ボールが枠に沿ってまわり、なすがままにネットを通り、冷たい床ではねると、歓声がわきあがった。それは、演じられた歓声だ。高校の体育においては、よいプレイをした生徒をたたえるということも、ひとつの得点になるのだ。


 授業としてのバスケットボールは、シュートが決まるか決まらないかが、すべてだ。試合にでるのを待つ生徒は、放たれたボールがネットを揺らすか、それとも枠にはね返されるかを予測する、健全な賭博とばくに明けくれている。


 ぼくたちは、女子とはちがい、二クラス集まってようやく試合ができる身分だ。ひかえの生徒はおらず、1Qが終わればチームを変えて、すぐにジャンプボールを行うという、ハードな五十分を過ごすことになる。


 マンツーマンのディフェンスを敷こうものなら、ぼくはいとも簡単にまたにボールを通される。ぼくの失態を嘲笑あざわらうかのように、颯爽さっそうとゴールに向かう相手を、チームメイトが止めようとすると、彼がもともとマークしていた生徒がフリーになる。そして、パスを受けとったフリーの生徒は、余裕を持ってシュートを打ち、ほとんどの場合、得点に繋がる。


 ぼくは、ゴール下でリバウンドを取ろうとする味方にぶつかったり、パスの出しどころがわからず、とんでもない位置からシュートを打ったりした。その結果、いくどとなくカウンターを受けて、チームメイトの体力はどんどん疲弊していった。


 運動神経が悪いだけではなく、主張もできないし、判断力もにぶい。それなのに、最初から最後まで試合にでなければならない。ぼくは、息切れをしているなか、しっかりとしたため息を、何度もついた。この冬も、白い息だ。


 体育館の左側では、大きな歓声がたびたび、わきあがっている。この学校にバスケ部はない。ゴールをたくさん決めるのは、バスケットボール経験者か、運動神経がよい器用な者か、パスがたくさんまわってくる学年の人気者か。そのどれかに当てはまる生徒だけだ。


 たった一度きりの、五分のインターバル。ぼくは、ほかの男子と同じく、女子の試合の方に目を向けていた。


 宇喜多さんには、真珠の光をあびた、きらめく翼がはえているように、ぼくには感じられた。


 純白の翼と、ジャンプシュートを放つたびに静かに舞う、温かくて柔らかな羽毛が見えるようだ。宇喜多さんの跳躍ちょうやくはまるで、天国への重力を受けているかのように、軽やかだった。

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