特別編 - 操られた勇者 - (前編)

 ご主人が魔王の運命を引き受けたあの日から、この世界には平和が訪れた。誰も犠牲にならない。誰もが自由に未来を選択出来る世界。


 その考えはご主人の世界だけではなく、他の世界にも広がっている。

 他の神々もご主人の考えに賛同し、自身が魔王となり、悪しき心を引き受け、時の力で浄化している。


 私も自らの意志でご主人の使い魔という未来を選択した。

 今私はこの上なく幸せな日々を過ごしている。そしてこの日々はこの先もずっと続いていく、そう思っていた。


 ご主人の考えに反発する者がいるなど、考えもせずに。




「勇者。自分が何者だかわかりますか」

「はい、神様。僕はあなた様の忠実なしもべです」

「そう、その通りです。あなたは今からノルンの世界に転移し、魔王ノルンを倒すのです」

「はい、神様」

「やった……やった……成功した! はははは! ノルン、あなたはもうこれでお終いです!」





 どうしてこんな事になっているのだろう。


「おい神。俺のグラスが空いてるぞ」

「失礼いたしました。今入れますね、坊っちゃま」

「坊っちゃま」

「おい、お前ら! だから坊っちゃまって呼ぶなっつっただろうが!!」


 ご主人が魔王の運命を引き受けて以来、スルトは自由の身となっていたのだが、いまだに職業は決めかねているようで、なぜか毎日のようにご主人の家に入り浸っている。


 ……こういうのをご主人のいた世界ではニートと言うらしい。


「もう魔王様ではないので、そのようにお呼びするのが適切かと」

「かと」

「名前で呼べばいいだろうが!!」

「そんな恐れ多い」

「多い」

「ああぁーーー!! もう好きにしろ!!」


 いかにも魔王という見た目のスルトが、執事達から甲斐甲斐しく「坊っちゃま」と呼ばれているのを見ると、それだけで滑稽に思えてくる。



 今日は、エーギル様とオーディン様はご自分の世界で用事が、リオンやザック達は緊急の討伐が、バルや弟子達は珍しく本業で出掛けていて不在の為、私達とスルトとその部下達だけでお昼を食べている。


 スルトが魔王だった頃は魔王城を不在にする事はなかったようだが、魔王でなくなった今、無闇矢鱈に襲われる事もないので、こうして平然と留守にしている。


 その事によって、まさか魔王城に不法侵入する者が現れるなんて、私達は考えもしなかった。




 勇者は虚な目で魔王城の地下に忍び込むと、迷わず魔剣に手をかける。魔剣は所有者を待ち侘びていたかのように、一切の拒絶を示す事なく受け入れた。

 勇者は魔剣を手に持ち、ご主人の家に続く魔法陣に飛び乗った。




 ちょうどお昼も食べ終わり、ゆったりしていた所で、突然ドアが蹴り破られた。


「なんだなんだ!?」


 突然の出来事に、気持ちよくうたた寝をしていたロキ様が驚いて飛び起きる。


「魔王はどこだ」


 玄関の扉が倒れて姿を現したのは、漆黒の厳つい剣を持った青年だった。


 ……ん? あの剣、どこかで見た事があるような。


「おい! お前が持っているそれは……魔剣じゃないか!!」


 スルトは立ち上がり、声を荒げる。


 そうだ。どこかで見たと思ったのは、魔王城の地下でだ。間違いない。あれは魔王城に置いてあった魔剣だ!



 ……ん? という事は、彼はもしや。


「僕は勇者だ! 魔王を倒しに来た!」


 勇者と名乗る青年は、魔剣を前に突き出し、大声で叫んだ。


「おい、神。どういう事だ? 勇者はもういないんじゃなかったのか?」


 スルトがご主人の方に振り返ると、ご主人は険しい表情で勇者を見つめていた。


「彼は別の世界の勇者でしょう」

「何!?」


 別の世界の勇者? どういう事だ?


 別の世界からどうやってこの世界に来たというのだ。いくら勇者とはいえ、そんな能力は持ち合わせていない筈だ。神でもない限り。


「よくわかりましたね」


 すると突然、私達の背後に長身の男が現れた。私達は瞬時に気配を察知し、その男から距離を取る。


 が、その男の顔を見て、思わず目を見開く。この方の顔には見覚えがあった。


「あなたは……ヴァーリ様!」

「いかにも。私の名はヴァーリ、別の世界の神です。私が勇者をこの世界に転移させ、ここに連れてきました」

「なぜそのような事を!」


 ご主人とは会議で何度か顔を合わせたくらいだろうが、少なくとも神だとは認識している筈だ。勿論ご主人が魔王である事も知っている。

 その魔王であるご主人が勇者と相見えたらどうなるか、神であるヴァーリ様ならよくご存知の筈だ。


 なぜ……なぜそのような事を……。



 ヴァーリ様はご主人を睨みつけ、声を張り上げる。


「あなたを殺す為ですよ!!」


 ヴァーリ様はご主人を指差すと、勇者に容赦なく殺害を命じた。


「はい、神様」


 勇者は魔剣を振りかぶり、ご主人に襲いかかる。私は咄嗟にフェンリルの姿に変え、硬く尖らせた尾でいなす。


 キンッ


「やめなさい! この方はこの世界の偉大なる神ですよ。神にやいばを向けるつもりですか!」

「そいつは魔王だ。魔王は必ず僕が倒す!」


 ダメだ。全く聞く耳を持ってくれない。


 ヴァーリ様は少し離れた場所から腕を組み、余裕の表情で見つめている。一切止めるつもりはないらしい。


 私はご主人を守るように前に立ち、勇者の剣に合わせて鋭く長い尾を振り回した。


 キンッ キンッ カキンッ カキンッ


 さすがは勇者だ。動きが早い。

 少しでも油断をしたらやられる……!



 と、思っていた矢先。



「危ないっ……!」


 足を滑らせ、少し体勢を崩した隙に、勇者の剣が私目掛けて振り下ろされた。



 しまった。間に合わない……!




 と、思われたその時。


「おいおい。何やってんだ? ちゃんとしっかり足元見ろよ」


 スルトがすんでの所で、勇者の剣を自身の剣で受け止めた。


「スルト!」

「ふんっ。この剣は、俺の部下が作った最高峰だ。魔剣とどっちが強いか、試してみるか?」


 スルトがかっこよく挑発すると、部下達は「坊っちゃま素敵です」と拍手した。


 この剣はスルトが魔王として誕生した時に、そのお祝いとして2人から贈られた物だ。先代の魔王が亡くなり、新たな魔王の魂を守るよう命じられたその時から、2人は毎日欠かさず自身の魔力をありったけ注ぎ込み、来たる勇者との戦いに備えて、この剣を作り上げた。


 魔王でなくなった事で、もはや使う機会はなくなったと思われたが、スルトはご主人の家にご飯を食べに来るだけの時でも、肌身離さず持ち歩いていた。


「イズミ、ここはグレイ達に任せて今の内に逃げるのだ。そなたがここにいたら危ない」

「ああ。ここは俺達に任せてお前は行け。魔王じゃなくても、俺は強いからな」


 ご主人は苦渋の表情を浮かべていたが、「ご主人早く!」と促すと、ようやく意を決して走り出した。


「ありがとう。2人には私の加護がある事、忘れないで」


 あぁ……それは何より心強い言葉だ。ご主人に包まれていると思ったら、私は何十倍にも何百倍にも強くなれる。

 私が絶対にご主人を守ります!


 ご主人はロキ様に導かれるまま、外へと走った。


「おい、お前の相手はこの俺だ」

「くっ、邪魔するな!!」


 勇者もご主人の後を追い、外へ向かおうとするが、スルトに阻まれ、行く事が出来ない。


「……っ」


 勇者は苛立つが、スルトは一歩も引かない。さすがは元魔王。魔王でなくなった今も、彼の強さは健在だ。むしろ魔王でない分、勇者に対する弱点もない。


 スルトは勇者の剣を全て受け止め、力で押し返す。部屋中に剣のぶつかり合う音が響き渡った。


 カンカンッ キンッ カンッ キンッ



「ふんっ、この程度か」


 スルトはそう言うと突然受け止めていた剣を弾き、勇者の腹を蹴ると、勇者は体勢を崩し、床に倒れた。その隙にスルトは勇者に向けて剣を振りかぶる。勇者は咄嗟に魔剣で身を守った。


 それを見てスルトはニヤリと笑うと、力の限り自身の剣を魔剣に叩きつけた。


 すると、魔剣は真っ二つに折れ、剣先が床に突き刺さった。


「なっ……!? 僕の魔剣が!」


 動揺する勇者にヴァーリ様は淡々と告げる。


「勇者、あなたには私の加護があります。時の力でその魔剣をすぐ修復してください」


 勇者はハッとすると、魔剣に触れ、時の力を発動した。

 すると、瞬く間に魔剣は元の姿を取り戻した。


「ちっ」


 スルトは舌打ちするが、焦る様子はない。何度でもその魔剣をへし折る準備は出来ていた。


 私も勇者の背後に回り、勇者の動きを止める。


「おい、どうした? もう終わりか?」


 スルトは余裕の表情で挑発する。


「くっ……こうなったら……!」


 前後を鉄壁で塞がれた勇者は、突如魔剣を床に突き刺し、声を上げた。


「我は魔王を倒すべく選ばれし者! 我の行手を阻む者を1人残らず焼き尽くせ!!!」


 すると、床を伝って轟々と蠢く紅い炎がスルトと私に襲いかかった。


 まずいっ!!


 一瞬の事に、逃げる間もなく、私とスルトは燃え盛る炎に呆気なく飲み込まれた。


 勇者はようやく足枷がなくなり、ご主人のいる外へと向かう。



 が、それは炎の中から伸びるスルトの手によって阻まれた。


「おいおい、こんなもんか?」

「何っ!? なぜ動ける! この魔法は強力だ。一度炎に飲まれたら、苦しくて動けない筈なのに!」

「はっ、効かないな、守護の力で守られた俺達には」

「何!?」


 そう、ご主人から加護を与えられている私達は、ご主人から神の力の使用許可をもらい、ご主人の持つ守護の力で魔法攻撃を全て無効化していたのだ。どれだけ強力な魔法であろうと、私達には通用しない。


 ……というのも、私はついさっき炎に埋もれてみて気付いたのだが。


 どうやらご主人は「使用許可出したからね!」という意味で「2人には私の加護がある」と伝えてくれていたのに、私はその意味に全く気付かず、そのままの意味で受け取ってしまっていたのだ。


 うぅ、穴があったら入りたい。どうりで熱くないなと思いました。



「これ邪魔だな」


 スルトはパチンと指を鳴らすと、炎は一瞬で消滅した。

 部下達は「坊っちゃまかっこいい!」と拍手を送る。


 ……なぜだろう。スルトはご主人の力を難なく使いこなせている気がする。



「まったく。勇者ともあろう者が苦戦するとは。仕方ありませんね」


 ヴァーリ様はそう言うと、突然その場から姿を消した。



「なっ!? 貴様いつの間に!!」


 ロキ様の驚いた声で、ヴァーリ様がご主人の元にテレポートしたのだと気付く。


「しまった!!」


 私達は勇者を置き去りにし、ご主人の元へ走る。勇者もすぐに後を追った。



「逃しませんよ」


 逃げるご主人とロキ様の前にヴァーリ様が立ちはだかる。


「ヴァーリ……!! どういうつもりだ。なぜイズミを襲う。イズミが何をしたと言うのだ」


 ロキ様はヴァーリ様に牽制するように牙を剥く。


「何をした? 全てノルンのせいではないですか。ノルンのせいで、『皆、勇者と魔王を直ちに解放し、我々が悪しき心を背負え』とチュール様は命じられた。我ら神聖なる神が魔王になれと! ありえないっ!!! 私達は誰もが崇める偉大なる神です。私は絶対に認めないっ!!」


 私達もようやくご主人の元に到着した。

 勇者もこちらまで来たのがわかると、ヴァーリ様は勇者の方を見て声を上げる。


「勇者よ、今です!!」


 すると突然勇者はその場から姿を消した。私達は勇者の気配に警戒するが、再び姿を現した時にはもうご主人の目の前だった。



「しまった! ご主人っ……!!」



 気付いた時にはもう遅かった。

 私達が動くよりも早く、勇者は魔剣をご主人の胸に突き刺した。


「……っ」


 ご主人は痛みに顔を歪ませ、勇者の腕ごと魔剣を掴み、そのまま仰向けに倒れ込んだ。

 その場はみるみる赤く染まっていった。



「ご主人……そんな……そんな……うわあああああああああ!!」



 勇者は魔剣から手を離すと、ご主人から身体を離し、その場からゆっくり起き上がった。


「はは……はははは……はははははは! やった……やったぞ……! たった今この世界の神は死んだ! 今からこの世界はノルンに変わり、この私が支配します!」


 ヴァーリ様がそう高らかに笑うと、私達は絶望に包まれた。

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