第2話 弟

 私の近くで、私と同じように弔問客の合言葉をやり過ごしていた弟も、恐らく私と同じようなことを考えているようだった。なんとも奇妙な無表情で、門兵を務めていた。

 昔からそっくりだと言われていた私達であるので、きっと今も鏡に写したように同じ表情をしているに違いなかった。

 私は弟に、奇妙な連帯感、あるいは友情のようなものを感じている。それは姉弟の血縁による親愛とは異なる。私達はある意味で、同じ戦場を生き抜いた友なのだ。


 父が弟を含め、私に暴力を振るいだしたのは、弟がまだ小学校に上がる前だった。もしかしたら、もっと前だったかもしれない。私達姉弟が寝支度を整えて、二階にある寝室で床に就くと、しばらくしてからどすどす、と荒い足音が階段を上がってくるのだ。そして、理由も何も告げずに私達を殴り、蹴り始める。

 共働きで看護師をしていた母は、夜の勤務で不在のことも多く、また、もし家にいても疲れ切っているため、止めに来てくれることは少なかったし、次第にその助けの頻度も減っていった。

 私達も抵抗はしたが、子供の力では父を止めるには及ばなかった。

 学校に通うようになり、知識を得てからは、虐待だと訴えたこともあった。しかし父は、そうかもしれないと認めた上でこう言ったのだ。

「それでも、悪いのはお前達だ。」

 子供の心とは不思議なもので、そう言われると、本当に自分達が悪いのかもしれない、と感じる。今でも時折考える。私達が間違っていたのだろうか、と。


 私が中学生になった時、学校の先生に仲介してもらい、児童相談所に助けを求めた。この時私は、はじめてこの社会に失望することになる。

 相談員が言うには、すぐに一時保護を行ってしまうと、その後暴力がエスカレートすることがあるらしい。我が家はそのタイプだったらしい。そのため、今すぐに保護を行うことはできない。しかし、本当に危険になった時のため、一週間分ほどの衣類や身の回り品などを、すぐに持ち出せる鞄に入れ、絶対に見つからない場所に隠しておくことを助言された。そして児童相談所の緊急窓口と、そこまでの地図を渡された。自宅から子供の足で二時間はかかる場所だった。

 荷造りは指示通り行った。母は急に衣類がなくなったと文句を言っていたし、父の暴力も相変わらずだったが、私達が実際に逃げ出すことはなかった。田舎の交通では逃げ切れないのだ。そして、知り合いに目撃されずに逃げ出すことも。

 もしも善良な隣人達が、私達を見た、と父に知らせてしまえば、子供の徒歩二時間など、車で簡単に追い付ける。

 結局、誰も私達を救ってはくれなかった。

 弟の力が父を上回り、彼が中学を卒業するまで、父の暴力はほとんど毎日続いたし、それからも散発的な暴力はあった。

 いつだったか、中学生か高校生の頃、私が二十二時近くに帰宅したことがあった。少しでも家から離れていたかったからだ。それに対して、父は怒り狂い、獣のように吠えて暴れた。そして私はついに本音を叫んだ。

「本当なら、帰って来たくもねぇよ、こんな家!」

 母は慌てて私をたしなめたが、私は無視した。

 父はどうしてこうも家庭がうまくいかないのか、何故こんなにも亀裂ばかり生まれるのかと嘆いていた。

 最後の最後まで、その理由には気付けなかったらしい。


 父を悼む人々が、私には、どこか遠くからやって来た異星人のように見えた。

 彼らは一体、誰を悼み、祈りを捧げているのだろう。

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