第37話 五年祭
翌日。
朝ご飯を食べ終えた頃、黒いスーツの男の人が数名やってきた。祖母が客間の襖を取り払い、二間続きの広い部屋を作ったところに、手際よく神式の祭壇を組み立てた。
家族は居間で持って来た服に着替えたが、私だけは祖母が買ってくれた白のノースリーブのブラウスと、黒のロングスカートを身につけた。
「だっさ。全然色気ない」
母はいつもと変わらず私を嘲笑い、同意を求めるように父を見た。しかし父は母の方を向かなかった。ただ黙って私を見ていた。母は不愉快そうに眉根を寄せ、漫画の一コマのようにぷっくりと頬を膨らませそっぽを向いた。
そんな母を観察しながら、私は頭の中でずっと考えていた。この母の性格は、どこまでが世代間連鎖なのだろう、どこまでが本人なのだろう。興味はあるのだが、母の両親は私が生まれる前に亡くなっている。兄弟とも縁が切れているらしく、推しはかろうにも何も証拠がない。
康人はなにもかもを無視するようにテレビを見ていた。私も『人間失格』のページを開き、したたかになっていく主人公の生きざまを追った。
昨日の来客は、宮司の恰好をしてやってきた。
榊のお供え方など、時折作法を教えていただきながら、祝詞とお祓いをもって神事は終了した。
「このお位牌、墓石にそっくりだね」
「霊璽いうんよ」
業者が再び片づけを行う中、祖母は康人に白木の霊璽に墨で書かれた名前を見せていた。その後ろから私も覗いた。渡辺輝人彦命。まるで兄が大層な神になったようだ。
「これ、彰!」
縁側に座る父を、祖母が大声で呼んだ。
「次は十年祭はお前がやれ!お前が長男やけえの!」
父は答えなかった。祖母は再び怒鳴った。
「彰!聞こえとるなら返事せえ!」
「――俺は嫌じゃ」
父は、一面が下り坂ゆえに広々と見える空を眺めて言った。
「俺は諦めん」
「親の言う事が分からんのか!」
本気で怒る祖母を見て、業者さんがビクビクしている。
父は少し青い顔をこちらに向けた。
「おふくろ。この五年祭はおふくろが決めた事じゃ。俺はもう一度輝人を探す。死体でもええ、見つける」
「何をゆうちゅうが!そうやっていつまでもウジウジと!そのせいで双葉が迷惑しとんじゃ、ええ加減にせい!」
「ウジウジしとったんは本当じゃが、双葉の事は意味が違う!」
父はしっかり振り返り言い返した。そして身を乗り出すようにして言葉を続けた。
「俺はな、輝人の事がのうても、きっと双葉を切っとった!親父が俺を殴り、おふくろが俺を絶対許さんかったようにじゃ!輝人にもおんなじようにやっとった、だから輝人を諦めようが諦めまいが関係ない!なら!」
父は一生懸命言葉を探しながら、必死で叫んだ。
「俺はウジウジせんで、本気で輝人を探す!死んどってもええ、見つからんでもええ、とにかく、もう一度探す!もう血迷うて、『長男代理』なんぞ立てん!」
「お前は……今更、何を言いゆうが!この子をこんなに、男のように育ててもうて、今更何を言いゆうが!」
祖母は私の両肩を引っ張り、自分の前に据えた。私は思考が追い付かないまま、祖母と父の間でなすがままだった。
どっちも、私の事を考えてくれているのは分かる。
ただ私は、『長男代理』がそこまで嫌ではなくて。
だけど、河野さんだとか大矢先生だとかが、女の私も引き出してくれて。
男になりたい気持ちもまだあるけれど、女を体験してから決めてもいいかな、くらいに変わってきていて。
まあ、つまり、結論から言うと。
「私、どっちも正しいと思うよ。お兄ちゃんを諦めるのも、探すのも」
それから大急ぎで考えて、脳内で文章を作る。長考している間に、また喧嘩になられても困る。
「お父さんが私に厳しかったのは、私が『長男代理』だったからじゃないって事でしょ。で、それはそれで反省してるって言ってるし。それに、確かに私は男みたいだなって私も思うけど、案外これが素なのかも知れないし。最近は友達や仲のいい先生もできて、ちょっとは女子っぽい事もしてるし」
私は祖母を見上げ、軽く肩をすくめた。
「そんな大袈裟に考えることじゃないよ。お祖母ちゃんの考えとお父さんの考えが違ったところで、当たり前のことじゃん。違う人間だもん」
「いやでもな、双葉ちゃん……」
私は祖母ににっこり微笑んだ。
「お兄ちゃんが生きていようが死んでいようが、私の人生は変わらないの。だからね、お祖母ちゃんはお祖母ちゃんで、けじめをつけたんでいいと思うよ」
我ながら、イイ子過ぎる回答だと思う。だけど他に何を言えというんだ。理性的じゃない大人二人に挟まれて、子供が他に何を言えというんだ。
祖母は一度脱力したが、すぐにまた私の肩に置いた手に力を入れた。
「だったら十年祭までに見つけてこい!それくらいの意地は見せえ!」
父は少し表情を緩め、やはり怒鳴った。
「言われんでもそのつもりじゃ!よう見とけ!」
私はやれやれ、と心の中で溜息をつきつつ後ろを見た。
「お祖母ちゃん。斎場の業者さん、ずっと待ってるよ?」
「ありゃ忘れとった!いかんわあ、実にまっこと、お見苦しいところを見せてもたわあ」
祖母はカラカラと笑いながら、待機している業者さんに駆け寄った。
私はちょっとだけ苦笑して、お茶を入れようと居間に向かった。どうやら怒鳴り散らすという父の癖は、渡辺家の連鎖、いや伝統だったようである。
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