外伝:東先生の誤算
生きる理由を、愛情に求める人は多い。
愛される理由を、外見に求める人は多い。
東恭子は、まさしくそういう女だ。
自分の外見には、常に劣等感を持っていた。
彼女がかかとの高いナースサンダルを内履きに選んでいるのも、足の短さを誤魔化すため。濃いめのメイクをしているのも、素の目鼻立ちを醜いと思っているから。
内面で勝負と言わんばかりの、ボーイッシュな女、ノーメイクな女を、彼女は平気で「ゴミ」と呼んだ。そのゴミに彼氏ができると、「体を使ったか、男の目が腐ってる」とせせら笑った。
当然、周囲には似たような考えの友達しかいなかった。だから彼女の世界では、女の定義はこれで、かつ正義でもあった。
話を戻そう。
東恭子は、生きる理由を愛に求める。
東恭子は、愛される理由を外見に求める。
更に言うと、「愛する価値がある人間も外見に求める」。つまりは面食いだ。
その面食いの彼女が見初めたのが、大矢だった。少し日焼けした整った顔、高い身長に長い手足、魅力的な長い指。鍛えた体は野性的で、チョークの粉よけという白衣は知的。やぼったいこの田舎で見つけた、都会的な香りをまとった男。
彼の外見に惑うのは、何も女教師だけではない。女子生徒の人気も高く、次々に用事を見つけては彼の周りに群がった。そんな女子生徒を邪険にすることもなく、にこやかに対応する大矢に彼女はさらに好感を持ったが、同時に女子生徒側に激しく嫉妬した。
生徒に嫉妬するなんて自分は間違っているかもしれない。思い悩んだ彼女は、好々爺とした外見の老教師に相談した。
「嫉妬ですか、よろしいじゃないですか!それを使えば、容赦なく生徒を厳しく導けるじゃあないですか。生徒にはね、厳しく接するのも愛なんですよ。それに恋愛など学生には無用だ、それは大学に合格してから許されるものだ。思う存分叩き潰してやればいい」
――そんな考え方もあるんだ。私、この気持ちを許していいんだ。
彼女の狂おしい気持ちは、女子生徒を容赦なく取り締まる事で中和された。熱心な指導姿勢は、先輩教師達からも褒めてもらえた。
大矢との関係は変わらなかったが、それでも満足していた。
しかし。年度が替わり、どうにも目障りなコブが現れた。渡辺双葉である。
渡辺は、完全に「ゴミ」だった。
バサバサの髪、ぼろぼろの肌、愛想がなくて淀んだ目、派手に浮かぶ黒いクマ。好かれないようにわざと汚くしているんじゃないかと思うほど、渡辺だけが埃っぽく見えた。
渡辺の両親も同様に思っていたらしく、家庭訪問では母親に「東先生のお力で、あの子を分をわきまえた人間に調教してください」とお願いされた。
『調教』という表現にひっかかりはあったが、何をしても問わないと言っていただけたのは幸いだった。こんな「ゴミ」が大矢に近づくとは思えなかったが、自分の担当する生徒だと思うと、恥ずかしいのでまともになって欲しかった。
しかし、予想は大きく外れる。
大矢が渡辺に急接近し始めたのだ。更に大矢が自分を避けている気配もあり、東恭子は大いに焦った。
大矢先生が、渡辺に恋しているわけではないだろう。
だけど、あんなゴミになんて捨て置けばいいのに。
私だけを見て欲しい、他の誰も見て欲しくない!
「そうよ、嫉妬心で指導すればいいのよ」
職員室の片隅で、東恭子は呟く。
「渡辺を調教するチャンスが来たのよ。「ゴミ」だと分からせる時が来たんだわ」
渡辺双葉の、小学生時代の資料を漁った。吊るし上げるネタはすぐ見つかった。
「これを使いましょう」
……小学校2年から5年まで、いじめられていた記録。普通は隠しておきたい黒歴史を暴かれたら、ひとたまりもないんじゃない?
『嫉妬心を利用しろ』。そんな知恵をくれた老教師は、問題を起こして学校を去っていた。東恭子は師と仰いだ彼を思い出し、密かに誓った。
――先生の教えが間違っていないことを、私が証明してみせます。
そして翌朝、彼女は勢い込んで教室に向かっていた。
今日こそは渡辺を倒すのだ、あの能面のような顔を泣き顔に歪めてみせるのだ。
ああ、なんて清々しい朝でしょう。今日はいい日になるに違いないわ。
勢いよく教室の戸を開けた彼女は、一切予想していなかった。
その日吊るし上げられるのが、自分自身だということを。
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