第18話 暴発

 東先生は、教壇に近づいた私の前に立ちはだかった。

「なんで呼ばれたか分かってる?」

 私は黙っていた。はいと答えようがいいえと答えようが、相手がキレるのは目に見えている。

 東先生は、威嚇するように大声を上げた。

「分からないなら教えてあげるわよ、この髪!」

 東先生は私の肩を持って無理やり後ろを向かせ、襟首あたりの髪を掴んで強く引いた。長さがまばらな私の髪は、すぐその手からすっぽ抜けた。

「身だしなみを直せって、私はあなたに何回言えばいいのかしらね! 服も髪も適当で!」

 怒声を聞きながら、私は東先生に向き直って頭を下げた。

「すみませんでした」

「私に頭を下げてどうすんの、みんなに向かって下げなさい!」

 意味が分からず戸惑っていると、東先生の口が少し右に吊り上がった。

「あなたのせいで、みんなが立ってんの。あなたという恥ずかしい人間のせいで、このクラスの品位が下がってるせいで」

 恥ずかしい人間。

 その言葉は、昨日父が言った『クズ』と同じ意味に感じた。私さえいなければまともな集団が、私のせいでケチがつく。

 その通りかもしれないと、私の心が傾いていた。渡辺家で一番のバカ故に、一族の平均点を下げる存在。女の子として欠陥な故に、スカートを履くと悪目立ちしてしまう私。

「あなたがいると迷惑なのよ」

 その言葉は、激しい重みとなって胸を直撃した。うっすら感じていた自分への疑惑が、東先生の言葉で確信に変わってしまった気がした。

 頭を下げようと振り向いたとき、前方の誰かが小さく動いたのが見えた。なんとなくそちらに目を向けると、戸村君が微かに、だけど必死な顔で首を横に振っている。

 ――下げなくていい、ってこと?

 再び固まってしまった私の後ろで、また東先生の声が響いた。


「ねえ渡辺さん。中学校には、各小学校から生徒の細かい資料が届くのよ」

 慌てて振り向くと、東先生は実に意地悪な笑みを浮かべて続けた。

「あなた、ずーっといじめられてたんですってねえ。そりゃそうでしょうねえ、こんな汚い見た目を一切直さないんだもの、みんな一緒の空間になんていたくないわよねえ」

 ――何を言っているんだ、こいつは。

 さっきまでのどん底の気分が一転し、頭に血が昇るのが分かった。私がいじめられたのは、父への心ない噂が原因だ。しかも私一人の問題じゃない、家族全員がこの地域の人間の標的になったのだ。

 この先生は――いや、この女は、資料なんてほとんど見ちゃいない。私を潰す事しか考えていない、家に攻めてくる大人と同じだ。


 私は奥歯を噛みしめて耐えていた。しかし、東先生はそれを愉快そうに見つめながらこう付け加えた。

「そういや、四年生に弟もいるんですってねぇ。あなたが卒業した後は、今度は弟を指導しなきゃいけないのかしらねえ」

 ぷつんと、何かが切れた気がした。

 

 てめえそれ脅しのつもりか。

 私の家族に手を出す気か。

 

 気がつくと、私は東先生の方に踏み込んでいた。

「黙れ」

「本当のことでしょう」

「黙れっつってんだよ、このクソが」

東先生の、真っ白なブラウスの胸ぐらをひっつかむ。

「えっ……ちょ、何」

 顔を引きつらせた東先生を素早く引き寄せ、鼻先で低く囁く。

「てめえも、見せしめの気分を味わってみろや」

「ひっ――あ、あ、あ!」

 私はそのまま、東先生を廊下へと引きずっていった。教室と廊下を隔てた引き戸を足で蹴るようにして開け、東先生を放り投げた。

「ひ……ひ……」

 私は大きく息を吸い込んで、思いっきり叫んだ。

「謝れ!」

 恐怖で動けなくなった相手に馬乗りになり、再び胸ぐらをつかんで激しく揺さぶる。

「いい気になるなクソが!弟をダシにすんじゃねえ、私も好きでこんなナリしてんじゃねえ!」

「あっ、あのっ、わたっ」

「それにいじめられてたのはずっとじゃねえ、原因だってこの見た目のせいじゃねえ!」

 怒りが加速していく。封じていた恨みつらみが、一気にあふれ出してくる。

「詳しい資料っつうんなら、兄貴の事件も親父の事件も書いてあったんだろ! それでも原因は私のせいってか、何もかも私が悪いってか!」

 相手の目に涙が浮かんでいる。私の口元が笑うように歪んだ。潰してやる、こいつを完全に潰してやる!


「――双葉ちゃん、駄目!」

 誰かが私の腰に抱きついた。

「うるせえ、邪魔するな!離せ!」

「駄目だよ、落ち着いて!」

 それは河野さんだった。必死で私を止めようとしている。

 その隙に、男の先生達によって東先生が奪われた。

「待ててめえ、まだそいつからゴメンの一言も貰ってねえ!」

「駄目だよ、無理だよ双葉ちゃん!」

 暴れる私に、河野さんは引きずられながらしがみついた。

「大人は謝らないんだよ、間違ってることすら分かんないんだよ!」

 私の脳裏に、我が家を襲った多くの大人と、何故か両親の顔が浮かんだ。

 ――そか。分かんないのか。

 急に体の力が抜けた。へたり込む私にまだくっついたまま、河野さんがしゃくり上げている。騒がしさにふと顔を上げたら、周囲に人垣ができていた。


 私を咎める目。

 私を面白がる目。

 小学生の頃に向けられていたものと、何も変わらない。


 ――もういい。どうでもいい。

 私の心は、闇の奥で閉じた。

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