第3話 母
母は看護師として長年経験を積んできた人で、その仕事柄、人の死に間近で接してきた。あんなに元気だった患者さんが、急変してそのまま亡くなった、とこぼしながら、悔しそうにしていたこともある。
父の死に関しても、冷静な様子ではあったが、やはり表情は暗かった。問題のある父だったとはいえ、母とは何か特別な絆で結ばれていたのかもしれない。それが愛情であるのか、私にはわからないが。
いやしかし、悲嘆という表情ではない。母は今、どんな気持ちでいるのだろう。
母は十代のころに、父––つまり私の祖父を亡くしている。詳しいことは知らないが、血液に影響するがんの一種だったらしい。しかも祖父の血液型は珍しいもので、治療に伴う輸血すら困難を極めた。
それでも諦めることなく、最後まで真摯に、勇敢に治療を続けた医療スタッフに憧れて、母は高校を卒業後、看護学校に進み、卒業後は看護一筋に歩んできた。
その母も、今私の隣で静かに祭壇を見つめている。母は今、どんな思いで父を送っているのだろうか。
幾度となく「離婚を考えている」と語りながらも、結局そうはしなかった母。「お前たちがいるから、もう少し頑張らなきゃ。」とつぶやいていた母。
果たして本当にそうだったのだろうか。私には、もっと別の理由があるように思えてならない。
母も父も、私たち子供には進学を望んでいた。
母が純粋な気持ちで看護の道を選んだことに間違いはないが、それはそれとして、知識に対して貪欲であったから、大学に進学してもっとそれを追いたかった気持ちがあったのだろう。いつだったか、母がテレビ講座を設けている通信制の大学で講義を受講して、熱心にノートをとっている姿を見たことがある。真剣に受講しながらも、歳のせいか繰り返し見なければ理解しきれないのだとぼやいていた。
父は父で高校卒業後すぐに職についたので、学があればもっといい地位にいられたという思いがあったようだ。酒を浴びるように飲みながら、経験の浅い若造が、俺よりいい給料をもらっている、と文句を言っていた。
もしかすると、その「もしも大学進学していたら」というイフが、私たちに向いていたのかもしれない。
私も弟も、特に文系の分野で伸びを見せた。学業以外では、弟は短歌、私は演劇で、のちにそれぞれ全国の舞台に立つことになった。私に関しては運が良かったとも言えるが、弟の才能は本物だったと思う。
私は、演劇をもっと学びたいと、進路希望に演劇の学部がある学校をリストアップしていた。これに激怒したのが父だった。
「親の金で遊びに行くつもりか、お前は英語がわかるんだから、将来の職に繋げるためにそちらを学べ。」
「私もそのほうがいいと思う。だってお芝居で食べていくなんて、ほんの一握りの人しかできないよ。」
食器や家具とともに投げつけられる言葉が、数週間で私の心を折った。私は進路希望を変更し、最終締め切りである高校二年の十二月に、英文系の並んだ紙切れを担任教師に提出した。
私たちの部が、県で初めて地区大会最優秀賞を受賞し、全国大会へ進むことが決まったのはその翌月だった。
その時すでに私は自分をほとんど説き伏せていた。これはこれ、勉強は勉強。両親は人生経験を踏まえた上で、私のために怒ったのだ、と。もちろん大いに苦しんだ。私は職業訓練に行くのではなく、学びに行きたいのだ、と両親に訴えかけたりもした。しかし結果は変わらなかった。だから、私はなんとか納得するしかなかった。
しかし、地区大会最優秀、そして三年の夏に全国に出場する報せを持って帰ってきた私に、父は呑気に言ったのだ。
「お前、演劇の進路は考えないのか。」
他ならぬお前がその夢を叩き潰したのだ、と叫んでやりたかった。しかし、この頃にはもう、私は父に対して、あらゆることを諦めていた。
ふと、隣の母を見やる。無表情ではないがどこか寂しそうに祭壇を見つめる母の、その表情がどんな感情を表しているのか、先ほどまで私にはわからなかった。しかしどうだろう。これも諦念の表情ではないか。そう思った途端に全てが腹に落ちるような気がした。
そうか。母も諦めてしまっていたのだ。
追悼 坂井いつき @itsuki_sakai
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