第6話 絶望
「うそだ…どうして………」
目の前の光景が、受け入れられない。
「おとう……さま………?」
どうして、倒れているのか…剣を握ったまま、うつ伏せになったその下に陛下が倒れている。王太子殿下の姿が見えない。王妃様は王女様と共にお父様と国王陛下のすぐ後ろに倒れている。お父様の部下の人達は、皆お父様達を囲むように前方に倒れている。第2王子様は、お父様の隊の副隊長さんに抱えられる形で王妃様方の後ろに倒れている。
どうして?私の他に誰も立っている人がいない。
駆け寄ってお父様の体を起こそうとする。冷たくて重たくて、膝の上に頭を置くのが精一杯だった。頬を触ると血がまだ固まりきっていなかった。手のひらに温い血がついた。
仰向けにしたその体の、胸の部分には有り得ない穴が空いている。ぽっかりと貫通した拳大の穴。どうしたらこんな穴が空くのか…どんな力が抉ったのか。そっと、冷たくなった瞼をなぞって閉じる。なかなかすんなりとは閉じてくれない。硬く見開いて閉じようとしてくれない。私と同じ、薄い緑の瞳。お母様がこっそりあの瞳が好きなのだと教えてくれたお父様の瞳。私を映してくれない。最後に何をその瞳に映したのか教えてほしい。
何とか瞼を閉じて、そっと膝から頭を降ろした。固くなったお父様の体を無理やりに動かして胸の前で手を組み、剣の切っ先を足に向けて持たせ直した。騎士が亡くなっときには、こうするのだと教えて貰った通りに。
その後で、吐き気が堪えきれなかった。何とか騎士たちの側から離れたところで限界だった。お昼に食べたチキンソテーのビネガーソースが吐瀉物に混ざっていた。胃液とソースの混ざった酸い匂いに何度も吐きながら、胃の中の物は全て出てしまっても、まだ治まらなかった。涙も止めどなく流れて落ちていた。悲しみなのか、生理現象としての反射の涙なのか、考えることもしなかった。吐くものもないのに何度も何度もえづき続けていた。
しばらくして、やっと落ち着いて涙も治まってきた。手についたお父様の血も乾いてカサカサになっていた。
国王陛下以下全ての人の死を確認し、葬送時の姿に手を組み、祈りを捧げた。
重たくて動させなかったことが、申し訳なかった。国王陛下をご家族と少しでも傍に連れて行ってさし上げたかったけれど、それは叶わなかった。
その後は、無事でいるはずの王太子殿下を探して、王都を歩き出した。直ぐに、王都の空を旋回する有翼種が目に入る。
王城から西にかなり離れた路地だったから、先ず学園を目指した。自宅のある貴族街もある王都の中心に向かって進む。
魔物を見れば身を隠し息を潜めて見つからないことを祈ってやり過ごした。崩れた塀の裏、朽ちた台所の調理台の下、屋根から落ちた商業協会の紋章の裏、地下倉庫の階段の扉の下、思うように進めず、焦りが募る。
街中に民たちの亡骸を見ていた。うつ伏せの男性の背中の切り傷、胸にぽっかりと穴の開いている女性とその腕の中の頭が半分消えてしまった子供。首から上がない誰か。下半身の消えた誰か。私の目の前で、右の上半身を魔物に食べられた聖職者。手に剣を持ち立ったままの首なし兵。
誰も何もしてあげられなかった。死臭も慣れた、涙も枯れた、吐き気も起きなかった。
ただ走った。隠れて、逃げて、走った。何度も何度も足を止めなくてはいけなかった。
その度に、お母様とアレンの無事を祈り、ジュリアとユージンを思い浮かべた。その間にも、王都は破壊されていった。
随分時間がかかってしまった。目の前に中央に龍と4精霊を形どった噴水が見える。やっと、やっと中央広場まで来た。あとは向かって左、北に向かえば王城があって更に西側には学校がある。だいぶ遠回りをしたんだ・・・隠れながら道を変えたから。
大通りを進むのは危険かな。念のために2つ手前で北に向かおう。中心広場付近は年輪のような作りだから、学校の前まで行けるはず。
学校は、校門の型枠だけを残して押しつぶされたように消滅していた。
あり得ないと思う。一体、私は何度あり得ない光景を見たらいい?
叫んで、泣いて、吐いて、走り続けて、息も途切れ途切れで喉もカラカラ。唇も生まれて初めて乾燥で切れて血の味がする。こんなに埃まみれになったことも無いし、髪が乱れたことも無い。もう、この状況が現実だと思えない。
学校史に王城と同程度の強固さを誇り、万が一の時にはここに避難することを推奨する建物だと書かれていた学校が、大きくすり鉢状に凹んだ地面の中に細かな赤黒い瓦礫の塊となっている。校舎も競技場も厩舎も装備保管庫も全てがつぶれている・・・
「ジュリア!!ユージン!!みんなどこにいるの?」
私の声は、自分で驚くほどに弱々しく小さく掠れて出てきた。
瓦礫の塊に向かってフラフラと歩いた。
あれほどうるさかった魔物たちの声がしない、飛ぶ羽の音も、火球が飛んできてどこかにぶつかる音も、炎が燃えて爆ぜる音も消えていた。
おかしい・・・本当に音がしない。
振り返り見渡せば、建物と呼べる物はどこにもなく、至る所で物が燃え、生き物と呼べるものは見つけられなかった。あれだけ居た魔物も居らず、この王都には、私一人だ。
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