第7話 図書室ではお静かに

 テスト1週間前の図書室は、いつもと違って混雑していた。

 特に騒ぐ生徒はいないものの、人の気配が多いのは落ち着かない。貸出や返却の件数もいつもより多く、私はカウンターと本棚を忙しなく往復していた。


「あの、これっ」

 私がカウンターに戻ってきたのを見計らったように、勢いよく本が突き出された。椅子から見上げると、長い三つ編みが肩の下まで垂れた女子がいる。

「こちらは貸出ですか」

「そう、です」

「学年とクラスと、お名前をお伺いします」

「知ってるくせに、何で聞くのよ?」

 怒りすら滲ませる彼女に向かって、私は淡々と答えた。

「業務上の決まりです。お答え願えませんか」

 私の右隣に座るもう一人の当番女子も、左隣に陣取っている大矢先生も、彼女を視線で咎めている。彼女は、恥ずかしそうにうつむいた。

「――一年一組、河野静、です」

「ありがとうございます」

 私は、カードボックスから河野さんのカードを抜き出して、ボールペンと共にカウンターに置いた。

「こちらの個人カードに、まずは題名を記入ください」

 河野さんにカードを差し出して、記入を促す。彼女は本の表紙を見ながら、ぎこちなくペンを動かした。

「ねえ。今日、東に怒鳴られてたでしょ」

 小声で訪ねてきた彼女を、私は下から睨み上げた。

「図書室では、私語は謹んで下さい」

「だって、双葉ちゃんと話せる場所って、他にないじゃん」

 どうしてそんなに私に絡みたがるんだ、こいつは。


「ルールは守ってください」

 そうやって黙らせようとしていると、左隣の大矢先生が椅子をきしませてこちらに体を向けた。

「渡辺双葉、何を怒られたんだ」

 私は舌打ちをしたいのを我慢して、端的に答えた。

「怒られていません。向こうの勘違いです」

「でもっ、すっごい大声だったじゃん!」

 私は素早く人差し指を立てて唇に当て、河野さんを無言で咎めた。河野さんも慌てて口を押える。

「本当に何があったんだ」

 大矢先生が、やけに真剣な顔で聞いてくる。私がどう説明しようか困っていると、横から男子の声がした。

「誰かが黒板に、東先生をバカにする落書きをして。それをクラスの一人が、渡辺さんがやったって言ったんです」

 見ると、うちのクラスの学級委員長だった。いがぐり頭と言うのだろうか、丸坊主が少し伸びたような短髪で、正義感が強そうな強い目をしている。

 大矢先生は、学級委員長に尋ねた。

「渡辺双葉は、やってないんだろ」

「はい。俺も他の人も、渡辺さんがずっと本を読んでいたのは見ています」

「それなのに怒鳴りまくったって事か」


 私は首を大きく振り、全てをチャラにするように両手を広げた。

「今の話、時系列が抜けているせいで誤解が生まれています。東先生は、私がやったと思い込んでいた間は怒鳴っていたけれど、やっていなかったと分かってからは一切怒鳴っていません。だから私は被害ゼロ」

 しかし学級委員長は、納得できない顔で深く頭を傾げた。

「いや、あれは誰かが仕組んだいじめだよ、それに東先生は、いつも渡辺さんにばかり強く当たり過ぎだ」

 委員長は何をそんなに憤慨しているのか、辺りを憚らず厳しい口調で先生の非難をしている。

 私は小さく咳ばらいをした。

「あー、えーと、学級委員長、君」

「僕? 戸村」

「それ、『先生』がいる場所で言う事じゃない」

 私は、自分の左隣を顎で示した。渋い顔をした大矢先生に気づいて、学級委員長こと戸村君は、慌てて居住まいを正す。

「それから、ここは図書室です。業務に差し障りがありますので、カウンターの前に立ちはだからないで下さい」

 私の注意を受けて、戸村君は慌てて隅っこに移動し、河野さんも個人カードの記入を再開した。


 少し間を置いて、大矢先生がのっそりと席を立った。

「俺、職員室に戻るわ。鍵かけたら、報告しに来てくれ」

 まさか東先生を叱るのか。焦って振り向いた私を見て、大矢先生は優しい顔をした。

「心配すんなよ。期末テストの仕上げが残ってんだよ」

 不意打ちで、大矢先生の大きな手が私の頭に迫って来る。

 ――殴られる。

 瞬時に体を硬くした私に戸惑ったのか、大矢先生は少し動きを止めた。それからそっと、私の頭をぽん、ぽんと撫でるように触った。



 ――なんでだろう、触られた所から、発熱するように暖かい。



「じゃ、後でな」

 少しぼうっとした私を残して、大矢先生はカウンターから出て、颯爽と図書室から出ていく。手足が長いからか、仕草がやたらと絵になる。

「キザだけどカッコいいよねえ、大矢って」

 当番の女子がうっとりと言うと、河野さんも力強く頷いた。

「芸能人にいそうな顔だよねっ」

「うちのクラスでさ、『白衣の騎士』って呼んでる子いるよ」

「何それダサっ! 漫画かよー」

 再び騒がしくなったカウンター前に、私は大きく咳ばらいをした。

「騒ぐなら、二人ともっ、出て行って下さいっ」

 低く小さな声で、語感のみを激しくして忠告すると、二人はぴたっと口をつぐんだ。その様子を、戸村君は肩だけ震わせて静かに笑っていたが、ふと何かに気づいたように目を開いた。


「大矢先生って、渡辺さんの事をフルネームで呼ぶんだね」

「ああ。それね、渡辺って生徒が他にもいるからだよ」

 当番の女子が、身を乗り出して答える。私も大矢先生から、同じ内容の話を聞いている。戸村君は納得したように頷いた。

「確かに、全国で見ると渡辺って名字は多いって聞いたな」

 しかし河野さんは、考えるように天井を見上げた。

「でも、この地域には渡辺さんって双葉ちゃんち一件だけのはずだよ? なんか変じゃない?」

 私は彼らの話には加わらず、別の利用者に本の借り方を教えていた。私の名前なんてどうでもいいから、いい加減カウンターの近くで立ち話をするのを止めて欲しい。ルールと言うよりも、公共マナーとして迷惑だ。

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