八、

 それから僕は毎日、バスに乗って学校へ通った。相変わらず外国人労働者たちと一緒だった。僕がじっと見上げると、彼らもにこりと笑みを返してくれるようになった。席が空いている時は、学校の図書館で借りた子供用料理の本を広げて、今日の晩ご飯はどれにしようかと考えた。外国人労働者たちは優しくて、なぜか僕に席を譲ってくれたり、よくわからない言葉で僕のことを話し合ったりしていた。今となっては、彼らも故郷に子供がいたのかもしれないと思う。言葉のわからない人たちの中にいるのは最初だけ不安だったが、すぐに慣れた。

 僕はカレーが作れるようになった。お好み焼きが作れるようになった。グラタンを焼こうとして、マユミちゃんの使っているオーブン機能つき電子レンジが汚かったので、家庭科の先生に聞いてスーパーで重曹を買ってきてピカピカにした。それで、他のこともやってみたくなって、図書館へ行って主婦向けの雑誌も借りていろいろと研究するようになった。

 一方のマユミちゃんは、新しい仕事を見つけた。水商売だった。僕が学校から帰ってきて、曇りガラスの扉をガラリと開けると、マユミちゃんはだいたい居間で化粧をしたり、カーラーで髪の毛を巻いたりしていた。それを見ると、多感な年頃に入った僕の心は冬にアカギレの手でこすられた時みたいにザラザラしたが、すぐに今夜は何を作ろうと気持ちを切り替えた。夜、一人でご飯を食べて残りをラップにくるんで冷蔵庫に入れておく。朝方マユミちゃんが帰ってきて、僕の作った料理を食べている気配を感じながらもう一眠りする。そして、しばらくすると起きてマユミちゃんを起こさないように気をつけながら前日スズヤで買ってきたパンを食べた。

 それで、学校の勉強もしなければならなかったし、食器の片付けもマユミちゃんはすぐ忘れてしまうし、僕の生活は一気に忙しくなった。宿題はよく考えないでザザッとやるしかなかったから、翌日先生に聞かれても答えられないことが増えたし、授業中もぼーっとしていて、図工の時間に使う絵の具や体操着をよく忘れるようになった。

 そうして、数週間が経ち、もうすぐゴールデンウイークを迎えるある日、学校から帰ってきて引き戸を開けた瞬間中に人影が見えた。室内の薄暗い照明に照らされたその人の表情を見た時、僕は胃がびくっと震えるのがわかった。

 それは、他でもない母だった。

 母はちゃぶ台の脇に仁王立ちになり、マユミちゃんを見下ろしていた。マユミちゃんは化粧中だったらしく、出勤着の丈の短いワンピースを着て、頭にはヘアバンド、肌には既にファンデーションを塗ったところだった。

 母は僕の顔を見ると、「おかえりなさい」と言った。

 僕は母が哀れになった。ここは自分の家でもないのに「おかえりなさい」だなんて。

 母はまだ僕の方を向いて、何か言いたそうだったが、言葉が出てこない。代わりに、マユミちゃんの方を向いて「あのう、こういうことを申し上げるのはなんですが、マユミさん、」とやけに丁寧な口調で言った。

「子供を預かるのにもっと、ふさわしい職業ってあると思うんですが」。

 ぞくっとする言葉だった。僕たち三人は、言葉を交わさずに固まっていた。やって来た夕方の空気が、土間のコンクリートを冷やし始めるのが感じられた。

辰起たつき」と母は僕の名前を呼んだ。その後に母が言いたかったであろう言葉を、僕は知っていた――「帰ろう」と。でも、母はその頃、東京近郊でようやく仕事を見つけ、知人の家に間借りしてこれからの生活基盤を整えているところだった。僕をそこへ連れて帰ることはできないので、母は代わりに、僕に服屋の袋を渡した。イトーヨーカドーじゃなくて、ブランド名は忘れてしまったけれどお洒落な若い男が服を買うような店(まだユニクロが台頭してくる前だった)のロゴが入っていたのを覚えている。

「夏物よ、着てみなさい」。

 母はその場で僕に着替えるように促したが、僕はもう、女の目の前で服を脱げる年頃じゃなかった。そこで、「自分の部屋で着替えてくるよ」と言って、逃げるように自分が寝起きしている部屋へ向かった。古い板張りの廊下が、ギシギシ鳴った。夕方ともなれば家の奥は薄暗い。部屋に駆け込み、床に座り込んで膝と顔を畳にぺたりとつける。自分の心臓がドクドク鳴っているのがわかった。部屋の外からは、まだ何の声も聞こえない。出て行きたくなかった。僕はそのまま、辺りが真っ暗になるまでそうしていた。それから、勇気を出して服の袋に触ってみると、ジーパンとその頃流行していたスポーツブランドのトレーナー、それに、何か四角いものに触れた。古い電気スタンドの紐を引っ張って確かめると、茶封筒に一万円札が入っていた。僕はそれをなぜか見られてはいけない気がして、慌てて財布に入れた。

 玄関にはもう母はいなかった。その日出勤前のマユミちゃんは、どこにあったのか珍しくレトルトのカレーを温めて食べさせてくれた。僕はそれを無言で食べ、出勤するマユミちゃんを見送った。


 僕は大人になるまで、この時の母を許せないでいた。確かにマユミちゃんは子供を預かりながら水商売をするような人だったけれど、母も僕たちを置いて家を出たのだ、あんなことを言う資格はなかっただろう。

 僕の母は若い頃東京で雑誌編集者として働いていて、父と知り合い結婚した。そのまま僕が生まれ、「共働きを続けながら子育てするものだと思っていた」が、「とんだ災難」が起きた。僕がまだ物心つく前、父方の祖母が亡くなって、父の妹であるマユミちゃんが残されたのだ。父は何としてでも故郷に戻ると言い、勤めていた会社も辞めて、地元で文房具関連の会社を始めた。母は好きだった自分の仕事も辞めてついていくしかなかった。父の会社は、パソコンが普及し始めた時代の流れについていけず売上は悪かった。それなのに父はこのマユミちゃんを名義上の役員にして、毎月報酬も支払っていた。家の生活費はほとんど、母がパートで稼いだものだ。都会の出版社で働いていた母にとって、田舎の小さな町でのスーパーや工場のパートは面白くなかったに違いない。

 今なら理解できる。母はマユミちゃんだけでなく、父も、父の親族も、あの町のすべてが嫌いだったのだ。

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