外伝:あの日、職員室にて(大矢目線)

「とても、教育熱心なお父様なんですね」

 あの、嵐のようなクソ親父が出て行ったあと、東が放った言葉がそれだった。彼女の周囲で同意とも否定ともつかぬざわめきが起こり、しばらくして消えた。


「東先生、やべー親引いちゃいましたね」

 俺に囁きかけてきたのは、隣席の佐野先生だ。

「あんたも同類ですよ」

 木の棒で生徒を脅して指導している同僚に、俺は低い声で忠告した。

「いや、会話が成り立つだけセーフでしょ」

 笑いながら言う相手に、俺は罪の意識なしかと落胆した。


 春の終わりに、ある老齢の教師が体罰問題を起こして免職された。

 彼は、善悪で言えば善い人であった。力強い発言と堂々たるふるまいに、若い教師の幾人かは彼に憧れた。

 彼はよく言っていた。『生徒は、愛を持って𠮟れば伸びる。反抗に怯えてはいけない、叩き潰すつもりで大人の世界を分からせろ。今の世の中に足りないのは、子供に立ち向かう気概だ』

 ――その教えの後継者が、佐野であり、東である。


 とんでもない『チルドレン』を残しやがって。

 俺は心の中で毒づきながら、大急ぎで期末テストの製作に戻った。途中まで作った問題を印刷した後、ノートPCを閉ざした上に裏紙を置いてポールペンで問題を綴っていく。

「本当に、手で書くの早いですね」

「慣れてますしね」

 しばらくして、佐野がまた俺の耳に口を寄せた。

「あの子、大丈夫ですかね」

「大丈夫な訳ないでしょう」

 言葉は知らずと棘を含み、佐野は素早く身を引いた。

 俺の頭は後悔しかなかった。俺が双葉を送るべきだったのだ、絶対に。




 さっき見た物は、まるで6年前の再演だった。

 あの時は、俺が東の立ち位置だった。だけどこういう親もいるんだな、程度の感想しかなかった。

 輝人から相談を受けてもいたが、やはり俺は危機感を感じられなかった。荒んだ環境に育った俺は、痛みにとても鈍かったのだ。


 輝人が失踪したと聞いたとき、俺は全てが事実なのではと思い当たった。輝人が引き合いに出した『人間失格』の一場面を思い出し、失踪ではなく『自殺』だと確信を持った。

 俺は、自分の鈍さを心底呪った。


 6年ぶりのクソ親父は、何も変わっていなかった。

 双葉は輝人とはまるで性格が違い、自我の強いやつである。その双葉が、暴力に怯え、操られるがまま頭を下げる様子は悪夢でしかなかった。


 双葉も消えるかもしれない。――そう考えて、俺は慌てて考えを打ち消した。

 二人も消すわけにはいかないのだ。

 輝人への罪滅ぼしと言われてもいい、俺のお節介と言われてもいい。

 せめて、「父親が間違っている」と自覚させねばならない。それがすべての始まりだ。


 そういえば、母親はどうしているのだろう。

 我が子が次々に夫に追い詰められているのに、なぜ止めようとしないのか。……ふとした違和感は、自分の腕時計を見た瞬間に消え去った。提出期限まで時間がない。

 今は目の前のテスト作成に集中しよう。そして、早く双葉と話す内容を考えなくては。


 輝人のような人間を、俺はもう二度と見たくない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る