平和な世界

「ったく。人使いが荒いよな、お前」



 天界からご主人の家に戻ってきて早々スルトが言う。

 確かに「何かあればすぐ呼べ」とは言っていたが、さすがの魔王もここまで早い呼び出しは想定していなかっただろう。

 私もつい先程スルトに別れを告げたばかりだというのに、早々に呼び寄せるご主人には驚いた。



 というか、スルトに頼んでいるなら、私にも教えておいて欲しかった。危うく消滅の力を使った後だったらどうするつもりだったのか。

 と思ったが、やはりそこはご主人も抜かりない。確かに加護は与えたが、消滅の力の使用許可は使う直前に解除したらしい。



 ……ご主人は私が慌てるのをいつも楽しんでいないか?

 今回もフェンリルの姿にまでなったというのに、その後すぐスルトが現れて、この変身は全く意味をなさなかった。

 結局恥ずかしいから皆が見ていない隙にこっそりまたいつもの姿に戻りましたよ。



 すごく心配したのに……。

 ご主人があんなに震える手で触れるから、私も思わず抱きしめ………………。


 その時の事を思い出すと、自分でもわかるくらいに私の顔は見る見る赤く染まっていった。



「ごめんごめん。だってスルトにしか頼めなかったんだもん」


 ご主人は全く反省していない顔で言う。



 実際スルトのおかげで全てが上手くいった。


 天界でもチュール様の事情を知る者はいなかったので、私達の中だけで内々に処理出来た。

 チュール様は今後も引き続き最高神として、ご主人や他の神々を従えてくださるだろう。


 チュール様は次回の定例会議で、他の神々にも時の力を付与し、自分達で悪しき心を引き受け、浄化していこうと話を進めるつもりらしい。


 ご主人の望む形が他の世界にも広がっていくのだ。

 魔王も勇者もいない、それぞれが自由に未来を選択出来る世界が。



「お礼に今夜はご馳走するから」


 ご主人はそう言って、スルトを椅子に座らせた。


「えっ、でもご主人。ワインはあのバルのせいで一本もない筈じゃ……」

「何かお忘れじゃない?」


 ご主人はニヤリと笑って、アイテムボックスからNorn fountainノルンの泉を取り出した。


「あっ! それは……!」

「そういう事だから。ちゃちゃっと料理作って、今夜はパーっと飲もう! エマ、グレイ、手伝ってくれる? ロキとオーディンはテーブルの準備をお願い」

「はい!」

「もちろんよ」

「「仕方がない」」



 ご主人はさっそくキッチンに向かうと、ザック達が駆け寄って来た。


「おーい、イズミン。俺達も手伝うぜー」

「僕も夕飯の舞を踊るよー!」

「わ、私は皿洗いなら……すみませんっ!」

「イズミ、何かおじいちゃんにも出来る事はないか?」

「俺も微力ながら力を貸そう」


 皆手伝いを申し出るが、ご主人は笑顔でそれを断る。


「ありがとう。皆はスルトのおもてなしをお願い」

「いや、それが嫌だからこっちにいたいんだけど……」


 ザックは魔王城で感じた威圧感を思い出し、身震いする。

 ザックは調子良く「あっ、俺ちょっと用事思い出したわぁ〜」と言って逃げようとするも、呆気なくリオンに連行され、スルトの前に座らされた。

 スルトは腕を組み、じっと無言でザックを見る。


「ちょ、まだ俺が挑発した事怒ってんのかよ。わ、悪かったって謝ったじゃんか」

「謝ってはいなかったと思うが」

「うん、謝ってはなかったねー」

「ザックさんが謝る筈な……すみませんっ」

「言っておくが、孫娘はやらんからな」

「ちょっ! 皆裏切んなよ! 一緒に魔王城行っただけで同罪だろ! てか、じいさん1人マイペースかよ!」


 ザックは冷や汗をかきながら必死に弁解する。


「さっきから何をごちゃごちゃ言っている」

「いや、お前……スルトが俺の事睨むからだろ」

「睨んだつもりはない。元々こういう顔だ」

「それならそうと早く言えよ! なんだよ、怒ってなかったのかよ」

「怒ってないとは言ってないがな」


 スルトは不敵に口角を上げると、ザックの額からはたらりと汗が滴り落ちた。



「いいなぁ、なんか楽しそう」

「ご主人にはあれが楽しそうに見えるんですね……」

「確かにあの方がザックが大人しくていいわね」

「なぁ余はもう疲れた。座って待ってていいか?」

「いい訳ないでしょう!」


 まったく。ロキ様は相変わらずすぐサボろうとする。見てみろ。オーディン様なんて、もはや感情を無にして日々のルーティンのように淡々とこなしている。


 とは言うが、実際手際のいいご主人とエマが一緒に作れば、手伝いなど殆ど必要ない。手持ち無沙汰になった私もオーディン様達の手伝いに回ると、夕飯の支度はあっという間に整った。


 どうやら今夜はご褒美級のご馳走らしい。テーブルに、プリップリに揚げ焼きされた鶏が丸々10羽のっている。そしてこの赤みがかったスープはロブスターのビスクか。砂肝のアヒージョとコンビーフのポテトサラダは私も大好きな逸品だ。お、あそこには程良く火が通ったシャトーブリアンまである。

 ご主人は満面の笑みでそれぞれのグラスにNorn fountainノルンの泉を注いでいった。



「お、美味そうな匂いだな!」

「すみません、お邪魔します……」


 すると、バルと弟子達も匂いに釣られてやってきた。


 あいつはさっきまでうちの工場にあるワインを飲み干して起きれなくなっていたかの男ではなかったか。

 ……まったく。ご飯のタイミングで起きてくるとは。本当に鼻がきく男だ。



「よかった、揃ったわね。じゃあ皆席に着いて」


 皆ご馳走を前に颯爽と席に着く。こういう時の彼らは本当に早い。


 ご主人はなんとも嬉しそうな笑みを浮かべ、そんな彼らを1人1人見つめた。


 お調子者のザック、世話好きのエマ、いつも笑顔のカイン、何でも謝るセレナ、頼もしいリオン、大好きなおじいちゃん、キザなオーディン、サボり魔のロキ、俺様なスルト、ちゃっかり者のバルさん、そのバルさんに忠実な弟子の皆。



 そして、いつも私の事をただひたすらに想い、どれだけ私が好き勝手やっても変わらず尽くしてくれる、素直で可愛い私のグレイ。


 皆が無事で本当によかった。これからもずっと私の傍にいてね。絶対に守るから。



 ふふ。グレイにはダメ押しで加護も与えたし、今更私の傍を離れたいなんて思っても、もう絶対に逃げられないけどね?



「え? ご主人、今なんて?」


 ふとご主人の声が聞こえた気がしたが、「ふふ、なーいしょ」といつものように誤魔化された。



 ご主人はグラスを持ち、乾杯の音頭をとる。


「今日もお疲れ様でした! いただきます!」

「「「いただきます!!」」」


 皆あっという間に乾杯の分を飲み干し、自らの手で空になったグラスにブランデーをダボダボ注いでいく。


「おーい、イズミー。このボトルもう空になりそうだぞー」

「はーい、今出しますねー」




 あぁ……今夜も長くなりそうだ。

 私は明日の事を考え、頭を抱えた。




 だが、きっとこれが平和というのだろう。



 ご主人の作るご飯が美味しい。



 ご主人の作るお酒と一緒に食べるともっと美味しい。



 仲間と一緒に食べるともっと美味しい。



 平和とはそんな単純な事なのかもしれない。



 だが、ここまでの道のりはそう簡単ではなかった。



 平和とは望みさえすれば、手に入るものではない。



 平和を望んでいても、真逆の方に向かう事もある。



 偉大な力さえあれば、それが手に入る訳でもない。



 偉大な力も使い方次第だ。



 きっと私がその力を手にしても、活かせなかっただろう。



 だが、この世界にはご主人がいる。



 神であり、魔王となったご主人がいる。



 そして、この世界にはもうその魔王を倒す勇者はいない。



 もうこの世界には必要ない。



 ご主人が魔王になったからには、この世界はきっとこの先も平和だ。



 私はこれからもご主人の傍で、この穏やかな日々を守っていく。



 ご主人の作る美味しいご飯とお酒をいただきながら。




- end -

(※本編はこれで終了ですが、この後特別編を投稿します)

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