第9.5話

 放課後。将棋部の部室。先輩と二人で将棋中。


 テスト後の部活動。パチリ、パチリと狭い部室に響く駒音は、これまでより少しだけ大きい。


「見るからに疲れ切ってるね~」


 先輩は、いつものようなのほほんとした声でそう言った。


「ハハハ……燃え尽きました」


 本当に苦しかった。テスト中、思わずシャーペンを投げ出してしまおうかと思ったほどだ。だが、やり切った。えらいぞ、僕。


「でも、そんな状態でも将棋を指す後輩ちゃんはさすがだね~」


 疲れ切っている僕に対して、先輩に大きな変化は見られない。ただ、のほほんとした笑みを浮かべている。これが上級生の余裕というやつなのだろうか。


「将棋は別腹ですからね」


 そう、将棋は別腹なのだ。どんなに疲れ切っていても、将棋を指すことはできる。いや、むしろ、将棋を指していれば、疲れが回復すると言ってもいい。きっと、僕なら、徹夜で将棋を指すことも余裕でできるだろう。


「そっか~。後輩ちゃんは将棋好きだね~」


 そう言いながら、うんうんと頷く。軽くウェーブのかかった髪が、先輩の頷きに合わせてふわふわと揺れる。


「……じゃあさ~、後輩ちゃんは、対局でずっと負け続けていても、同じように言えるのかな~?」


 突然すごい質問が飛んできた。先輩が突拍子もない質問をすることはよくあることだが、今回の質問は、いつもとは何かが違う。少し、重い質問だ。


 盤上に戻しかけていた視線を先輩に向ける。視線の先には、笑みを浮かべる先輩。少し重い質問だと思ったのは、僕だけだったのだろうか。


「えっと……まあ、そうですね。言えると思います。だって、負けるのも、将棋では普通のことですし。それに、そこからいろんなことが学べますし……」


「……本当~? 負けるから将棋したくないって、思ったりしない~?」


「……本当ですよ。実際、僕、先輩に負け続けてますけど、そんなこと思ったことないです」


 僕は、将棋部に入部してから、先輩に一度も勝てたことはない。それでも、先輩と将棋がしたくないなんて、思ったことは一度もない。


 笑みを崩さない先輩。でも、その目はいつにもまして真剣だった。


「それなら、大丈夫かな~。ごめんね、突然変なこと聞いて~」


 そう言って、先輩は盤上に視線を落とした。駒を手に取り、ぱちりと打ち下ろす。


「……いえ」


 つられるように、僕も、盤上に視線を落とす。


 先輩が、結局、何を言いたいのかは分からなかった。だが、一つ気になったことがある。


 盤上に視線を落とす前、先輩は、さっきまでののほほんとした笑みではなく……


 優しい微笑みを浮かべていたのだ。

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