第33話 祖母の決断
祖母の家はかなり古い。広い土間に続いた台所にはかまどが並び、古い水がめなども置かれている。今はかまどの上に板を置き、そこにガスレンジを置いている。
私と祖母は土間を抜けて居間に上がった。運び終わった荷物が、ちょっとした山になっている。
「おばあちゃん、ありがと。あとは私がやるから」
「じゃあ、まかいたきね」
「うん、任された」
返事をしつつ額の汗を手の甲で拭っていると、立ち去ろうとした祖母が足を止めた。
「そのおでこの傷、どういた?」
「え?あー……」
私は返事に詰まった。今までは康人のせいにしてたきたが、祖母に言うのはさすがにマズい。本気にされて康人が怒られてはたまらない。
「ちょっと転んで、ぶつけた」
笑いながら悩む。嘘臭くなってないだろうか。作った顔が不自然じゃないだろうか。
「ほうかい。女の子なんやき、顔は大事にしいよ」
祖母は少し顔をしかめただけで、そのまま部屋から出て行った。私はほっと息をつき、家族の着替えを選り分け客間に移動させた。
私が荷ほどきを終えた頃には、家族全員が居間に集まっていた。お昼の支度をしているらしく、祖母が寿司桶からちらし寿司を茶碗によそい、母が汁物を大きなおぼんに乗せて運んでいた。父はテレビで甲子園を見ており、康人は暇そうにごろごろしている。
「双葉、早く手伝いなさい」
「はい」
母の厳しい顔を横目に見つつ、私は居間の隅にある食器棚へコップや箸を取りに行った。そんなバタバタした中で、祖母は何げない様子で父の方を見た。
「彰。双葉のおでこ、どういたん」
「知らん」
即座に答えた父に、祖母の顔は険しくなった。
「知らんっちゃあどういうことよ。我が子の顔に、でっかい傷ができちゅうがやぞ」
「知らんもんは知らんもん。康人と喧嘩でもしたんじゃないか」
慌てて私が叫んだ。
「康人じゃない!」
康人も飛び起きた。
「僕じゃない!」
「ほいたら、誰のせいな」
祖母が私と康人に問うたと同時に、母が私達を鋭く睨んだ。私は真っ直ぐ睨み返したが、康人は射すくめられたように固まっている。
祖母はゆっくりと父を見て、さらに母も見た。視線を外した二人を見て、祖母は合点がいったように頷いた。
「よう分かった。彰が切ったんな」
父の顔が青くなった。
「なんで素直に言わんのぞ」
「おふくろ、ちゃんと聞いてくれや。これには理由が――」
慌てる父をよそに、母はそ知らぬ顔で座卓に汁椀を並べ出した。が。
「言い訳すな」
祖母が静かな声とは裏腹に、最後の茶碗を叩きつけるようにして座卓に置いた。母が驚き、置こうとしたお椀の中身を半分こぼした。
「美津子さん」
「あの、すみませんっ」
「お客さんは、なんもせんでよろし」
祖母は動かなくなった母からおぼんを取り上げ、淡々と昼食の支度を仕上げた。そして全員を見渡して静かに言った。
「早う食べておしまい。今日は忙しい」
私達は、そろそろと座卓の周りに集まった。小さく手を合わせて、祖母が作った食事をそれぞれ口に入れる。
ゆずの味がするちらし寿司は、いつになく味気なかった。
お昼を食べ終わって1時間ほどした頃、「ごめんください」という声が聞こえた。
私と一緒に台所を片付けていた祖母が、いそいそと土間の方から外に出た。
「宮司さん、忙しい時にこんな山奥まで来させてしもうて。すまんねえ」
「松子さんの頼みやき、かまんがよ。息子さんは帰っとんかえ」
「おるけんど、もう私だけで決めてしまおう思う」
「――おふくろ、何を話しゆう」
こわごわという風に、父が祖母の方に向かったのが分かった。私はそれとなく話を聞きながら、大きな寿司桶を布巾で拭き上げる。
「明日、輝人の五年祭をやる」
「は?」
――五年祭って、仏教の七回忌みたいなものじゃなかったっけ?
寿司桶をやや大きな冷凍庫の上に置いた私は、話をしている祖母達の方に近づいた。祖母は堅い表情で、父の方を振り返っている。
「輝人がおらんようになって、もう6年経った。死んだ者は祀らにゃならんに、1年遅れてもうた」
「死んでないわ!勝手に殺すな!」
父が祖母に縋ろうとしたのを、祖母は手で払いのけた。
「それに双葉を身代わりにして、お前は何の夢を見ちょるんじゃ」
「しとらん!あいつが勝手にやりよるだけじゃ!」
私は胸にずしりとした痛みを感じ、底なしの沼に沈むような感覚に陥った。
愛されたかったのは確かにある。だけど、傷ついた両親が痛ましかったから、少しでも支えになりたいと思ったから、私は自分を捨てたのだ。二人の代わりに戦ってきたのだ。
勝手になんてやっていない。期待はしていなかったけど、こんな言い方はあんまりだ。
「そうやって、いつまでも逃げるお前の代わりに、私が全て終わりにしちゃる」
祖母の凛とした声が響いた。
「輝人の霊璽を作ってもろうた。輝人はもう死んだ、死んだ者にいつまでも縋るな」
霊璽は位牌にあたるものだ。祖母は、本気で兄を死者にしたのだ。
「いやや、おふくろ、輝人は生きてる、死んだはずがない、生きてる」
再び手を伸ばした父に、祖母は冷ややかに言い放った。
「そんなに執着するんは、お前が殺したからやないんか」
父の動きが止まった。祖母は来客に向き直り、深く頭を下げた。
「見苦しいもんを見せてもうて。約束通り、明日お願いいたします」
「いや……ええんかえ」
戸惑う相手に、祖母はほんのりと微笑んだ。
「私も、色々片付けにゃあいかんきに」
「その事も、ちゃんと話し合いせにゃあかんよ。ほいたらな」
来客が去り、祖母は立ち尽くした私に気づいた。
「双葉ちゃん、お兄ちゃんのお祭りにそんなボロはいかんのう。二人でお買い物行こう」
「え、あ、でも」
戸惑っていると、後ろから衝撃が来た。
「俺も行く!ねえ、姉貴行こう!」
康人が私の背中を押している。祖母を見ると、困ったように笑っていた。
「しょうがないのう。ほれ、二人ともおいで」
私は康人に手を引かれつつ、こわごわと祖母の方に向かった。すれ違った父の顔からは、全ての表情が抜けていた。
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