第五章・連鎖を断つ者
第32話 帰省
お盆と正月は、いつも家族揃って父の実家に向かう。
片道で約2時間半。急な峠をいくつも超えて、急なカーブもいくつも曲がり、体を前後左右に揺られながらの道行である。
狭い車内には私たち家族の着替えや、康人の宿題のほかに、祖母へのお土産やら、冷蔵庫に残っていた野菜やらが、様々な箱や袋に詰められてぎゅうぎゅうに押し込められている。
そんなわけで。康人は早々に車酔いでダウンし、ボストンバックを布団代わりに寝た。母も揺れに抵抗しようと、目をつぶっているうちに熟睡した。
「まったく。俺に運転させておいて、どいつもこいつも寝息を立てやがって」
父が、混雑している道路にイライラしながら文句を言った。カーステレオからは、父お気に入りの演歌がエンドレスで流れている。
「起きてるよ」
私は借りてきた『人間失格』のページをめくりながら、気のない返事を返しておいた。
「本を読みながら車に乗るバカがおるか。酔うぞ」
「平気。ていうかお父さん、高速道路使えば早いのに」
「かっ!?」
父の声が裏返った。私が父を『お父さん』と呼ぶようになってから、父の様子がおかしい。
「か、金の無駄だろ。それに、通行料を取るなんざ国としておかしい!」
「高速料金って言うんだよ」
通行料っていつの時代だ。
私は、しおり代わりにしていたハガキを手に取った。私宛てだが差出人の名は書かれていない。でも、覚えのある香りが僅かに染み込んでいる。
【暑中お見舞い申し上げます 話したい】
――大矢先生、これ何回書き直したんだろ。斜めに透かすと、『逃げないで』だの『ごめん』だの『会いたい』だのって、何度もシャーペンで下書きした跡が見えちゃってるんだけど。
もっと大人らしい文面もあるでしょうにと、私はにやけた。父がバックミラー越しにそれを見咎めた。
「なんぞ、男からか」
「まあね」
確かに男だ。大矢先生だから。
「もしかしてラブレターか?」
「さあね」
書いては消された文字も含めると、そんな風に読めるかも。
そう思うとさらにおかしくなって、私はハガキで口元を隠してクスクス笑った。父は急に眼を釣りあげ、抑えた声でなじった。
「おい、調子に乗るなよ。お前みたいな女の出来損ないに、惚れるバカはいないんだから――」
「お父さん、そこ警察いるよ」
父は慌てて前に向き直った。私は口元に微笑みが残ったまま、再び小説に目を落とした。
小説は既に三周目に突入していた。私は、太宰治の虜になっていた。
父の故郷は、かなりの山奥の村である。
正確には村だったところだ。市町村合併により、周辺の村と共に新しい町名に変わっている。だけど棚田と杉山とミツマタ畑が広がる風景は、やっぱり古き良き日本の村そのものだ。
その中でも特に奥まったところに、祖母が住む家はあった。
父は、かつて牛小屋があったらしい空き地に車を停めた。
「ついたぞー!ほら、起きろ!起きぃや!」
父が母や康人を揺すっている間に、私は車内にある荷物をどんどん外に出した。いくつかをまとめて持ち上げようとした時、独特の舌が回らないような方言が聞こえた。
「おうおう、よう来たのう」
少し下にある母屋の方から、祖母がにこやかにやってきた。この村の人に特徴的な小柄でずんぐりした体だ。不安定な山肌を確かな足取りで歩んでいる。
「おばあちゃん!」
駆け寄る康人に、祖母は穏やかに微笑んだ。
「おかえり、康人。挨拶はええき、お手伝いしぃや」
「ええー」
その後ろから、母が大きな紙袋を持って駆け寄った。
「お義母さん、お久しぶりでございます。これ、よかったら使ってください」
「いらん。持って帰れ」
あごであしらった祖母に対し、母は先日ゆるく当てたパーマを揺らして擦り寄った。
「でも、ここから市街まで遠いですし、お洋服とかお入り用でしょう?」
「バーゲン品にはゴミしかないっ」
私はボストンバッグを両手に2つずつ母屋に運びつつ、笑わないよう必死で我慢していた。確かに母は、帰省のたびにスーパーのダサいバーゲン品を買い漁る。その中でもマシなものを自分用にキープし、残りを「田舎は適当な恰好でいいんだから」と祖母の土産用にしているのだ。
とうとうバレたなと愉快に思っていたら、祖母の感心するような声が後ろから聞こえた。
「双葉ちゃんはよう働くのう。ええ子に育ったもんじゃ」
すると父の冷やかすような声がした。
「いやいや。最近は色気づいてもうて。まっこと女いうんは、ろくなもんじゃない」
「こりゃ!お前らみたいなろくに働かん男のことを、ろくでもないっちゅうんじゃ!」
祖母の怒声の後、私と入れ違いで父と康人が慌てて段ボールを一つずつ母屋へと運んでいった。
「康人、足元気を付けて」
私は苦笑しながら声をかけ、残りの荷物を取りにいった。
祖母は立ち尽くす母を残し、私の方に寄って来た。
「そんなにぎょうさん持つんは大変じゃろ。ちっくと寄越しや」
「ありがとう。あと、ただいま。おばあちゃん」
祖母は嬉しそうに目を細めた。
「おかえり。ちっくと雰囲気変わっちゅう気ぃするが」
「美容室でね、初めて髪を切ってもらったの」
「ほーかいほーかい。そりゃ、ほんまに良かったのう」
「うん!ほら素敵でしょ?」
鞄を運びながら楽しくおしゃべりする私たちの後ろを、母がうつむきながら付き従った。
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