第19話 黒い焔とラブレター

 二時間目が終わった休み時間、私は生徒指導室に呼び出された。

 中にいたのは銀髪に眼鏡の学年主任、林先生。それと、たぬきを人にしたような顔の教頭先生だった。

 林先生は、淡々とした口調で私からことの顛末を聞いた。黙って聞いていた教頭先生が、最後に勿体ぶった顔をして身を乗り出した。

「今日は、君も機嫌が悪かったみたいだねえ。ところでこれを親御さんに説明するとなると、君のやったこともお伝えしなくちゃいけなくなるんだけど。どうだろう?」

 揉み消す気だとすぐに分かったが、もう何の感情も湧かない。

「……話しません」

 途端に、教頭先生が晴れやかな笑顔になった。

「そうかそうか!先生に反抗する君も悪いんだからね、しっかり反省するようにね」

 やっぱり、この人も私なんてどうでもいいのだ。ますます心が閉じていく。いきいきと笑いだした教頭先生とは反対に、私の中から感情の全てが死んでいく。

 気もそぞろな教頭先生が自分の腕時計を覗いた時、林先生が静かに口を開いた。

「なんで話さないんだ」

 慌てて顔を上げた教頭先生から目を移し、私は呟くように答えた。

「意味がないんで」

 両親だって、私の心配なんてしやしない。私という存在は、生きている意味も価値もない。

 私はこの日、人ではなくなった。




 あっという間に終業式の日になった。

 7時前に起きた私は、放り投げたままの制服を来て、適当に髪にブラシをかけて、ダイニングテーブルに座った。

「あんた、髪ぼさぼさ」

 母はキャベツを刻む手を止めて、実に面白そうな顔で私の姿を上から下まで見回した。

「ホントに不細工よねえ、誰に似たんだか」

「あんたにでしょ」

 無感情に返してやったら、母はただでさえ大きな目をまんまるに見開いて固まった。私が言い返すとは思っていなかったらしい。

「双葉、母親になんて口を――」

「うるさいからもう行く」

 牛乳だけ飲んで鞄を手にした私の後ろから、母がしつこく喚きたてる。

「うるさいとは何よ! 最近珍しく帰りが早いから、せっかく誉めてやろうと思ってたのに!」

「いらない」

 あの日から、私は図書室通いをやめた。学校というよりも、人間というものの集まりが嫌になったのだ。だからといって家の中にも居場所はなく、私は日に日に苦しさを燻ぶらせていた。

 玄関に移動し、スニーカーを履き終わっても、母はまだ口を閉じない。

「本当にかわいくない! ああもう、本当に産むんじゃなかった! 輝人と康人だけで良かった!」

 私は母の方を振り向いて、久々に浮かんだ笑顔で言った。

「じゃあ殺して」

「はぁ? 親をからかって――」

 母が言い返すのを目の端に捕らえながら、私は玄関を出て扉を閉じた。




 まだ早いからか、教室にはまばらにしか人がいなかった。一瞬視線が向けられたが、すぐに興味なさそうに逸らされる。私は少し安堵して、だけど少しイラついた。

 あの朝からしばらくは、周囲から咎める目を向けられた。だけどその数はあっと言う間に減った。戸村君も私に話しかけなくなった。

 今の私はまるで空気だ。

 いなくてもいいなら、いない方がいい。

 それなのに、のうのうと生きている自分に腹が立つ。

 ムカムカしながら自席について、鞄の中の物を机の中に突っ込む。すると、何かがぐしゃりと音を立てた。

 ――いじめ復活かよ。

 派手に破ってやろうと取り出すと、それは赤のサインペンで殴り書きされた怪文書だった。

『姫様 放課後、俺の城に来い 白衣の騎士』

 一瞬、内容の意味が分からなかった。だけど覚えのある単語を見つけて、私は思わず頭を机の天板で強打した。

 ――大矢先生じゃん。

「……『白衣の騎士』とか自分で言うなっ!」

 一人で突っ込む私を、隣の席の男子がチラ見する。私は久々に恥ずかしさを感じ、咳ばらいをしつつ怪文書――もとい呼出し状を机の中に突っ込んだ。

 ていうか、姫様なんて言葉をなぜつけた。果たし状っぽい文章が、中途半端なラブレターになってんじゃん。そもそも私、姫じゃないし。

 ぐるぐる考えているうちに、相当時間が経っていたらしい。チャイムと同時に、林先生が教室に入って来た。

「よーし、起立」

 林先生の自分で号令をかけるスタイルに、未だに慣れない周囲がバラバラと立ち上がる。

 東先生は、あの日から学校に来なくなっていた。


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