特別編 - 操られた勇者 - (後編)

「どういう事ですか?」


 勇者はそっと顔を上げ、ヴァーリ様に問いかける。


「勇者よ、ご苦労様でした。あなたにも褒美を差し上げますからね」


 ヴァーリ様が勇者の肩に手を置き、労いの言葉をかける。

 勇者はその手を振り払い、声を荒げた。


「どういう事かと聞いているんです!!!」



 ヴァーリ様は勇者の様子に驚き、思わずポツリと呟く。


「どういう事だ? まだ洗脳が解けるまでには時間がある筈……」

「洗脳……? まさか僕を洗脳していたんですか!!」


 ヴァーリ様は「しまった」という顔をした。



 あぁ、そうか。ご主人は最後の力を振り絞り、時の力で勇者の洗脳を解いたのだ。


 ご主人は本当に……どこまでもお人好しな方だ。



 ヴァーリ様はばつが悪くなると、開き直って堂々と答えた。


「あなたが悪いんですよ。勇者とは、魔王を倒すべく選ばれし者。潔く魔王を倒してくれていれば良かったものを。私の申し出を断るから」

「僕は魔王の運命を引き受けたノルン様を尊敬していました! 確かに僕は勇者です。世界を滅ぼそうとする魔王を許す事は出来ません。でも魔王の事情も聞かず、咎める事しか出来なかった僕とは違って、ノルン様はこの世界に住む全ての者の幸せを考える方でした。そんな方を……僕は……僕は…………」


 勇者は無意識とはいえ、己の犯した罪を自覚し、泣き崩れた。




 無理もない。私も今人目を憚らず泣き叫びたい気分だ。


 私はもっとご主人との日々を楽しむ予定だった。ご主人の作る美味しいご飯を食べて、ご主人の作る美味しいお酒を飲んで、ご主人と一緒に笑い合って……そんな穏やかな日々がこの先もずっと当たり前のように続くのだと思っていた。


 こんな事になるのなら、ご主人が魔王になると言ったあの時、力尽くで止めればよかった。魔王になった後からだって、何度でも説得すればよかった。

 そうすれば、こんな事にはならなかったかもしれないのに。


 本当はまだ信じられない。ご主人が今からでも「なんちゃって。実は生きてました」なんて起き上がってくれるのではないかとつい期待してしまう。



 わかっている。魔剣で刺された魔王が生きている筈がない。歴代の魔王は皆そうして生き絶えてきた。魔剣とは、魔王を倒す為だけに作られた、対魔王に特化した剣なのだから。


 それなのに……そんな事ある筈がないのに……どうして私はこんなにも期待をしてしまうのだ……。


 どうか嘘であって欲しいと…………。








「グレイが期待しているなら、そうしようか?」

「へっ?」


 突然ご主人はそう言って、魔剣が刺されたままの身体でムクリと起き上がった。


「なんちゃって。実は生きてました」

「え? …………ええええええええええ!?」


 ご主人が生き返ったのを見て、私は驚いて腰を抜かす。

 勇者も驚いて目玉が落ちるのではないかという程、目を見開いている。


「どどどどういう事ですか!? その血は? 魔剣は?」


 まだ魔剣を刺したままのご主人が笑いながら言う。


「あはは、この血のりすごくない? 本物みたいよね!」

「へ? 血のり?」

「そうそう、これの出すタイミングが難しくって。間違えて刺される前に血が出たら、さすがにおかしいでしょ? ははは」


 どうやらご主人は刺された瞬間、瞬時にアイテムボックスから血のりを出して撒き散らしたらしい。


 いや、むしろ刺されているのだから、自然と血は出る訳だし、血のりを使う必要はないのでは?


 そうだ! ご主人は胸を刺されているではないか!!

 魔王として魔剣で刺されただけでも致命傷なのに、人間としても心臓を突かれているのだ。平気な筈がない。


「あ、ここが最大の種明かし」


 ご主人はそう言って魔剣を掴もうとするが、魔剣はバチバチと電磁波を放ち、ご主人の手を弾き返した。


「あ、そうだった。私これ触れないんだった。勇者くん、ちょっとこれ抜いてくれない?」

「えっ」


 勇者は動揺し、辺りを見回すが、ここに勇者はそう、君しかいない。


「大丈夫だから。私これ触れないの。お願い」


 勇者は再度憧れの神からお願いされ、恐る恐る魔剣に手をかけた。

 ご主人から「痛いの嫌だから、思い切り引き抜いてね」と無茶な注文をされると、勇者の手は小刻みに震えた。


 勇者はどうにか覚悟を決めると、目を瞑り、思い切り魔剣を引き抜いた。


 グンッ


「うっ」

「す、すみませんっ!!!」


 勇者は土下座し、ひたすら頭を下に擦り付ける。





「勇者くん、いつまでその体勢でいるの?」


 ご主人に促され、恐る恐る顔を上げると、自分の手に握られた魔剣を見て、今度はあわあわと腰を抜かした。



 なぜなら、その魔剣はつかつばだけで、刀身とうしんが全くなかったからだ。


「ええええええ!!! 僕、持ち手だけ抜いちゃったの!?」


 勇者の驚く声に、ご主人は笑い転げる。


「あはははは。違う違う。そんな訳ないでしょ。よく見て。ほら、私の身体何ともないでしょう?」


 ご主人は勇者にもわかるように、時の力で血のりの染みを消した。

 勇者は恐る恐るご主人の胸元を見るが、確かにそれらしい傷はどこにも見当たらない。


「ノルン……まさか……」


 ヴァーリ様もようやくこの状況に気付いた。


「そう。私は刺される直前、消滅の力で魔剣の刀身だけを消したんです」



 なるほど。そう言う事か!

 消滅の力はそのものに直接触れなくとも、望むものだけを消し去る事が出来る。目に見えるものであれば、どんなものであろうと自由自在だ。



 …………ん? それなら魔剣ごと消せばよかったのでは?


 ご主人はペロリと舌を出す。


 やっぱり確信犯か! よくよく見ると、ご主人の胸元には服のデザインに紛れて、テープで磁石が貼ってある。こんなにも用意周到に材料を調達していたのか……!


 いつも思うが、ご主人は神の力の使い方を間違えていないか?




 ご主人は一変真面目な顔に戻すと、ヴァーリ様に向けて諭すように言った。


「あなたが私のやり方を気に食わないのはわかります。でもそれならチュール様に話して、自分の世界だけは自分の考えるやり方で進めればよかった。勇者をこんな形で巻き込む必要はなかった筈です」

「他の神々が賛同しているのに、自分だけ反対する事など出来ますか!」

「だから私を抹殺し、強引に自分の意見を押し通そうとしたと? それこそ許される事じゃないでしょう。そんな事をしたって、意味がない。確かにこれは元々私が言い出した事だけど、今は他の神々自身が納得して進めている事です。私がいなくなった所で何も変わりません」


 ご主人は前に言っていた。


「私はいつも自分の意見が"正しい"とは思っていないし、他にもっと良いと思うものがあれば遠慮なく採用する。でもその意見を受け入れた時点で、それはもう『誰かの意見』ではなく、『自分の意見』になる事を忘れてはいけない」と。


「あなたがしっかりと考えて決めた事なら、他の誰がどうしようと関係ない筈です。むしろ世界を守る立場の神ならば、自分の本当に信じる道を選択しなければいけなかった」


 ご主人は自分の決断次第で起こり得る影響を常に考えていた。自分がどう判断したら事はどう動き、どう影響を及ぼすのか。


 それが「責任を持つ」という事だと。


 数千年、数万年と生きてきた神ですらその覚悟をなかなか持てずにいるのに、前世を含めてもまだ数十年しか生きていないご主人がその覚悟を持つのは、並大抵の事ではなかっただろう。


「私は自分の考えを他の神々に押し付けるつもりはありません。私のやり方を取り入れるも取り入れないも自由です。むしろあなたが反対意見を持っているのなら、私はその考えを詳しく知りたい。そしたらもっと良い方法が浮かぶかもしれないでしょう?」


 ヴァーリ様はご主人の器の大きさを知り、自身の浅はかな行動を恥じた。


 ヴァーリ様も元は心根の優しい方なのだ。昔ロキ様に仕えていた頃、無茶な命令ばかりされて不貞腐れていた私を幾度となく励ましてくださったのは、誰でもないヴァーリ様だ。


 ただ、今まで何千年、何万年と見過ごしてきた"罪"をあっさりと解決してのけたご主人という存在を、なかなか受け入れる事が出来なかったのだろう。

 ご主人を受け入れれば、己の罪を嫌でも自覚させられる。ご主人を強引に悪者にする事で、過去を咎める自分を抑えていたのだろう。



 ヴァーリ様はご主人の目を真っ直ぐに見ると、静かに頭を下げた。


「申し訳ありませんでした」

「それは私ではなく、勇者くんに言ってください」


 ご主人に促され、ヴァーリ様は勇者の方を向き、深々と頭を下げた。


「私の事を軽蔑しているでしょう。あなたが望むなら、このままこの世界で暮らして構いません」


 ヴァーリ様は今回の事を心底反省していた。勇者を騙し、本人の意に反して1番嫌がる事をしたのだから。

 もはや勇者に見限られるのは覚悟していた。



 ところが、勇者の返答はヴァーリ様にとって予想外のものだった。


「いつ僕がこの世界で暮らしたいって言いました?」

「……え? だってあなたはノルンを尊敬しているのでしょう?」

「ノルン様の事は尊敬していますよ。でもそれとこれとは話が別です。僕にも自分が生まれ育った世界に愛着がある。ノルン様を尊敬しているからこそ、僕は自分達の世界で、ノルン様が羨む程の素晴らしい世界を作りたいと思うんです」


 勇者は急に大人びた表情で、この先の未来を見据えていた。


「あなたならきっと良い世界を築いていけると思います」

「ちょっと、何他人事のように言ってるんですか。あなたも一緒に作るんですよ!」

「え? でも私は……」

「逃げないでください! 1度の失敗が何ですか! 僕なんて神様を刺したんですよ! 未遂ですけど。あなたのした事が許されないのなら、僕だって許されない。あなたが犯した罪は、ちゃんと責任持って償ってください。あなたのするべき償い、それは試行錯誤しながら平和な世界を作る事です。僕達と一緒に」

「勇者……」

「ホルズです。いい加減名前覚えてください」

「すみません、ホルズ……」


 ヴァーリ様の頬を伝う涙は、夕日に染まり、どこまでも美しく輝いていた。






 ヴァーリ様と勇者ホルズは私達に笑顔で別れを告げると、元の世界に戻って行った。


「ヴァーリ様、大丈夫でしょうか」

「ふふ、大丈夫よ。頼もしい勇者が一緒だから。間違った道に進みそうになったら、また叱ってくれるでしょう」

「そうですね」


 ヴァーリ様は"ご主人"ではない。ヴァーリ様はヴァーリ様なりの世界を、ホルズ達と共に築いていけばいい。


 彼らが作る世界は、どんな世界になるのだろう。私もいつかその世界を見てみたいものだ。



 そう感慨深げに思っていると、スルトが何やらこちらを見てニヤニヤ笑っている。

 

「神獣。浸ってるとこ悪いが、さっきの『ご主人……うわあああああ!!!』って、あれはなんだ?」

「なっ!? それはもう忘れてくださいっ! し、仕方ないじゃないですかっ! もうダメかと思って今にも狂いそうだったんですよっ! むしろご主人が目の前で刺されたっていうのに、スルトもロキ様も冷静過ぎませんか?」

「まぁ俺の位置からは、魔剣が背中を貫通してないのが見えてたからな」

「えっ」

「余もイズミが生きているのはわかっていた。使い魔は主人から魔力を吸収する分、主人の身体の変化には敏感だからな」

「えっえっ」

「むしろ使い魔のくせに気付かないとは。グレイは鈍いな」



 …………全く気付かなかった。


 私、鈍感なのだろうか……。

 なんで……私の方が先に使い魔になったのに……。



 ご主人は落ち込む私を見てクスクス笑う。


 むぅ……元はと言えば、ご主人が黙ってこんな事するからではないか。

 思念を飛ばせるのに教えてくれないし、何ならわざわざ小細工までして私を欺こうとして。

 私がどれだけ心配したと思って……。



 私がぷくっと頬を膨らませて剥れると、ご主人はそっと耳元で囁いた。


「許して、グレイ。あなたにだけ特別なご褒美をあげるから」




 …………しょうがないですね。

 私は膨れた頬を元に戻し、ご主人に笑顔を向ける。



 何? 単純だって? 何とでも言ってくれ。私はこれで幸せなのだ。




 その日の晩にはリオンやザック達、エーギル様にオーディン様、バルや弟子達も皆帰ってきて、夕飯時は今日あった出来事の話題で持ちきりになった。



 ええ、ええ。それはもうまた私がいい笑い者になりましたよ。


 でももうそんな事で不機嫌になんかなりません。



 だって私のテーブルにだけ、フルーツがたっぷり入った特別なワインがあるから。



 ええ、ええ。単純ですとも。



 いいのだ、それで。



 美味しいお酒とご主人は、いつだって世界を救うのだから。





- end -

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