第35話 遺伝と連鎖

 堪えよう、堪えようとしながら、父は涙と嗚咽を漏らし続けた。それは正直痛々しくて、いっそ泣き叫べと言いたかった。

 だけど、それは叶わなかった。

「泣くな、大人の癖にうっとおしい!」

 座り込んでいた祖母が息を整え立ち上がり、忌々しそうに吐き捨てたからだ。

「何がしたいんぞお前は。私へのあてつけか!そんなことしたところで、五年祭は止めん!」

 きっぱりと言い切って父を睨む祖母。しかし父は、虚ろな目でどこも見ていない。


 そうじゃない。

 これは、そういうことじゃない。

 明らかに物事が噛み合っていないのに、どうして祖母には分からないんだ。


「そのバカはほっとき。もう夕飯にするき、みんな手伝いや」

 立ち去る祖母の背中に、いつもの父の背中が重なる。今の父が、いつもの暴れる康人と重なるように。

 大量に読んできた本の中から、一つの単語が浮かび上がった。私は、その本を読んだ時以上の絶望感を感じていた。




 夕飯の席に、父はやってこなかった。

 私達は黙って食事をしたが、どうも母の様子がおかしい。何か言いたくてたまらないのか、口元を隠してうずうずしている。

 康人が最初に気が付いた。

「お母さん、何」

「ううん。なーんにも」

「じゃあじっとしてろよ。気持ち悪い」

 康人が注意しているのに、母は祖母に向かって変に余裕ある笑みを見せた。

「いえねえ。さっきの彰さんのおかしな様子が、とっても康人と似てるなあと思ったものですから」

 祖母に向け、母が慰めるような顔を向けた。

「何が言いたいんぞ」

 祖母がぞんざいに返事をすると、母はちょっと上目遣いになり、お箸を持った手でまた口元を隠した。

「実は康人も、あんな風に暴れちゃうんですよお」

 私はびくっとして、お味噌汁を飲むのを止めた。康人に目を走らせると、康人も同様に固まっている。

 母は今度は悲しげに、頬に手をやって憂い顔を作った。

「お義母様はとても渡辺の血にこだわっていらっしゃるけど。でもやっぱりこれって、遺伝による欠陥ですわよねえ」

「だまりゃーす!」

 祖母が激しく食卓を叩いた。

「渡辺の血に欠陥なぞない!康人はあんたんとこの血のせいじゃ!」

「いいえ?うちはごく普通の平民ですけど、こんな人間見たこともないないです。本当、康人がかわいそうだわぁ」

 同情を装って祖母のマウントを取る母を見て、私は私は大きくかぶりをふった。

「遺伝子のせいじゃない。遺伝子には体の設計図しか入ってない」

「いいえ!?双葉、だってテレビで――」

 私を勢いでねじ伏せようとする母を、私は更に大きな声で威圧した。


「あなたが言っているのは世代間連鎖。子供が親の行動や環境を引き継いじゃうこと」


 母は怪訝な顔で黙り込んだ。私はお椀を持ったまま、何もない真正面を見た。これから言いたいことは、どうせ聞く耳を持たない母にとって独り言にしかならない。だけどどうしても言ってやりたい。できれば後悔で泣き喚け。

「怒鳴られて育った子供は、大人になってから我が子を怒鳴る。その子もまた我が子を怒鳴って育てる。子供は、親が自分が育てた方法を真似て自分の子を育てるんだ。それが世代間連鎖」

 祖母の動きも止まっていた。祖母になら届くかもしれない、祖母だって父に対して間違っている。

「私は、お父さんに怒鳴られて育った。お父さんも、おばあちゃんに怒鳴られて育った。きっとおばあちゃんも、そのお父さんに怒鳴られて育ってるよね。子供の頃は、それがどんなにか辛くて嫌だったかも知れない。だけど大人になって親になった時、結局自分がされたように、我が子を怒鳴って殴る方法を選んじゃうんだよ」

 私は次に、康人の方を見た。急に振り向いた私に、康人は驚いた顔をしている。

「だけど康人はね、とっても大事にされてるんだよ。怒鳴られた事も一度もないし。だから、お父さんに似るはずがないんだよ。

 だけど世代間連鎖は、見ているだけの子供にも起こるんだ。お父さんが辛くなるとああなるように、康人も怒鳴られる私を見る事で、耐えられなくて暴れるんだ」

 そして私は母に目を向けた。どうしても言いたかったことを、はっきりと言うために。

「遺伝だの血の欠陥だの、バカじゃないの。お母さんがお父さんから私達を守ってくれないから、康人は暴れてんだ。間違えんな」


 食事の席が静まり返った。

 私は茶碗を取って勢いよくご飯をかきこみ、周りにしれっとこう言った。

「食べないの?」

 ぎこちなく再開した夕食だが、おかずは半分ほどが残ってしまった。三人は黙ってぱらぱらと席を立った。

 最後に残った私は、残り物を冷蔵庫に仕舞い、慣れない台所で一人後片付けをした。


 ――ああ、くっそ。何語ってんだよボケ。


 私は、皿を叩き割りたい衝動と戦っていた。

 伝わらない事を話したところで、何も期待できないのだ。腹の中で笑われて、私が傷つくだけなのだ。

 それでも届けと願い語ってしまう自分が、心底愚かしく、憎たらしかった。

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