第2話 孤軍

「『誰』」

 睨みつけてやると、相手は一瞬ひるんだ。


「河野、だよ。河野静。近所に住んでて、小さいころ一緒に遊んだ……忘れてないよ、ね?」

 ああ、よく知っている。

「雪合戦だっつって、石入りの泥ダンゴ投げてきたバカな」

 私が言ってやると、彼女は震えて小さくなった。

「ごめんなさい、あれは、仕方なくて……」

「まだ兄貴の首吊り死体も、車に轢かれた死体も、ふやけた水死体も見つかってねえよ」


 彼女の言い訳を遮断して、自分が受けた嫌がらせを言いあげてやる。首を紐で絞められた男の子の人形、自動車に轢かれて潰れた猫、溺れ死んだハムスター。全部私の机に入れられていたもの、入れようとされていたものだ。


「それは私やってない!」

「止めもしなかったんだから同罪だ」

 私は、クラスで飼っていたハムスターが殺されるところを目撃した。私を怖がらせるために、私に罪を擦り付けるために、水を張ったバケツに沈められているところを。悲鳴よりも大きな笑い声を立てながら、嬉々として命を奪うところを。

 ずっと耐えていた私は、その時初めて相手に突進し、拳を振るった。奴らは自分の仲間が殺したハムスターを放り出して、真っ先に逃げて行った。


 私は、ハムスターをこっそり花壇に埋葬した。それから急に大人しくなった彼女達を見て、私はやっと理解したのだ。他人なんかに耐えたら負けだと。耐えれば耐えるほど、他の何かが壊されて、誰かが傷つくかも知れないのだと。


 そのいじめグループに、目の前の彼女もいた。ハムスターを殺した中にいたかは覚えていないが。


「もう許してよ……うちら、てる兄ちゃんと、みんなで一緒に遊んだ仲じゃん。昔は仲良しだったじゃん……」

 彼女は目を潤ませ、フルートと譜面台を抱え込むように小さくなった。

 『てる兄ちゃん』とは、兄がまだ家にいた頃、小さい子が兄をそう呼んでいたらしい。だけど。

「そんな昔の話、覚えてねえよ」

 

 ――私には、お兄ちゃんの記憶がないんだよ。7年分、ぷっつりと。


 優しくて強くて頼りがいがあったというのは、母から聞いている。だけど私の記憶に残っているのは、あの厳しい横顔だけだ。

「聞きたいことは全部聞いただろ。次のボスに報告に行けよ、受けて立つから」

「ち、違う!」

「なんだよ」

 胡散臭いなと睨みつけると、彼女は怯えながら小声で言った。

「部活に、誘おうと思って……ブラスバンド部、人が足りないから……」

 私は大きなため息をつき、首を振った。

「無理だよ」

「……ごめ、私がいたら、そうだよね」

 傷ついた様子の彼女を見て、何故か私の胸が痛くなる。

「そういう意味じゃない」

 私は髪をかきむしった。

「できないんだよ。だってうちの――」

 そこまで言って、私は我に返った。ヤバイ、今何分だ!?


「なあ、もう話はないよな! じゃあ帰る!」

「え、あ」

 私は彼女を放置して、一気に階段を駆け下りた。

 自分の下駄箱の前で上履きを脱いで白のスニーカーをひったくり、代わりに上履きを乱暴に放り込んで、昇降口でスニーカーに足をねじ込んで、傘立てからボロボロのビニール傘を掴んで外に飛び出す。


 予想した通り、いやそれ以上の大雨だ。だけど、傘を差すと走れない。

「くっそ、なんであんな奴の相手したんだよ、私!」

 自分自身に怒鳴りながら、私は通学路を家へと全速力で走った。


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