第9話

 師匠との帰り道。学校から駅までの道のり。


「そういえば、テスト勉強は捗ってる?」


 …………


 …………


「ハカドッテマスヨ」


 …………


 …………


「……捗ってないんだね」


「……はい」


 師匠から顔をそらして答える僕。


 顔をそらす前、ちらりと見えた師匠の顔には、はっきりとした呆れが浮かんでいた。


 今、僕たちの高校はテスト期間。だが、師匠の言うように、僕のテスト勉強は全く捗っていない。勉強をしようとすると、ついつい別のことが気になって、そちらに熱中してしまう。今まで何度、勉強中に将棋の本を開いてしまっただろうか。いやはや、将棋の魔力というものは恐ろしい。


「師匠の私としては、弟子の君には、ちゃんと勉強をしてほしいんだけどね」


 呆れた声で言う師匠。


 そんな師匠の言葉に、僕は、ただ黙って頷くしかなかった。


 勉強しなければ、テストの点が壊滅的なことになってしまう。それは、心配してくれる師匠に対しても申し訳ない。ああ、でも……勉強よりも、将棋したいなあ。


 足が重い。周りの景色が、いつも以上にゆっくりと流れていく。そんな僕に合わせるように、師匠もゆっくりと歩みを進める。


「……テスト終わったら、頑張ったご褒美に何かしよっか。何がいい?」


 不意に、師匠がそんなことを口にした。


「いいんですか!」


 思わず大きな声が出てしまった。師匠からそんな提案をされるなんて、思ってもみなかったからだ。


「あ、で、でも、あんまり過激なことは……」「将棋したいです!」


「……え?」


「師匠と将棋したいです!」


 きっと、今の僕は、お菓子を眼の前に出された子供のような顔をしているだろう。


「えっと……それでいいの?」


「はい!」


 師匠と将棋ができる。僕にとってこれ以上のご褒美はない。


 もともと、僕と師匠が同じ将棋教室に通っていた頃は、一週間に一度は将棋をしていた。だが、とある事情で将棋教室が無くなってからは、将棋をする機会もめっきり減ってしまった。今では、僕たちが将棋をするのは、師匠からの誘いがあった時だけになっている。師匠が将棋部に入部してくれれば、毎日のように将棋ができるのだろうが……。


「……君らしいね」


 いつものような穏やかな表情を浮かべる師匠。


「駄目でしたか?」


「いや、いいよ。じゃあ、テストが終わった週の土曜日にしようか。いつもの時間にいつもの場所で」


 いつもの時間にいつもの場所で。僕たちの合言葉。午後一時に、町のコミュニティーセンターで。


「分かりました!」


 そう返事をする僕の足取りは、先ほどよりも少しだけ軽くなっていた。

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