第222話 別視点。甘く、濁った雀
東西南北。城下のすべてを見下ろす威容。その名は音に聞こえし白猫城。
白ノ国を統べる国人の住まう居城であり、幽世に数ある城の中でもっとも優雅に作られた城と称される。民草にとっては別世界の建物であり、御用聞きの大商人や名工などの職人、あるいは格の高い芸人しか入る機会など無い場所。
例えば夜鳥が姐さんと慕うみずく花月のような、いわゆる
おそらく罪人として軟禁という、破滅の一歩手前であることから心が逃避したがっているのだろう。みずくは恐怖を高揚にすり替えて無意識に精神の安定を図っているようだった。
こういった面が姉の無駄な打たれ強さを生むのだろうと、夜鳥は感心半分、呆れ半分で納得した。
(今回ばかりは懲りて頂かないと困ります)
みずくは知恵はある、知識もある、度胸だってある。義理も人情も芸の腕もある。それらすべてを台無しにするほど迂闊なところがあるのが最大の欠点であり、仲間内から人の上に置いては不安、下に置いてはなお不安な人物と称されていた。
うっかりやらかす人情家の姐さん。それが周囲のみずく花月の印象である。
普段の世話焼きの性分が功を奏して、恩人だからとこれまでは欠点を大目に見られていたが、今回は手を伸ばした代物が大きすぎた。
国のお目こぼしによって南の裏道を牛耳る立場にありながら、恩のあるこの国に義理を欠いた牡丹を退け、どうにか己が後釜に座るという絵。
みずくへの義理と利で賛同した者たちは、最初に躓いた時点で誰もが嫌な予感を感じていた。
妖怪屏風覗きと称する御前お気に入りの人間を抱き込むことに失敗し、さらに後ろ盾が初めから
(かまわぬ。利で着き、離れる輩などいらぬ)
阿呆でも裏切らぬ者がいい。愚図でも裏切らぬ者がいい。この人情味を持つ一羽のみみずくには、不相応の野望よりも温く優しい仲間内で蕩けるように気楽に暮らしてほしい。世話を焼いては裏切られ、そのたびに影で泣く姉の姿を、夜鳥はもう見たくなかった。
だからこれ幸いと、夜鳥はあの日みずくの周りにそっと一言添えてきたのだ。
『このままみずくに付いていけば、枕を並べて破滅するかもしれぬ』と。
力を使わず言葉だけで人を誘導する、その鍛錬でもあった。
残る者たちの不安をじわりと呷り、半端な覚悟でみずくに付いた者たちを足抜けさせた。力のある者たちが予想以上に逃げてしまったのには参ったが、これも姉のためである。再起を夢想するような中途半端な力など毒でしかない。
(それがまさか祭りに気を張っていたわずかの間に、国のダニに取り入っているとは思いませんでした)
姉がちょっと見ない間に小悪党と組んでいるという事態は、彼女のために動いている夜鳥のほうが裏切られた気分だった。困窮する中でも塞ぎ込まずに行動するのは立派であるが、さすがに善し悪しである。
さらに屏風覗きと共に面会のため水月屋に訪れた早々、姉による突然の犯罪共謀の告白に打開策が思いつかず、夜鳥は己の中でますます存在感を示すあの方を頼るしかなかった。
ごく最近、己が見聞きした事を他の分身に伏せる方法を覚えたものの、まだまだ不慣れなために事前の集中が必要で今回のような不意打ちには対処できなかったのだ。
屏風覗きに自分をこそ
(屏風様は誠、素晴らしいお方です)
扉に迫る兵たちの中、夜鳥では出来なかった難題を鮮やかに解決して見せた屏風覗きの姿に、歪な雀はどこか己の深いところで不思議な喜びを感じた。
鮮やかと称したのは些か誇張がある、けれどあの方はそこがいいのだと感じて。
必死に頭を巡らせての事だと知っているし、立花様を心底恐れているのも知っている。それでも一羽の雀にはとても格好良く映ったのだ。
恐れる者に面と向かって、無理難題と言える要求を見事に通し切ったのだから。
(末端とはいえ女郎たちが城勤め。このような話は幽世中を探しても他に無いでしょうね)
白ノ国はかなりマシだが、基本的に女郎は極一部を除けば待遇は悪く先の明るい仕事ではない。それが雑事とはいえ城の仕事を請け負う職を得る。
高給取りだったみずくはともかく、他の女郎たちは今後地位も暮らしも大きく改善するだろう。
(まあ算術の怪しい者もいますが、それは本人の自業自得。死ぬ気で学んでもらいましょう)
どのみちヘマをすれば只では済まないと分かっているだろう。命が惜しいならやるはずだ。
それでも出来ないなら邪魔だから消えてもらう。みずくはともかく他の連中の粗相まで夜鳥は庇う気にはなれない。
屏風覗きの機転により命を長らえた事を、姉たちには今後も重々教え込まなければならない。
立花様の信の厚い屏風覗きの進言でやっと首の皮一枚繋いだのだ。ここで粗相をすれば猶予された獄門台行きが即座に現実となる。となれば二人が頼った屏風覗きもお叱りを受けかねない。それだけは困る。
(地頭は悪くないはずなのに、何故こうも迂闊なのでしょう)
姉のあまりにふわふわとした気配に少し釘をさすべきかと考えつつも、今宵の夜鳥は別の心配事に気を取られていた。
(あの
思えば屏風覗きが幽世に現れた最初期から周りをチョロチョロしていたように思える。恐らく『隠れ者』と思われるので黙認していたが、とにかくアレは図々しい。
隠れ者。それは守衛や見回りのような役職によらず、秘密裏に選定された候補が国から指示を受けて極秘任務に就く者たちの通称である。
この役目を受けた者はその事を墓場まで持っていくため、たとえ隠れ者同士でも他の者のことは知らない。知っているのは隠れ者に指示を出し報告を受けるために現れる頭巾猫と、御前の側近の
夜鳥たち雀は周囲の監視の役も負っているため、不審者と見なして隠れ者を暴かぬようさる頭巾猫からこの存在を仄めかされていた。
(今日もせっかく
ゴロツキが相手となれば初めが肝心。まずは屏風覗きの力を存分に見せて威圧してもらい、かの方に畏敬を持たせるはずが、
(しかし、しかし、まあ、あれで浦衛門様とは懇意にして頂けそうですけどね。不愉快です)
夜鳥はよかったを探し、腹に籠った怒りを鎮める。所詮、自分の払った労力など先触れの分身に言わせた一言程度のものだ。さして惜しむことも無いと。それに事が起こった後の結果を考えればむしろ悪くないのだ。
夜鳥の予定通り威圧するだけでは若き三代目、山本五郎座衛門と軋轢が残ったかもしれない。屏風覗きが簡単に浦衛門の懐に入れたのは、悔しいがあの
芸を好む夜鳥は役者の浦衛門を好ましく思っている。屏風覗きという人間と交流を持つことで、カビ臭い幽世の古典芸から脱却を模索する
(芸以外はガサツなのが玉に
夜鳥が殺したくなるほど嫉妬するのは
(隊長は怒り狂うかもしれませんけど。それはそれで見てみたい)
「フヒッ」
楽しい妄想に釣られて漏れてしまった言葉に、みずくが顔を向ける。
姉も手の掛かる女だがたぶん無理だろう。あの方の信用を完全に失っている。今こうして無事なのは
何せ自分も危うく信用を失いかけた事があるのだから。
(お世話をしてかなり信用を得られたようです。やはり隊長が正しい、小手先より献身が一番ですね)
「夜鳥」
「はい姐さん。なんでしょう?」
軟禁中のみずくは厠に行くにも誰かの付き添いが必要。この愛すべき姉貴分のために夜鳥の今晩の時間は使うつもりだ。
だから酒場であの方が
「屏風の旦那と、何とか床に入れんやろか? 仲良うなるなら一番近道―――」
姐さんと呼んで慕うみみずくの頭を、黒い雀は真顔で殴った。苦労の報われない妹分の説教は深夜まで続いた。
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