三、
佑樹と僕は同じ小学校で、同じ学年だった。行動範囲の広がる年頃になると、僕は佑樹を誘って自転車に乗り、よくマユミちゃんの家へ行くようになった。そうすると父が喜んだし、古い家は部屋もたくさんあって、子供心には楽しかった。大きな納戸にはいつのものかもわからない古い畳が立てかけられており、そこから階段を上がると屋根裏で、僕たちは探検ごっこや隠れん坊をして遊んだ。
マユミちゃんは仕事をしていたりしていなかったりで、今思えば定職についている様子もなかった。僕たち二人がやって来ると近所の郊外型スーパーに連れていき、お菓子を買ってくれた(今思えばそのお金も父が出したものだったのだろう)。ここは家なら絶対に許されない、お菓子の食べ放題ができた。だがマユミちゃんが必ずカリカリ梅を買うのには閉口した。僕は苦手だといつも言っているのにマユミちゃんはそれを覚えられず、しかも佑樹が僕に強制的に食べさせるのだ。マユミちゃんは、大人なのに何も注意もしないで、梅を僕の口に突っ込む佑樹と、唇をシワシワにして呑み込む僕をにこにこ笑いながら見ていた。僕たちは可愛がられていたと思う。それはまるで子供がハムスターや亀を可愛がるような、危なっかしい可愛がり方だったけれど。
学年が上がるにつれ、マユミちゃんが僕たちの世話をしているのか、それとも僕たちがマユミちゃんの世話をしているのかよくわからなくなってきた。ポケモンが流行りだした頃のある日、マユミちゃんは唐突に「ポケモンのパンを買ってきてあげる」と言った。僕は何だか嫌な予感がして、「ついて行くよ」と言った。だが佑樹が「ポケモンカードを持ってきたから一緒に遊ぼう」と誘い、「マユミちゃんが買ってきてくれるって言うんだから一人で行けばいいじゃん」と主張し、さらには「俺はリザードンのやつがいいな」と注文までつけた。不安がる僕を尻目に、マユミちゃんが家を出ていくと、佑樹はリュックの中から箱を取り出し、「ほら、美味いぞ、マカダミアナッツチョコ」と僕に勧めた。「母さんがマユミちゃんに知られたらダメだって。うちがハワイに行ったこと、言っちゃうかも知れないから。」
その日マユミちゃんは、真っ暗になっても帰ってこなかった。まだ携帯電話というものが普及していなかった時代である。どこに行ったのかまるで見当もつかないまま、僕たちも帰らなければ両親に叱られる時間になってしまった。僕は泣きそうになりながら、この家の電話から自分の家に電話をかけた。電話に出たのは父だった。
マユミちゃんが帰って来ない、と言うと、父が緊張するのが電話越しにも伝わってきた。「行き先に思い当たることは」ときつい口調で聞かれたので、僕は「スズヤ」と答えた。例の郊外型スーパーの名前である。父はそこに電話して、マユミちゃんが行っていないか問い合わせた。館内放送までしてもらったが、いなかったそうだ。
マユミちゃんは結局、夜の八時近くなって帰ってきた。「リザードンのパンがあったよ」。疲れてはいるが、達成感に満ちた目をして袋からパンを取り出した。スズヤにはなかったので、隣町の店まで行ってきたそうだ。だがその時、佑樹はマユミちゃんの家にはいなかった。六時のチャイムが鳴る頃、カスミ叔母さんが車でやってきて、一緒に帰っていったのだ。「パン、食べたかったなー」という一言だけ残して。
一方の僕は、不安に苛まれながらその古い家の居間で一人待っていた。父から電話で「マユミが帰ってくるまで待っていなさい」と命令されたのだ。ようやく帰ってきたと家に電話をかけたら、父が車で迎えに来てくれた。だが僕を見るなり父は「どうしてお前がついていってやらなかったんだ」と怒鳴りつけた。マユミちゃんのことも叱ったが「これから携帯電話を持たせてあげようか」という僕よりずっと優しい言葉をかけていた。僕は黙っていたが、佑樹がけっこう悪いんじゃないかと思った。だけどそう言っても父は聞き入れないだろうし、佑樹自身もきっと「マユミちゃんがこんなに遅くなるなんて思わなかったもん」とへらへら笑うぐらいで、何も反省などしないだろう。怒られるのはいつも僕一人だ。
家に帰ると、今度は母が父を怒鳴りつけた。僕に夕食も食べさせずにマユミちゃんが帰ってくるまで待たせていた父を母は非難し、僕に居間のテーブルで一人食事をさせて、自分たちは寝室に行って言い争いを続けた。言い争いの声は最後に母の泣き声になり、「……どうしてうちばっかり……あっちの家は、ハワイなんて行って……」と言うのが聞こえてきた。僕はふと、ニヤリと笑ってマカダミアナッツのチョコレートを出してきた佑樹の顔を思い出した。さっきは二度と遊んでやりたくないとまで思ったが、こうして母に佑樹の一家が責められているのを聞くと、そう言えばさっきもらったチョコレートはなかなか美味しかったな、と少し庇ってやる気になった。
すべてを棚の上から、マロが見守っていた。
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