を呼び止めた。
「辰起、いなくなるんだって」。
僕は驚いた。そんなことは僕自身まったく知らされていなかったからだ。
「うちの母さんが言ってたぞ。辰起はこれからお母さんと一緒に暮らすんだって。だから、もう俺とは会えなくなるって。」
僕は目の前の佑樹を見つめた。僕たちは近所に住む幼馴染、同い年のいとこ同士だった。お互い喧嘩もしたし、腹の立つこともあったけれど、一人っ子どうしだったから兄弟みたいなものだった。
「俺が今日ここに来たこと、お前の親には言うなよ。」
辰起は土間の古い蛇口で、スイカの汁まみれになった手を洗った。金属製の流しに、水が流れるダダダという音が響いた。
「もーここの家ボロだから、建て替えたほうがいいな。」
「俺の父さん長男だけど会社が儲かってなくて、金がないんだ。悪かったな。」
長男が他のきょうだいの面倒を見るのが当然とされている保守的な土地柄で、それは小学五年生の僕の思考回路にも無意識のうちに染み付いていた。佑樹はすると、「大丈夫、俺が将来建て替えてやる」と言った。
「しかも家じゃなくて旅館にするんだ。俺たちが大人になる頃には、こういう家を面白がってわざわざ外国から人が泊まりに来るようになってるさ。俺は旅館のオーナーになる。儲かるぞ。」
「じゃ、マユミちゃんはどうするんだ。」
「さあな、結婚でもすれば。」
僕はこうやって将来のことに楽観的になれる佑樹を、本気で羨ましく思った。そして、自転車に乗って暗い夜道を走っていく佑樹を、家の前の空き地から見えなくなるまで見守っていた。僕の中で子供時代の佑樹の記憶は、ここで終わっている。
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