1ページ分の人生

 とある喫茶店。閑散とした店内には常連の客が一人と店主が一人。普段から無口な客だが、どんよりとした今日の曇り空のように、やけに俯いていた。店主はこれ以上店内が暗くなっては困ると思って、客に一声かける。


「やあお客さん。今日はなんだか浮かない顔だね。何か悩みでもあるのかい?」

「マスター、私、その、……なんというか、書けなくて、最近。人生が、薄っぺらくて……」

「要領を得ないね……。そうだ。そういうときは文章にして書き出してみるといいよ。ほら、紙とペンをあげよう。ここに書きたまえ。」


 店主は客に伝票の裏紙と万年筆を渡す。


「いいかい。その万年筆はお気に入りだから、大事に使ってくれよ?」


『私は趣味で小説を書いているのですが、最近なかなか書けません。最初、小説を書き始めた頃は自分の中でくすぶっていた「書きたい」という気持ちに従って、ただ自分の経験したことを書き起こしていれば、なんとなくお話ができていたのです。例えば学生時代の思い出とか、何気ない風景に対して感じたこととか。しかし、最近はめっきり書くことが無くなったように感じています。何かを書こうとしても、「これはもう書いたような気がする」と思ったりして、筆が止まってしまうのです。何より悲しいのが、これまで自分が書いてきたのは本の一冊分にも満たない量の文章だということです。この程度で書くことが尽きてしまうという事は、自分の人生が本一冊にも満たない薄っぺらいものだと自分で認めてしまっているような気がするんです。

 だから、自分の人生に厚みを持たせるためにも、もっと書きたいと思うんです。どうやったら私はまた、小説を書けるようになるのでしょうか。』


「ふぅん。物書きってのも大変だねぇ。でも、もう解決したようなものじゃないか。ほら、この紙だよ。」


 店主はそういって悩みの書かれた伝票の裏紙をひらひらと振る。


「この紙に、君の気持ちも、経験も詰まっているじゃないか。ここに一人の人物とストーリーがある。つまり君はまだまだ書けるってことさ。少なくとも今、一ページ分君の人生は厚くなったんじゃないかい?」

「そうは言っても、またすぐに書けなくなるかもしれません。」

「そのときはまた、この店に来たらいいさ。私の人生のページを君に分けてあげよう。なんだって話してあげるよ。そうだね例えばこの店を先代から譲り受けるときに……」

 

 店主は客の様子にお構いなく饒舌じょうぜつに自分を語り始めた。勝手に悩みを解決してしまった店主に客が呆れていると、ふと窓から差す光に眩しさを感じる。いつの間にか、空は青色を取り戻していた。

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