第233話 公演タイトル『若侍任侠日記 文鎮の陰謀!』
戻ってきた芝居小屋は贅沢にいくつもの明かりを灯して、一座全員で熱の籠った会議が行われていた。
大まかな方針は話していたので多少は自分たちで考えてくれるんじゃないかなと期待していたが、これは良い意味で期待を裏切ってくれた。
「兄さん!
入ってきた途端に飛びついてきた浦衛門氏に許可が下りた事を伝えると、はーっという深いため息をついて安堵してくれた。正直なところ場当たりの行動だったので、白雪様から許可をもぎ取ってくれたろくろちゃんに屏風覗きこそ感謝したい。
城が無理だったら離れという中継地点を飛ばし、事後承諾狙いで九段神社に連れて行かなければならなかったからな。いくら貸しがあるとはいえ、突然訳ありの
「これで貸しふたつやで。早よ形のあるもんで返してな?」
後ろでいっひっひと笑う化け傘ちゃんが怖い。次の給金がいつか分からないこの状況、本気で副業でもしないとマズいかもしれない。
「っしゃぁ!」
こちらと違って気がかりの消えた浦衛門氏は、顔を平手でパシパシと張ってやる気を
「そりゃ屏風の兄さんが持ち込んだお話でしょう? 台詞ひとつで芝居はガラリと変わっちまう。ちゃんと内容を詰めてから芝居を作りてえんですよ」
いや、プロに任せたいから持ち込んだんだけど。という言い訳は聞いてくれそうにない。車座で座る一座全員の目が『寝不足と疲労が一周回って興奮している社畜』のようにギラギラしている。根っから芸能が好きで天職なんだろうな、怖い。
―――まあ、
人でなしの屏風覗きは今回の
初対面のとき、やや後ろ向きで非協力な印象を受けた浦風一座の面々は、普通に話してもこちらの要求を断る可能性が高いと感じた。特に浦衛門とモメている状態ではぜんぶ面倒になって、こちらの話もまともに取り合ってくれないかもしれない。
だが、元から役者稼業を営む彼らは感受性が強いはずだと考え、感情の
ざっくり言うと『その場の勢い』を引き出せないかと考えたのだ。浦衛門と
一座は浦衛門を嫌っているわけではない。『できれば助けてやりたいが』という空気はあった。『自分たちがリスクを負うのが困る』だけで、それさえ解消されれば彼らは協力的になる。そう感じた。
なら、彼らが忌避する
普段より
これは人間の心理の話だ。しかし、人に似せた社会を作る彼らなら、それも芝居までする彼らなら同じような感覚を持っていると期待した。大当たりだったようだ。
―――そうして生まれたいくつかの心理が、
まず、浦衛門は
彼は表面上こそ人質を取られたと思わないかもしれない。だが
一座も
そしてこの場に限り、心理的に
声の大きいものが同調すれば後はドミノ倒しだ。一座という細胞は否応なく司令塔に従って動き出すしかない。おそらくいるであろう慎重な幾人かの内心で警鐘が鳴っていても、仲間との空気を守るために彼らも同じ方向を向くしかないのだ。
場が整ったと感じた
嘘か誠かはこの際どうでもいい。物的証拠となるものは何一つ無くていい。
真実として広めてしまうから。
人間が使い倒してきた常套手段。相手を貶めるネガティブキャンペーン。
数日後、巷で熱狂的な人気を博す芝居が立った、という話を西の外周にあったこじんまりした茶屋で休んでいる際に夜鳥ちゃんから聞いた。
近頃の日中は本格的に暑くなって小マメな水分補給が必須である。優しい甘さの黒蜜のところ天もいいが、抜けるような青空に昇っている入道雲を眺めていると、無性にソフトクリームが食べたくなる。ソーダアイスでもいいかな。
「途中から客がとても小屋に収まらず、他の一座を巻き込んで両隣の芝居小屋の壁を開放して繋げてしまいました。さらに登場人物を増やし複数の一座総出で演じているそうです。南どころか他の町でも近年稀に見る大作と大評判でございます」
内容はほぼベタな勧善懲悪もの。浦衛門扮する主役の若侍が、とある実在する両替商とその手下の陰謀に気が付いて、義を正すために気のいい〇クザたちと奔走するというストーリーだ。
ほぼ、というのは両替商の主人にひそかな想いを寄せる手下の恋と献身、という敵方の人情パートもちょろっと挟んでいるからである。
敵役の陰謀劇はともかく、こっちの恋愛パートは屋台で話した際に十手から感じた文鎮堂主人、
芝居の中とはいえ、秘めた想いを持つ敵側の主人公なんぞにされた
正直やり過ぎと言われたら弁解できない。あの日徹夜で一座と顔を突き合わせ、その場の勢いでシナリオを叩き出したせいだ。
我に返って一度思い直したのだが、恋愛要素が入ったほうが絶対ウケるからと鼻息の荒い一座に押し切られてしまった。幽世の妖怪は女性型が多いせいか色恋沙汰の物語はみんな大好きらしい。
看板役者の浦衛門氏もこういう話が好きらしく、いっそ自分が想われている敵の主人をやりたいと言う始末。
いや、君が
「案を出したのは間違いなく屏風様ですよね? このような楽しい催しにわたくしを呼んで頂けないなんて、あんまりです」
よよよ、などと安い芝居をする
さすがに芝居小屋ひとつの発信では宣伝効果が薄すぎるのは自明の理。そこで情報通として知られている彼女に頼んで『そういえばおもしろい芝居が立った』といった感じに、分身体の皆様に協力してもらってクチコミであちこちに宣伝してもらったのだ。
芝居は屏風覗きが発案した草案よりもやや尖った感じに修正が加わったらしいが、そこはプロの芸人である彼らの判断に任せた。こっちも忙しいので観に行ってないんだよね。観覧した芸能好きの夜鳥ちゃんの報告で成果に花マルを貰えたから放置している。餅は餅屋だ。
素人がいい加減なアイディアを出して仕事完了間際の現場を混乱させる、ダメ絶対。う、頭が。
「飲み屋連盟は次々と脱会者が出て、あっという間に分解しました。十手八丁など逃げ回っているのか昨日から表を歩いていません」
妖怪は義理人情を重んじ、筋を通さない者に強い不快感を示す。
浦風一座の芝居を通じて文鎮堂と十手の結託を知った飲み屋連盟の加盟者たちは、裏話を隠して動いた十手を不義理とみなし、自分の店が損をしてでも次々と三下り半を叩きつけ出したという。
ちなみに『三下り半』は厳密には昔の離婚届の一例で、当時の男尊女卑社会的に読み書きを学ばせてもらえず離婚届が書けない女性のため、『||||』みたいに三行半の棒線を引けば書けたとみなして離婚を認めたという救済措置が元になった言葉である。関係ないけど。
カッとなって飲み屋連盟を脱退する者以外にも、冷静に文鎮堂へ事実確認するため徒党を組んだ店主たちが押し寄せて今現在も大混乱らしい。
いくら力のある大店と言っても、あらゆる商売人から揃ってそっぽを向かれたら表の顔ではお手上げだろう。裏の顔を出そうにも今回の騒動は規模が大きすぎて、もはや静かに収拾をつけるなどできまい。
ひとりふたり、あるいは南の町だけなら彼らの金と力で脅せたかもしれないが、北西東、その外周、中周り、奥周り全てまで相手取れるほど文鎮堂に力はない。
無いのだ、さすがの文鎮堂にも。
こちらでも調べたし、色々な形で教えてもらった。連中の事を。その正確な全容を。
お願いすれば夜鳥ちゃんの掌握する雀ネットワークでリアルタイムの情報が入った。商人会へ国から派遣された者としてコンタクトを取れた。ひなわ嬢に代表される知り合いの見回り、守衛の兵からも話を聞けた。
横着せず足を使って聞きまわった。屏風覗きは様々な方法で大量に情報がもらえる立場にあったのだ。そこに気付けば文鎮堂の
大きな勢力ほど潜在的な敵対者はいるもので、奥周りの『本当の老舗店』からの心象は妙に悪かったのだ。あの両替商は。
ここ数日の屏風覗きは街に繰り出して遊んでいたわけではない。毎日クソ暑い中でろくろちゃんと城下を練り歩き、聞き込みついでに様々な店で文鎮堂と十手の話も陰謀の話も流してきた。
中にはろくろちゃんを接待してくれる店もあって、町で
文鎮堂に否定的な店に共通するのは『国への恩』『御前への忠』『老舗』で、まだ国が国として立ち上がっていない頃から裸一貫でやってきた
彼らもまた白ノ国は自分たちが作ったという自負があり、彼らを守り導いた白玉御前の統治を軽んずるような十手たちの思想が気に入らなかったのだ。
客観的に言えば決して十手氏たちの思想は悪ではない。ただ、皆で磨いた白いキャンパスに突然違う色をブチ撒けるには時代が早すぎたのだと思う。少なくとも万人から慕われる白玉御前の統治に大きな陰りがない限り、白ノ国に資本主義はかみ合わなかったのだ。
後は文鎮堂たちが音を上げるのが先か、芝居ブームが去るのが先かの勝負。浦風一座たちの手腕に期待しよう。
一方で、こちらの裏目的はまだ終わりが見えない。
早く来いよ、長治。
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