第39.5話

 文化祭。とある教室。将棋体験コーナー開催中。


 教室奥に置かれた長机と二つの椅子。長机の側面には、『受付』と書かれた紙が貼られている。僕と先輩は、特に何かをすることもなく、ただ椅子に座っていた。


「いや~、盛り上がってるね~」


「盛り上がってますね。……ここ以外は」


「……後輩ちゃん、それは言っちゃいけないよ~」


「……すいません」


 閑古鳥が鳴くとはまさにこのことだろう。ここまで、将棋体験コーナーに来てくれた人は、男子生徒二人だけ。その二人は、一局だけ将棋を指し、すぐに帰ってしまった。それ以外の人は、教室の前を素通りするばかり。


 ……おかしいな。目から水が出そうな気がしてきた。


「まあ、去年もこんな感じだったしね~。なかなか将棋に興味を持ってくれる人って少ないからさ~」


 いつものようなのほほんとした声でそう口にする先輩。


 そもそも、三年生である先輩に、文化祭参加義務はない。だが、先輩は、「自分も手伝うよ~」と言って聞かなかった。その理由は、「後輩ちゃんが寂しくならないようにね~」だそうだ。


 今この状況において、僕は、先輩の大きな大きな思いやりを全身で感じていた。


「先輩、これから、先輩様って呼んでいいですか?」


「……急にどうしたの~?」


「いえ、そう呼びたくなってしまっただけです、先輩様」


「……元に戻してくれるとありがたいな~」


「……はい」


 そんな会話をしながら、椅子に座ったまま廊下の方をじっと見つめる。こちらに目を向けてくれる人は何人もいるが、教室の中に入って来てはくれない。


 その時、見覚えのある女生徒が一人、教室の前を通過した。彼女はこちらをチラリと見た後、他の人と同じようにそそくさと教室の前を過ぎ去ってしまう。


「今の、師匠ちゃんだよね~」


 先輩も、その存在に気が付いたようだ。


「そうですね。……って、あれ?」


 師匠が再び教室の前を通る。今度は、先ほどとは逆方向に。先ほど同様、こちらをチラリと見ただけで、中に入ってこようとはしない。


 数秒後、再び師匠が教室の前を通る。そのまた数秒後、同様のことが繰り返される。


「先輩、僕、目がおかしくなったかもしれません」


「奇遇だね~。私の目もおかしくなっちゃったのかな~」


 目をゴシゴシとこする僕と先輩。だが、効果はなかったようだ。再度、同様の光景が目に映る。


「そういえば、後輩ちゃんって、師匠ちゃんと文化祭見て回る約束してたんだよね~」


 先輩の言葉に、僕は、黒板上の時計を見る。時間は、10時35分。師匠は10時半から暇になると言っていた。ということは……。


「僕との約束の時間がまだだから、どうするか悩んでる……とかですか?」


「……たぶんね~。それにしても、こういう時だけは、君は鋭いね~」


「ありがとうございます」


「……別に、褒めてはないよ~」


 先輩は、「はあ」と溜息をついた。


「先輩……あの……」


「行っておいで~」


「い、いいんですか?」


「まあ、どうせやることもないしね~。早上がりってことで~」


 僕に向かって、ヒラヒラと手を振る先輩。いつの間にか、先輩の顔には、ニヤニヤが浮かんでいる。


「ありがとうございます。行ってきます」


 僕は、先輩にお辞儀をし、教室の外に向かって駆け出すのだった。

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