第4話

 彼が、食事を手に戻ってきた。

「何?これ」

 私は、ポカンとした。開いた口が開いたままになった。彼は言った。

「楓、おまえの食事だよ」

 うそ。冗談よね、そう思った。違った。本当に、私に食べさせるつもりの食事、餌だった。

「こういう環境に置かれたら、当然、こうなるだろう?」

 なるの?私、あなたの恋人だよね。恋人に犬の餌を食べさせる気?

 信じられない思いで彼を見つめた。彼は、ボウルを床に置き、私に言った。

「犬は犬らしく、四つん這いで食むんだ」

 耳に響いた。痛いほど響いた。

(本気だ、この人)

 私は訊いた。怖かったけど、訊かずにいられなかった。

「私の他にも、こんなことをさせたの?」

 体温が下がり、つめたい風が体を走り抜けた。彼を信じたい。

 ところが、返ってきた言葉は、私を奈落に突き落とした。

「ああ、居たよ、他にも。従順な素直な子だったよ」

 それだけではなかった。継がれる言葉に、私はめまいを起こして倒れそうになった。

「今も、居る。楓の他に、こうされて悦ぶ女が」

 うそよ!

 私は、彼を睨み付けた。けれど、彼は動じなかった。

「別れるならいいよ、別れてやる。その前に犬になるんだ。這って餌を食むんだ。そうしたら、きれいさっぱり別れてやるよ」

 私は、暫し返せなかった。別れるなんて言ってない、言えない。彼が好きなんだもん!

 私は、「別れたくない」そう言うと、その場に膝を着いた。ボウルを前にした。動けない、見つめる。見つめる。

「食むんだ、口で。見せてくれよ、そんな楓を」

 興奮した彼が感じられた。こんな人をどうして好きになってしまったんだろう?考えてもどうにもならない。好きになってしまったのだから!

 私は、我を忘れた。忘れられなかったけど、忘れた気持ちになった。強く、強く、強く、思った。

 食めた。顔をボウルにうずめて食む私。無我夢中だった。絶対に顔を上げない!上げたら最後、気が違ってしまうだろう。

 むしゃむしゃ、ごくり、ごくり。食む、飲む…。

 やがて、空になったボウルだけが残った。まだ顔を上げられないでボウルを見つめる私の目に涙が溜まった。こぼれ落ちた。ボウルが歪んだ。

 と、突然、体を包んだものがあとった。腕。彼の腕が、私の背中から絡み付いて、ぎゅっと抱き締めた。

 苦しいよ、でも、嫌じゃなかった。彼、言ったんだ。好きだ、って。放さない、って…。

 私は、もう一度抱かれた。この檻の中で、彼に。感じた、彼を。これまで彼と付き合ってきて、一番熱い包容を私は受け、私は、一番熱い滴を流した。

「私をあなたの思い通りにして。飼って」

 私は、口にした。

 






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