第36話 いまさらの後悔

 みんなが寝静まった深夜。

 私は縁側に古い読書灯を持ち出して、持ってきた本を読んでいた。積み重ねた本は、どれも学校の図書室で借りたものだ。わずかに虫の音がする以外はとても静かだ。山の上にいるからか、そよぐ風も涼しい。

 腹ばいになってゆったりと手足を伸ばし、読書に勤しんでいたのだが、背後に気配を感じて振り向いた。そこには、覇気の失せた父が立っていた。

「何、してんだ」

「本読んでる」

「そうか」

「だい、じょうぶ?」

 読書灯を除くと、ここにある明りは月だけだ。その青白い光に照らされた父の顔は、なおさら血色が悪く感じる。

「そこ。座っていいか」

「あ、うん」

 父が縁側に腰かけたので、私も身を起こしてあぐらをかいた。そのまま沈黙が流れる。父が何か言いたげなのは分かるので、とりあえず待ってみた。

「連鎖の、話。聞いてた」

「ああ、うん」

「当たっとる。親父もおふくろも、俺をよう殴った」

「そか」

「お前。そういう情報、どこで調べよんぞ」

「図書室の本」

 私は積み上げた本から一冊取り出した。題名に『分かりやすい社会学』と書いてある。

「難しそうな本じゃ」

「そうでもないよ。中学校にあるレベルの本だし」

「それでも、俺はよう読まん」

 父は少しだけ笑い、また黙った。

「……お前がな。ゆうてくれたんも、当たっとるわ」

「何を言ったっけ?」

「頭、ガンガンやったん、あてつけ違う」

 父はぐずっと鼻をすすった。

「いつもな。ああなると、『あてつけすな』って、よけど怒鳴られる。だけどな、やってしまうんや」

 うなだれていた父は、ますます背を丸くした。

「あそこまでせんと、許されん思ってしまう。本当は死んで詫びんといかんて思うとるけどな、その勇気がないから、ああなる」

 ――やっぱり。

 父の行動は、確かに康人にも重なった。だけどそれ以上に、私に重なっていた。旧校舎の屋上を見上げる私に、父にカッターを持たせた私に。


 父はもう、隠しようがないほど泣いていた。

 いや、隣にいるのは父ではない。私と同い年くらいの、孤独な少年。

 否定され、誤解され、いびつなまま育ってしまった私の同胞。


「俺かてな、俺が輝人を殺したんかなって、いつも悩む。いつも後悔しとる」

 父は涙を拳で拭いながら、しゃくり上げながら、必死で語り出した。

「やったことに自覚はある。だけんど俺は、他に方法を知らんし分からんのよ。誰かにそれを言いたいけんど、誰にも言えん。聞いてくれる人もおらん、俺がこんなんやき。周りに聞こえまわるほど、あんな大声で怒鳴りゆうき」

「大丈夫だよ」

 私は手を伸ばし、父の肩あたりをさすった。

「本気で相談すれば、誰かは聞いてくれるよ。怒鳴っちゃうことだって、ゆっくり直していけばいいじゃん。連鎖は止められるんだから」

 あの社会学の本に書いてあった。世代間連鎖を止めるには、本人がそういう行為や環境を引き継がないよう努力することだと。私は私で努力するとして、父も今からその努力をすればいいのだ。

「お兄ちゃんのことは、生きてるって信じていようよ。五年祭はおばあちゃんがやりたいだけ。お父さんまで、おばあちゃんの意見に染まる必要はない」

 父はうんうんと頷いた。しばらくすると涙も引いて、顔を上げた。ぐしゃぐしゃだけど晴れやかな表情だ。


「まったく。これじゃあ、どっちが親か分からんな」

「お父さん。私、明後日で13歳だよ?大昔なら元服の歳だよ」

「そうか。――え、明後日だったか!?」

「娘の誕生日忘れないでよ」

 私は軽く笑った。父が、私の誕生日を覚えていないだろうとは思っていた。だって兄がいなくなってから、一度も祝ってもらっていないから。きっと母も忘れている。

 父は気まずそうに頬を掻き、少し欠けた月を見上げた。

「なんか欲しいもんあるか」

「いや別に……うーん、あるっちゃあるけど……」

 私は迷ったが、思い切って『人間失格』に挟んでいたハガキを抜いた。

「この、無駄に風流なおハガキにお返事を書きたいの」

「男からのやつか!」

 喜色満面な父に、私は冷静に釘を刺した。

「いや、先生だよ」

 そこでふと、気になった事をたずねてみた。

「お父さん、大矢先生って知ってる?お兄ちゃんの担任だった人なんだけど」

 途端、父の顔が苦渋の表情になった。それから背を丸め、どんどんと小さくなっていく。

「最後まで、輝人を探してくれていた方だ……だけど、俺が偉そうに怒鳴っちまって……それ以来……」

 しょげてしまった父に、私は慌てた。

「お父さん大丈夫!この手紙、その先生からだから!今でもお兄ちゃんのこと気にかけてくれてるし、私と結構仲いいから!代わりに謝っとくからね!」

 ――でも、先生は父のことを許さないかも。

 私は今までの大矢先生を思い出し、これ以上父に期待させるようなことは言わないでおこうと決めた。

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