第8話 知られたくない

 5時を知らせる校内放送が、図書室のスピーカーから流れてきた。

「図書室を閉めますので、全員退室してください」

 私が大きめの声で伝えると、利用者は各々で片付けを始める。すると当番の女子が、私に向かって申し訳なさそうに手を合わせた。

「ごめん、片付け頼んでいい? 今日、塾でテスト対策クラスがあってさ。急がないと遅刻しちゃうんだよね」

「いいよ。あとは机拭いて椅子を直すだけだし。鍵は返しとくから」

「ごめん! 恩に着る!」

 彼女は慌てた様子で鞄を掴むと、そのままカウンターから飛び出して行った。塾って、テスト用の授業までしてくれるのか。いいなあ、私も受けてみたい。

 私は小さくため息をついて、まだ新しい雑巾をカウンター裏の机から手に取った。とにかく片付けを始めなくては。


「手伝うよ」

 カウンターを出ると、何故か戸村君が声をかけてきた。不審に思って顔を見たが、邪気が見当たらない。どうやら善意のようだと感じ、私は利用者が勉強していた閲覧スペースに目をやった。

「なら、椅子直して」

「分かった」

 戸村君がすぐ近くの椅子を直し出すと、なぜか河野さんもそれに倣った。早く帰れるから助かるが、他人が二人も同じ空間にいるのって、なんだか落ち着かない。

「僕、ずっと渡辺さんと話してみたかったんだ」

 戸村君から唐突に話しかけられて、私は大いに面食らった。

「やめて、気持ち、悪い」

 どもってしまう事に苛立ちながら、離れるようにして隣の長机に向かう。私はどうにも不器用だ、上手に他人をかわせない。

「だって、毎日挨拶してんのに返してくれないし」

 私は戸村君を振り返り、その顔を見つめながら首を傾げた。そんな記憶、一つもないのだが。

「毎日『さようなら』って言ってんのに、全然見向きもしないから」

「何、それ」

 私は何とも言えない、いびつな顔をしていたと思う。だってそんな物好きは、未だかつて一人もいなかった。

「だって渡辺さんって、わりと優しいじゃん。落とし物拾ってあげたりとか、片付け引き受けたりさ。だから一度話してみたら、仲良くなれるかなって」

 そういう戸村君の顔には、やはり一片の曇りもない。

「やめて、気持ち悪い」

 今度はつっかえずに声が出た。本当に気持ちが悪い、胸のあたりがざわざわする。


「戸村。お前、何探ってんの」

 少し離れたところから、河野さんの鋭い声がした。

「いや、何も探ってなんかないよ」

「信じらんないね。たとえ第二小の人間だからって、第一小の奴らに何を吹き込まれたか分かったもんじゃないんだから」

 途端に、戸村君がいぶかるように眉根を寄せる。私は慌てた。

「河野さん」

 軽く首を振ると、河野さんははっとした顔をした。

「ごめん、言い過ぎた」

 苦い顔で下を向いた河野さんに、次の机に移動しながら声をかけた。

「分かったから、早く片付けよう」

 それから河野さんは、一言も話さなかった。戸村君も黙って椅子を整えていた。図書室には、徐々に近づく遠雷だけが響いていた。


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