九、
僕は急激に大人びた。学校の支度も、食事の支度も家のことも、忘れたりうっかりしたり焦ったりはしたけれど、何とか自分でこなせるようになった。林間学校や家庭科の授業で使う布代など、お金が必要になると父に電話をした。父は、僕のいる学校へやって来てくれたり、近所のハンバーガー屋で会ったりした。だが、もと住んでいた家に戻ることはなかった。帰りたいと言うと父は「そのうちな」と話をはぐらかした。僕は、マロが元気かどうか知りたかった。父は、夏毛に生え変わる頃だからブラッシングをしていると言った。その頃母は、自分の使っていた家具類や服や本を父の留守に家に入っては持ち出しており、部屋の中はスカスカになっていた。それを僕に見せたくなかったのだと、後年父は語った。ガランとした部屋の中で猫の冬毛を抜いていた父を思うと、僕は何とも言えない気持ちになる。
マユミちゃんは水商売の仕事を、一ヶ月余りで辞めてしまった。夜遅く、僕が寝てから父と電話をしているような声が聞こえて、それからすぐに辞めてしまったから、父に何か言われたのかも知れなかった。
そして今度は酒屋の店員になった。昼の勤めだったので、僕と一緒に朝も夜も食事をして、同じ生活リズムになった。それはよいことだったのだろうが、今度は僕に、ある種の抵抗感が芽生えてきた。考えてもみてほしい。多感な年頃に、母親でもない若い叔母さんと二人で生活しているなんて、なんとなく気恥ずかしいし、友達に言ったらからかわれるかも知れない。それで、僕は学校から帰ってくるとチャーハンなどを作り、マユミちゃんが仕事を終えて帰ってくる六時半頃より前に、さっさと掻き込んでしまうようになった。顔を合わせるのが気まずいのだった。
ゴールデンウイークが明けると、林間学校があった。県内の自然公園でハイキングをしたり、夜にはキャンプファイアをしたりして楽しむのだった。僕は久しぶりにスーパーに買い出しに行かなくていいことが嬉しくて、初めて自分が生活に疲れていたことを知った。他の同級生たちはそんなことを思っていないだろうと思うと、急に皆との距離ができてしまったことを感じた。
カレー作りでは、佑樹たちのクラスと隣になった。佑樹は僕を見かけると、紅白帽子を脱いでバタバタさせながら「よ~お、マユミちゃんと元気にやってる?」と聞いてきた。「えーマユミちゃんって誰よ~」と後ろの奴が茶化した。佑樹は調子ばかりよくて、他人の繊細な感情に鈍感な奴だ。
「俺らの叔母さんだよ」「こいつ今、叔母さんと暮らしてんの」「えーなんで」「まあ俺たち親戚もいろいろあんのよ」。
せっかくきれいな自然の中に来たのに、僕は一瞬で現実に引き戻されてしまった。そこで気を紛らわそうと、班の女子の玉ねぎの切り方が下手だったので、「おいちょっと貸せ」と言って、カレーが美味しく作れるよう、薄くて揃った切り方にした。毎日親に料理を作ってもらっている奴らには負けない自信があった。
佑樹に見せようとしたが、すでに先生に呼ばれて自分たちの班の方へ戻っていったところだった。僕は悔しかったけれど、振り返って班の女子二人に「ま、普段から作ってるからね」と自慢した。
僕はなるべく何も考えずに、明るく振る舞おうとしていた。それは自分で環境を変えられない子供に、神様が授けてくれた本能なのかも知れなかった。
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