第34話 姫の血統
祖母の車に乗せられて、街中のショッピングモールに来てから1時間後。
私は、流行りのコーヒーショップで洋服店の紙袋に埋もれて潰れていた。
「存外、根性がないのう。双葉は」
氷たっぷりのアイスコーヒーを飲みながら、正面に座った祖母がぼやいた。
「だって人多いし、試着も疲れるし……」
私は濃い木目のテーブルに突っ伏して、力なく答えた。
普段出歩かない私にとって、ショッピングモールはとてつもなく人が多すぎた。人の波を縫って歩くだけでも疲れるのに、次から次へと洋服店に連れ込まれ、着せ替え人形のように何度も服を脱ぎ着させられて。疲れるなと言う方がおかしい。
「しかもさ。姉貴、なんでメンズ服の方行っちゃうわけ?姉貴は女の子だよ?」
私の隣では、康人がなんちゃらフローズンというドロドロのドリンクをストローでかき混ぜながら、冷たい目線を寄越している。
「いや……だって私は、ほら……」
祖母の手前ごにょごにょと誤魔化したのを、康人は意地悪に暴いた。
「大人になったら男になるって、まだバカなこと考えてんの」
固まってしまった私を、祖母がちょっと驚いた顔で見た。
「どういた。双葉は男になりたいんか」
「あ、いや……」
なんとか誤魔化そうと慌てていると、祖母が小さく笑った。
「このばあちゃんにも、そういう時期があったのう」
祖母は少し懐かしそうな目で頬杖をついた。
「私の娘時代は、女が働ける仕事ゆうて、そんなになかったき。景気だけは良うてみんな浮かれとったけんど、私は嫌やったわ。みんないい会社に就職して適当な仕事して寿退社が夢って言うけんど、それに何の生きがいがあるんぞってな」
「……でも、女は男に養ってもらうもんだって、お母さんが言ってたけど」
私が言うと、祖母はみるみる嫌悪を露わにした。
「まっこと、性根が腐った女郎崩れが」
「いや、お母さんはそんな悪い人じゃ……」
「いいや。双葉」
祖母は急に居住まいを正し、ぴんと背を伸ばした。その迫力に圧され、私もテーブルから身を起こして座り直した。
「あんたは、世が世なら姫となる人間じゃ。姫たるもの、男なぞに媚びず頼らず、強う気高うおらにゃいかん」
「姫?」
「そう。うちはな、かつて大名だった一族の子孫じゃ。刀も残っちゅう」
祖母の話に興味を惹かれたのか、康人も私の方に身を寄せてきた。祖母はそれを見て、ますます得意げに語り始めた。
「まだ戦が多かった頃、姫は殿がいない城を守る要じゃった。だから女でも武術を学び、学問を究め、実際に戦に出ることもあった。巴御前だとか、甲斐姫だとか、名前くらいは知っとらんか」
「ああ……教科書で読んだけど……」
甲斐姫は知らないけれど、巴御前は社会の教科書に載っていた。木曽義仲の幼馴染で側妾、そして戦友。馬上で薙刀を構える挿絵を見た時、なぜか胸が震えたっけ。
「女であろうと、武功を上げることはできる。それに男じゃろうが女じゃろうが、大名の一族たるもの気高さがのうてはいかん。それは、康人も同じやぜ」
「ええ?なんで俺に話振んの」
嫌そうな顔をした康人に、祖母は澄まして言った。
「あんたもな、ちっくと次期当主の覚悟を持てい」
「知らねえよ。次期当主は姉貴じゃん、長男代理なんだから!」
喚く康人を見て、祖母はおかしそうに笑っていた。だけど僅かな間に、ぽつりと漏らした言葉を私は聞き逃さなかった。
「――あれらが、それを許すわけなかろうが」
やっぱりそうか。
私は表面を笑顔で繕いながら、心の中は荒れ狂っていた。どこかで分かっていた。私は最初から長男代理ではない。本当の長男代理は、次男である康人だ。
不意に言葉が浮かんだ。小説『人間失格』で、主人公が人々の愛を乞う自分を蔑む時に使う【お道化】。
私は、きっとこのお道化なのだ。親の理想を演じて生きて、それでも愛されない生き物なのだ。本当に男になったところで、両親は喜びも怒りもしない。――きっと、興味すら示そうとしない。
祖母は更に私の服を買い足し、夕飯のお惣菜もいくつか買った。
そういえば下着も新調した。胸が思ったより大きくなっていたからだが、康人が照れて本屋に逃げたのには祖母と笑ってしまった。
そういえば、祖母に変な事を聞かれた。
「双葉は、ブラジャー嫌かね」
「へ?別に。ていうか、ないと困るし」
質問の意図が読めぬまま答えたら、祖母は何やら安心したようだった。
あれはなんだったんだろうと考えつつ、また車に揺られて山道を登る。家に帰りついた時は、もう日がかなり傾いていた。
急いで夕飯を用意せねばと車を降りると、なんだか変な音が耳についた。低く響く音。地響きのような、何かを殴っているような。
それが母屋から聞こえると気づいた私は、祖母に伝えようと運転席側に回った。が。
「おばあちゃ――!?」
祖母は鬼の形相になっていた。奥歯を噛みしめて、カリカリと音がするほど歯ぎしりをしている。
「あんのドラ息子があ!」
激しい怒りのまま走ってく祖母を、私も慌てて追った。音はどんどん大きくなり、母屋の中から響いている。
「こら彰!」
怒鳴る祖母を追って土間に駆け込むと、居間のすみっこにいた母が私に駆け寄って来た。
「お母さん、何が」
「双葉、どうしよう、お父さん変になっちゃった、どうしよう」
「お母さん、落ち着いて話を――」
「ねえ、どうして私ばっかり不幸に遭うのよお!もう嫌よこんな人生!」
私は、すがり付いてくる母に怒りを感じた。
私ばっかり不幸?
こんな人生はもう嫌だ?
だったら黙って死にやがれ!
「邪魔だ!」
私は母を突き飛ばし、更に音が大きい方を目指した。
「お父さん!――!?」
父は、ひときわ太い柱に額を打ち付けていた。
額が血みどろになっても動きを止めず、虚ろな目で繰り返し。
ぼそぼそと、ごめんなさい、ごめんなさいと呟いて。
不安になると暴れる康人とどこか似ていた。
まるで、脆い子供だ。
「彰、ええ加減にせい!いつまでやっちゅう、このバカが!」
祖母が、少し離れたところから叫んでいる。止めたくても止め方が分からないのだろう。標準よりやや背は低めとはいえ、父はがっちりした体格だ。祖母の力ではきっとどうにもならない。
この家には、父を制御できる者がいない。どうしたらいいんだと思った時、さっきの祖母の言葉を思い出した。
――姫は、殿がいない城を守る要。
父を守れる者がいないのなら、姫である私がやればいい!
私は父に向って走った。父がまさに再び頭を打ち付けようとするところに飛び込んだ。
「やめろボケがああああ!」
全力の体当たりをかますと、父はあっけなく吹っ飛んだ。
そのまま放心する父の胸倉を持って引き上げ、私は派手な平手打ちをかました。
「目を覚ませ、このクソ親父!」
父の目にじわじわと涙がたまり、次第に派手な嗚咽に変わった。祖母は胸を押さえて座り込み、遅れてきた康人は血みどろの父を呆然と眺めていた。
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