05話.[謂れはないこと]

 土曜日、休んでいたらいきなりやって来た伊藤さんに拉致された。

 何故こんなことに? なんて考える必要はない。


「あれ、稲葉さんも連れてきたんだ」

「そ、そうね、どうしても稲葉が行きたいって言うから……」


 結局、いざふたりきりになったら緊張してしまうから、というやつだ。


「と、ところでふたりはどこに行こうとしていたの?」


 ああ、邪魔をしたいわけじゃないのに。

 それでも留まっていると寒いからこれは仕方がない。

 もちろんこの後は出しゃばったりはしない。


「特に決まってないんだよね、自由に気になったところに寄ろうという話でさ」

「そうなんだ? じゃあ伊藤さんが気になったところに行けばいいよね」

「そうだね、今日は伊藤さんを最優先に行動しよう」


 最初はぎこちなかった伊藤さんもゆっくりとではあったけど普通に戻った。

 それからは私はいなくてもいいんじゃないか、そんな雰囲気を出していた。

 でも、空気を読まずに帰ったりはしない。

 帰れと言われたら帰るから安心してほしかった。


「あれ、これはまたなんとも言えないメンバーだな」

「高橋君っ」

「お、おう、今日はテンションが高いな」


 どうせならそのまま参加してほしかった。

 時間があるなら残ってほしい。


「稲葉さん、ここからは伊藤さんとふたりだけでもいいかな?」

「あ、うん、じゃあ……」


 佐藤君から言われてしまったのならそれはもう仕方がない。

 伊藤さんに頑張ってねと偉そうに言ってその場をあとにした。


「あれはどういう集まりだったんだ?」

「伊藤さんが緊張するからということで一緒にいたんだよ、最初の頃から意味もないぐらいふたりは普通に楽しそうだったけどね」

「なるほどな、伊藤らしいな」


 伊藤さんらしい……のだろうか?

 昔から知っているらしい彼が言うんだからあれが本来の伊藤さんなのか。

 あのときだって自分で頑張ったぐらいだから最初を乗り越えれば問題ないんだなと。


「あ、どこかに行こうとしてたの?」

「いや、適当に歩いていただけだ、お、どうせならカラオケに行くか」

「そうだねっ、このまま帰ってもなんか寂しいし」


 お金もちゃんとそこそこ持ってきておいてよかった。

 いやでも今後はああいうことがなければいいと思う。

 佐藤君からしたら無理やり参加した嫌な女ということになっちゃうんだし……。


「ほら、歌えよ」

「は、恥ずかしいから高橋君からどうぞ」

「そうか? じゃあ歌わせてもらうかな」


 それで聞いていたんだけど……、


「凄く上手だねっ」

「普通だよ普通」


 上手だったせいで歌えなくなってしまっていた。

 そもそも男の子と個室にふたりきりってと意識した瞬間にもう駄目で。


「歌わないのか?」

「高橋君の歌声を聴きたいからもっと歌ってほしいな」

「普通だけどな、まあ……どっちも歌わないんじゃもったいないし……」


 いいなあ、京子の歌声を聴くのと同じぐらい落ち着く。

 ただまあ、落ち着きすぎて眠くなってきてしまったけども……。

 だってここは暖かいし、なによりいまのこの感じだし。


「ふぅ――ん? 眠いのか?」

「うん……」

「寝てていいぞ、俺は歌わせてもらうけど」

「うん、ずっと歌ってて」


 それで次に気づいたときには高橋君に背負われていたという……。

 

「ご、ごめんねっ?」

「別にいい、金も俺しか歌っていないから払わなくていいからな」

「そういうわけには……」

「いいんだよ、付き合ってくれているだけでありがたい話だ」


 下りると言っても聞いてくれなかった。

 人とすれ違うことが多いから凄く恥ずかしい。

 あと……彼の背中に自分の……別に狙っているわけじゃないけどさ。


「よし、下ろすぞ」

「う、うん」


 お礼を言って立ち上がろうとしたらそれができなかった。

 支えてくれたから冷たい地面にキスしなくて済んだものの、かなり恥ずかしい。


「大丈夫か?」

「あ、ありがとう」

「ほら、ちゃんと立てよ」


 なんのために私はいたんだろうという気持ちが大きくなっていく。

 まあでも後半は悪くなかった……かな?


「あ、なにもしてないからな?」

「えっ?」


 なになになんの話と困惑していたら「……体目当てとか思われると嫌なんだよ」と。


「思ってない思ってないっ」

「それならいいんだけどさ、あ、触れることになったのは悪い……」

「謝らなくていいよっ、カラオケ屋さんは無限に歌えるわけじゃないから出ないといけないんだしさ」


 それは起きなかった私が悪い。

 いやでも本当に心地がよくてぐっすり寝てしまったんだ。

 だからいまはすっきりとしている。

 今度寝られなくなったときには彼に子守唄を歌ってもらおうと決めた。


「もう着いたな」

「うん、今日はありがとう」


 中途半端な時間だけどあの後ひとりで帰るようなことにならなくてよかった。

 多分そうなっていたら実に惨めな気持ちのまま帰ることになっていたから。

 本当に彼は私にとってすっごく頼りになる存在だ。

 ……利用するようなことにはならないといいけど。


「……中、入ってもいいか?」

「私の家に? うん、別にそれは大丈夫だよ」


 上がってもらった。

 確認してみた結果、母はどうやら家にはいないようだった。

 どうせなら紹介したかったんだけどいないなら仕方がない。

 飲み物を渡してゆっくりしてもらう。


「そろそろ今年も終わるな」

「うん、早いね」

「まだ一年生だから時間はあるのが救いだな」

「そうだね」


 三年生だったらこれから仲良くする、というところで卒業という邪魔が入る。

 本来ならめでたいこともそうではなくなってしまうのだ。

 私はやっぱり京子と一緒にいたいし、高橋君とだっていたいかもしれない。


「同じクラスだったらもっとよかったんだけどな」

「二年生になったら一緒になりたいな」

「運次第だからな」


 なれなくてもこうしていられているわけだからどうにかなるかもしれない。

 ただ、佐藤君みたいに周りに人が集まるようになったら会うのが難しくなる。

 それに興味だっていつまでも抱いてくれるとは限らない。


「……わ、私は一緒になりたいと思っているよ?」

「はは、まだ四ヶ月とか先の話だぞ?」

「高橋君が来てくれて助かっているんだから、私に優しくしてくれるし……さ」


 触れることはできないからせめて言葉で伝えておく。

 いやなんか単純でちょろい気がするけど……どうでもいい。

 佐藤君には伊藤さんといてあげてほしいから頼れるのは彼だけなんだ。


「じゃあひとつ頼みがある」

「わ、私にできることなら」

「名前で呼んでくれよ」


 な、名前かあ、それはそれで結構ハードルが高いな。

 これまで男の子のことを名前で呼んだことは小学生の頃にあるけど……いまは高校生で。


「お、修……君」

「おう、彩音って呼んでいいか?」

「い、いいよ?」


 彼は結構上手だと思う。

 ハンカチを拾ったことをきっかけにその後は上手く一緒にいたから。

 私だったら拾ってあげたとしてもそこから活かせない。


「彩音、これからも頼むぜ」

「うん、こちらこそよろしく」


 今日のところは帰るということだったから外まで見送った。

 彼は大きくてちゃんと顔を見ると確かに首が疲れていく感じがしたのだった。




「え? 喧嘩しちゃったの?」

「うん」


 佐藤君のお兄さん、つまり彼氏さんと喧嘩してしまったみたいだった。

 理由は構ってもらえなくて京子が拗ねたから、らしい。

 それをぶつけた結果、忙しいからずっと優先できるわけじゃないと言われてしまったということだった。


「もう知らない、私は他の子を好きになるもんね」

「いやいや、短慮を起こしたらだめだよ」

「だって……一緒にいられないなら意味ないし――あ、そうだ、高橋とかいいじゃん」

「えっ」


 えぇ、いやでもそんなのは自由か。

 もっとも、彼女が別れている状態であれば、だけど。

 それにどっちが魅力的かと言ったら京子に決まっているからね……。


「あいつのことは結構好きだから高橋にしようかな」

「か、彼氏さんは?」

「もういいよ」


 えぇ……。

 だけどもうこうなったら止まらない。

 他校の時点でお兄さんより会えない時間が多くなりそうだけど……分かっているのかな?

 それに自惚れでなければ修君は私に興味を抱いてくれているわけだし……。


「でも、今日はとりあえずいいや、彩音を抱いて過ごすよ」

「そ、そっか」

「ん? もしかして高橋のこと気に入っているの?」

「う、うん、優しくしてくれる子だから」

「そっかー……じゃあ邪魔するのも悪いから佐藤かな」


 それもそれで問題になるという……。

 彼女には仲直りしてもらうしかない。

 ただ、言ってみても「やだ」と言われるだけに終わってしまう。


「……なんてね、そんなすぐに変えられないよ」

「だ、だよね」

「うん、だって私は好きだもん、好きだからこそ……寂しいんだもん」


 おお、あの京子が凄く乙女みたいな感じがする。

 お付き合いを始めていた時点でそうなんだけど、私の前ではあくまで昔のままの京子という感じがしたから余計に驚いた。


「ね、いまから謝りに行こ?」

「えー……私が悪いの?」

「なんでも謝ればいいわけじゃないけど、一緒にいたいならさ」


 少ししてから頷いてくれたから佐藤君のお家に行くことになった。

 私は知らなかったから案内されてから結構近くにあったんだなと知った。


「お、押して」

「分かった」


 押したら佐藤君が出てくれて対応をしてくれた。

 珍しく私の後ろに京子が隠れているから佐藤君も不思議そうな顔をしていたなあ。

 だけどお兄さんが出てきたら背を押してその場を離れた。

 私がいる必要はない。

 強い子だからここまできたら京子はなんとかする。


「稲葉さん!」

「お兄さんはあんまり似てなかったね」

「でしょ? でも、いい人なんだ」

「佐藤君のお兄さんだからね」


 なんとかするだろうけど少し不安だからある程度の場所で留まることにした。

 伊藤さんには悪いけどこれは別にそういうつもりではないから許してほしい。


「高橋君とはどう?」

「仲良くできてる……よ?」

「僕も咲希さんと仲良くできてるよ」

「そっか」


 なんか不思議な感じだ。

 こうして佐藤君と話していることも、別に気にならないことも。

 少し前までであれば他の誰かに興味を抱いていることでショックを受けていたはずで。


「あ、そこにいたんだ」

「どうなったの?」

「……無事に仲直りできたよ、というか、私が拗ねていただけだから」

「あはは、そっか、よかったね」

「うん……迷惑をかけたね」


 気にしなくていい。

 私はその何倍もの迷惑をかけてきたわけだから。

 だから少しぐらいなら全然構わなかった。


「だけどなんかもやもやするからいまからカラオケに行こっ」

「え、お金が……」

「私が払うからっ、佐藤も付き合ってっ、あっ、佐藤は自腹ねっ」

「わ、分かった」


 最近はよくこのお店に来ている気がする。

 そして京子の歌声は少し荒かったものの、落ち着ける感じなのは変わらなかった。

 佐藤君も普通に上手だった、私はいつものように歌えなかったのは言うまでもなく。


「彩音っ」

「わあ!?」


 押し倒されるのは想定外だったけど。

 微妙に硬いから結構怖かった。


「……ありがと、彩音がいてくれて本当によかったよ」

「それはこっちが言いたいことだよ、いつもありがとう」


 満足できたみたいなので退店。

 この寒い中京子はどうするのかと考えながら歩いていたら「久しぶりに家に来ない?」と。

 せっかく誘ってくれたのならと行くことにした、佐藤君はこれ以上はということで帰った。


「さて、高橋とのことを聞かせてもらおうか」


 恥ずかしいことはあっても修く――高橋君といることは恥ずかしいことじゃないから言う。

 大丈夫、ちょっとだけ馬鹿みたいなことを言ってしまっただけだ。


「へえ、結構大胆だね、高橋も彩音も」

「高橋君は特にね、興味があるということを隠さない人だから」


 あと、私が佐藤君といたり話したりすると少し気にしている感じがする。

 隠そうとしないところが大胆だと思う。

 でも、一緒にいる身としてはなんでいてくれているのかが分かりやすい……? からいい相手だとしか言えない。


「もし告白されたらどうする?」

「いまはなんとも言えないけど、もっと仲を深めたら受け入れるよ」

「そっかっ、佐藤じゃなくなったことはあれだったけど……いいことだね」

「うん、あ、佐藤君は気になるレベルだったからね?」

「分かってるよ」


 高橋君となら上手くいくだろうからと考えているわけではない。

 それでももう伊藤さんの気持ちも知ってしまっているし、佐藤君本人も伊藤さんのことを気にしているから仕方がないんだ。

 あと、興味があると言ってくれているからさ……。

 だ、だって、そんなことを言われたのは初めてだったからっ。


「高橋と彩音が付き合ったら……それはもうそのお胸を自由にされることだろうね」

「……や、やめてよ」

「というかさ、ふたりきりのときに寝ちゃったとかもうちょっと気をつけないと」

「気づいたらおんぶされていたんだよね」

「それはつまり触れてるってことだし、なによりそのお胸が背中に触れてるじゃん」


 あ、足とかにも……ということだよね。

 つまりそれだけ安心できているということで。


「高橋君と一緒にいると安心できるんだ」

「大きいしなにかと便利だからね」

「そ、そういうつもりじゃないけど、優しいから……」

「おお、意外と気に入っているんだね」


 だから……触れられても、い、いや、まだそういうのは早いけどっ。

 だけど嫌じゃなかった、嫌だったら起きた瞬間にばっと離れているだろうし。


「とにかく、信用しているのだとしても気をつけなさい」

「はい……」


 そうだ、別にか、体の関係になりたいわけじゃないからね。

 私はもっと健全な関係でいたいんだ。


「京子と同じ学校だったらなあ……」

「それはね、だけどこうして会えるから私は満足してるよ」


 同じ学校だったら実際に見てどうしたらいいかを教えてもらえたかもしれない。

 いまだと手探りでやっていくしかないから不安もあるのだ。

 結構馬鹿なことも口にしてしまったりもしているし経験が圧倒的に足りないから。


「京子、彼氏さんといるときってどんな感じになる?」

「んー、ドキドキすることはあんまりなくなったかな、かわりに物凄く安心できるよ」

「そうなんだ?」

「触れてるともっとそうだよ?」


 手を繋いだりしたらってことか。

 簡単にできるわけではないけど私にもそれぐらいならできる気がする。

 でも、やっぱりこちらは受け身でいるのが一番な気がした。

 だって痛い人間にはなりたくないから。

 それに修君――まあいいや、修君にその気持ちがなかったらひとりで盛り上がる悲しい人間だし……。


「そうだ、もう少しでクリスマスになるから誘ってみなよ」

「えっ、私から!?」


 思わず立ち上がったよ。

 男の子をクリスマスに誘うなんてこれまでしてこなかったことだ。

 考えるだけでも喉が渇く、言った後に逃げるところが容易に想像できる。


「直接が無理ならアプリでさ、高橋とは交換しているんでしょ?」

「うん、修君とはね」

「それとも、直接誘いたい?」

「……どうせ誘うなら直接がいいかな」


 別になにが変わるというわけじゃないけどさ。

 いままでなんでも京子を頼って生きてきたからそろそろ変わるべきなのかもしれない。

 受け身でいるのが一番自分的にダメージは少ないけどそうだ。


「応援するぜ」

「ありがとう」


 あんな変なことを言えたんだからクリスマスに一緒に過ごそうぐらい言うのは簡単だ。

 プレゼントを贈り合ったり、ケーキを食べたりできるぐらいでいいんだから。

 その後は少しお喋りをして結構遅くまで一緒にいたかった。 


「私はキスするけどね」

「うぇ、も、もしかして……」

「うん、私から堂々と、クリスマスぐらいしてもいいでしょ?」


 そ、そんなのは自由だ。

 彼氏さんがいいって言っているなら誰かになにかを言われる謂れはないこと。

 私はそんなことを意識しないで楽しもうと決めたのだった。

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