第5話 筋肉痛が遅れてきても、別に覚悟の時間ではない

 昨夜見た竹林も玉砂利も石灯篭もどこにいったのか、そんな疑問をぶつける相手もいないわけで。灰色の世界の中黙って木戸を開け放つ。戸の向こうは昨日座り込んでいた街道、ただしこちらも灰色。


 街道側ワールド(暫定)からきつねの隠れ宿側ワールド(暫定)に来た時は色があったのに、逆だと違うのか。目を凝らすと小さな羽虫が空中で静止している。まるで時間が止まっているかのよう。

 片足だけ伸ばして恐る恐る木戸を潜るも何も起きない。体がすべて木戸を潜るまでこのままなのか。


<00:04:38 ポイント戻りまえん>


 そうだった、制限時間っぽいのがあるんだった。だがタイムオーバーするとどうなるのだろう。少し興味を覚えるもののそのまま木戸を完全に潜る。根拠は無いが何か嫌な予感がした。臆病とも言う。


 少し強い風が顔を凪いで夜露に濡れた土と草の匂いに気付く。注視していた木戸は意識することなく掻き消え周囲の色もいつのまにか戻っていた。それこそ狐に化かされたような気分。けれど首には買い取ったてぬぐい、ベルトに括った唐草模様の巾着にはトランクス、手には笹葉の弁当がある。あとズボンの下は赤ふんどし。


 ジーンズに見えるジーンズじゃない新素材とやらで出来た愛用ズボンから手を戻して、なんとも言えない気分になりながら歩み始める。不覚にも快適。


 目印になるような物がない場所だが道のどちらから来たかは一目瞭然だ。自然だけの世界でひとつだけある人工物が、たぶんどこからでも見える。そのぐらい大きい。


 斜めにどこまでも続く『塔(?)』。逆さまに突き刺さった高層ビルのようにも見える。霞むほど遠い山との対比からしてどのみちサイズ感がおかしいが。昨日は歩けど歩けどまるで近づいている感じがなかった。


 あの下に何があるのか、あるいは虹のような蜃気楼か。ひとまず道が続いている間は目指してみようと思う。


 日が昇りはじめると冷えていた空気も徐々に熱を帯びる。太陽に焙られ露の湿気が飛ぶと土の香りと草の香りがますます強くなった。最近ではすっかり嗅がなくなった自然が心地いい。夏のアスファルトの臭いも暑ささえなければ嫌いじゃないのだが。


 観光気分で歩いていたのは最初だけ。段々と歩くことに無心であったほうが楽だと感じるようになった。流れ作業みたいなものだ。ハイキングなんて優雅な趣味は向いていないと痛感する。


 何より足に違和感を感じ始めている。たぶん明日か明後日あたりに筋肉痛が体全体で大爆笑するぞ。


 日差しを遮る物が無い。暑いというほどの気温ではないのだけどインドア人間には全開の日差しがどうにもしんどい。さっき思い至った水のことでますます辛くなってくる。弁当よりまず水だろう、なぜ思い至らなかったのか。


 スマホっぽいものを覗くときも太陽光で見にくいったらない。しかも謎翻訳でさらにイライラする。せめてもう少し日陰を作ろうとパーカーを被ると暑いし。


 カタログはタダじゃないのでポイント残高が心許ない今、内容の判らないカタログを決め打ちで手あたり次第購入するわけにもいかない。最低でも一泊500ポイントと木戸の往復40ポイント(気付いたら自動で20差っ引かれていた)は残さないといけない。往復せず向こうに留まるという選択肢はなぜか取りたくなかった。根拠はないけど無用に留まってはいけない気がするのだ。


 どれだけの時間スマホっぽいものを見ながら行儀悪く歩いていただろうか、ふと足にガクっと衝撃を覚えて目線を戻す。いよいよ足が利かなくなって躓いたのかと思ったら下り坂になっていた。


 後ろを振り返るとかなり前から僅かな上り坂になっていたらしい。ずっと地平線だと思っていた。


 しかし重要なのはそこじゃない、視線を前に戻すと遠く坂の下に明らかに人の手が入った建物がポツポツ生えている。木製ではない、建材は主に土に煉瓦だろうか。畑や囲いに入った家畜と思しき生き物も見える。


 いかし、やはり重要なのはそこじゃない。ちょっと遠すぎて断言できないが、逃げ惑うのは貫頭衣の腰を紐でくくったのような簡素な衣装の人たち。『村人?』か。


 一方『村人?』とは毛色の違うややゴツゴツした格好の集団、ペラペラしてるが鎧の類だろうか。棒切れっぽいものを持ってチョロチョロしている。剣とか槍あたりだろう。どうにも遠すぎて判断しかねる。距離がある上にこちらは風上のせいか音も届いてこない。


 そのうち垣根から家畜っぽい動物を引っ張り出そうとした連中のひとりを止めようとしたのか『村人?』のひとりが相手に縋(すが)りつこうとして殴り飛ばされた。起き上がる暇など与えず倒れた『村人?』に棒切れが突き立てられる。


 あっと、いう間もなかった。棒切れはやはり槍だったのだろう。引き抜かれた途端にここからでも見えるほど血飛沫が上がった。映画の鮮やかな血糊とはまるで違う、湯気の立つ赤黒い血潮。空を掻く手は無念の表れか。

 

日のある内でよかった、視線が通るしどちら側なのかも判別しやすい。とりあえずコイツは囲む。

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