神の秘密
「イズミ、奴が動き出したぞ」
ロキ様の言葉を受けて、ご主人は顔を引き締める。
「ありがとう。じゃあ行きましょう」
「ご主人? あの、行くってどちらに」
ご主人はリオンに近づき耳元で何やら話をすると、リオンは静かに頷いた。
ご主人はこちらに振り返り、改めて言う。
「グレイ、ロキ。じゃあ行くわよ。天界へ」
ご主人は私達を連れ、天界の会議室までテレポートした。暫く会議の予定はないので、当然会議室は薄暗い。
「あのご主人? 今日は会議の予定などなかった筈ですが」
「ええ。だから今から臨時の会議でも開こうかと思って。メンバーはそうね。グレイとロキと……チュール様、あなたと」
ご主人がそう言うと、暗闇の中からチュール様がゆっくりと姿を現した。
私は急いで魔法で明かりをつける。
「チュール様……! 失礼いたしました。いらっしゃったとは知らず。あの、ここで一体何を?」
「あ、ああ。我は次の会議の準備をしに来たのだ」
「それなら私も手伝います!」
「い、いや、いい。もう終わるところだから気にしないでくれ」
「チュール様、次の定例会議はまだ先ですよ。それとも、じきに臨時の会議が開かれるとわかっているのでしょうか」
「……っ。わ、我は何でも早めにやっておきたい質でね。これは次の定例会議の為の準備だ」
なんだか2人の様子がおかしい。
チュール様は珍しく慌てているし、ご主人もチュール様をわざと煽るように言っている。
「そんな誤魔化さなくて大丈夫ですよ。チュール様をここへ呼んだのは私です」
ご主人は手紙を手に持ち、ヒラヒラと揺らした。
「……っ!」
「ご主人、いつの間にそんな手紙を。というか、チュール様に差出人の名前も書かずに送ったんですか」
「ええ。『私はあなたの秘密を知っている。バラされたくなかったら、会議室に来い』と」
「それ脅迫文じゃないですか!? ロキ様に唆されたのでしょうが、チュール様にその悪戯はダメですよっ!」
「悪戯じゃないけど」
「へ?」
ご主人は真っ直ぐにチュール様を見る。
「チュール様。もう1人で抱えるのはやめましょう。私は全て知っています」
チュール様は複雑な表情を浮かべると、唇を噛み締め、顔を背けた。
「ご主人、どういう事ですか? チュール様が何を抱えているというのですか?」
すると、突然チュール様は激しく咳き込み、胸を押さえた。
「チュール様っ! 大丈夫ですか!!」
私が駆け寄ろうとすると、チュール様は「来るな!!」と大声を上げた。私は思わず怯んで足を止める。
「ゲホッゴホッゲホッ!! はぁ……はぁ…………はぁ……」
チュール様はなんとか咳を鎮めると、姿勢を正し、こちらを向いた。
「ノルン、お前は賢い。全て知っているのなら、お前にもどうにも出来ない事はわかるだろう。お前は我に危害を加える事は出来ない。我はお前の加護者だからね」
「ええ。あなたが目の前で世界を滅ぼそうとしても、私はそれを止める事は出来ません」
「ご主人、なぜそんな例えをするんです? どうしたらチュール様が世界を滅ぼそうとするなんて事になるんですか。例えにしたって、その発言は不敬ですよ。ちゃんとわかるように説明してください」
ご主人はチュール様を横目でチラリと見ると、一呼吸して言う。
「チュール様の中には、魔王の魂が宿っている。チュール様は今その魂をなんとか制御しているけど、もう限界でしょう。じきにチュール様の身体はその魂に乗っ取られ、自我を失う」
「チュール様の身体に魔魂って……どういう事ですか? どうしてそんな事に? 魔王とはさっき話をつけたじゃないですか」
「スルトではなく、もっとずっと前の魔王よ。チュール様は昔魔魂を自分の身体に取り込んだ事があるのよ」
「ご自分で魔魂を!? どういう事ですか? なぜそんな事を!」
すると、ロキ様が突然話に割って入る。
「イズミ以外にも、魔王の運命を変えようとした馬鹿がいたって事だ」
「馬鹿……確かにその通りだな」チュール様は自らを嘲笑うと、ぽつりぽつりと話し始めた。
「人間の悪しき心を吸収する魔王という存在を生み出したのは我だ。魔王がまだ存在していなかった頃、人間同士の争いが絶えなかった。どうにかこの争いを止められぬものかと思案し、我は世界の人類全てに加護を与える事にしたのだ。皆に加護を与えれば我の望まぬ事は出来ぬゆえ、争いはなくなると思ったのだ。実際争いはなくなった。だが、事はそう簡単ではなかった。悪しき心は人間の中に自然と湧き上がるもの。そこに我は強引に蓋をしたのだ。皆どうする事も出来ず、自身の中に溜まり続ける悪しき心に精神を壊した。我の浅はかな考えのせいで、その者達の命を奪ってしまったのだ。だから我は致し方なく、悪しき心を引き受ける魔王という新たな存在を作り出したのだ」
チュール様は見ていられない程に悲痛な表情を浮かべた。
「魔王が誕生してからは名実共に平和が訪れた。他の神々も皆この方法に賛同してくれた。だが、日を追う毎に考えてしまうのだ。本当にこれでよかったのかと。確かに我らが過ごす場では、悪しき心がなくなり、平和で豊かな世界だ。だが魔王の過ごす場ではどうだ。常に悲しみに濡れている。これでは悪しき心をただ別の場所に移しただけに過ぎぬ」
「それでチュール様は、魔王も救いたいと思われたのですね」
「上手くはいかなかったがな」
チュール様は悲しげに笑う。
私はそんなチュール様を見ていられなくなり、思わずご主人に縋るように言った。
「ご主人! どうにか出来ないのですか?」
「グレイ、無茶な事を言ってやるな。ノルンにも無理なのだ。ノルンや他の神々には全て我の加護を与えてある。我の望まぬ事は出来ぬ。この身が乗っ取られる事は我が望む事ではないが、と同時にこの魂を消滅させる事もまた我の望む事ではないのだ。それに、もはやその時はとうに過ぎた。なんとか我の力で制御してきたが、すでにこの魔魂は自我を持ち始めている。我の加護により、我の中の魔王が望まぬ事もまたノルンには出来ないのだ」
「で、では! ご主人もチュール様に加護を与えれば良いのではないですか? そうしたらチュール様はご主人の望まない事は出来ない筈です!」
「それは無理だ」チュール様は続ける。
「お前達は知らないようだが、加護は相互に行う事が出来ないのだ。確かに神であれば、相手が望まずとも加護を与える事が出来る。だが、自分に加護を与えた加護者には、加護を与える事は出来ない。必ず加護には上下関係が発生する。加護を与えた側と与えられた側だ。テイムとてそうであろう。その関係は覆らないのだ。世界を管理する神々には、我の加護を与えてある。故に、我に加護を与える事は誰1人出来ないのだ」
「な、ならば! ご主人がその魔魂にだけ加護を与えれば良いのでは!」
チュール様は俯き、首を振る。
「お前の言っている事はわかる。それが出来るのであれば、我もそうしている。だが、まだこの世に生まれ落ちていない魂に、加護を与える事は出来ぬのだ」
そんな……。
ではどうしたらいいというのだ……。
何か……何かいい方法はないのか……。
「そうだ! ご主人がチュール様に定期的に時の力を使って、悪しき心をリセットすればよろしいのでは! ご主人もその方法で悪しき心を管理するんですよね!」
チュール様は私を見つめ、悲しそうに笑った。
「……そう出来たらよかった。魂ではなく、悪しき心自体を引き受けたノルンと我とでは違う。我がこの身に宿しているのは、魂、命なのだ。目覚めぬよう調節する事は出来るが、完全に消滅させる事は出来ぬ。時の力は我にもある。今までもその方法でなんとか抑えてきたのだ。だが、もはやそれも限界に来ている。魔王の力は強大なのだ。長年時の力を使ううち、これにも順応してきてしまった。もうじき我の身体を乗っ取り、生まれながらに神の力を持った魔王が誕生する。そうなればもはや誰も手がつけられん。我はただそれを先延ばしにする事しか出来なかった。もっと早くノルンの方法に気付いていればよかったのだがな」
私はなんと浅はかだったのだろう。
チュール様は何千年、何万年と悩み、考え続けてきたのだ。私が今思い付くような事など、チュール様はとっくに考えている。それでも叶わないと思い、こうして1人苦しんでいたのだ。
「ぐっ……ゲホッゴホッ……がはっ……た、頼む……もう少し……持ち堪えて……くれ……」
チュール様が再び苦しみ出す。
「チュール様……!」
私は咄嗟に駆け寄ろうとするが、ご主人がそれを手で制した。
「ゲホッゴホッ……ノルン……お前に……頼み……が……」
「頼みとは、グレイに私の加護を与え、消滅の力の使用許可を出し、グレイの手で身体に宿す魔王の魂ごとチュール様の命を消滅させろという事ですか?」
「なっ!?」
「はっ……やはり……お前は……我が……見込んだ通り…………。我の……この最後の……頼み……聞き入れて……くれるか……」
「そんな……! 私は嫌です! 私にはそんな事出来ません!」
「グレイ……お前にしか……頼めないのだ……。お前……には……我の加護は……ない……。お前……ならば…………お前……しか……我を……消滅させられ……ゲホッゴホッゲホッ」
「チュール様……!!」
チュール様はふらつく身体を起こし、声を荒げる。
「早くしろ!! ゲホッゲホッ……もう……限界なのだ……」
なんて……なんて残酷な結末なのだ……。
チュール様は、ただ平和で幸せに満ち溢れた世界を作りたいと願っただけなのに…………。
誰も犠牲にしない、誰もが幸せな世界……それを願っていたチュール様がなぜ犠牲にならなければいけないのか。
「グレイに加護を与えます」
「ご主人……!!」
私は縋るようにご主人を見るが、ご主人は何も言わず、ただ悲しそうに笑った。
そうだ……ご主人だって苦しいに決まっているではないか。
ご主人は魔王を殺さず、共存する道を選んだ。チュール様の気持ちを誰よりも理解しているのはご主人だ。そのご主人が覚悟を決めたのだ。私が怖気付いてどうする。
「わかりました」
「あり……がとう……」
チュール様は心底安堵した表情を浮かべた。
ご主人は私を見つめ、そっと頬を撫でる。
…………手が震えている。
私は思わずご主人の身体を引き寄せ、力強く抱きしめた。
(この罪、共に背負っていきましょう)
私はそっと心で伝えると、ご主人は静かに頷いた。
ご主人は身体を離すと、潤んだ瞳で私を捕らえ、額に震える唇を寄せた。
「我が名はノルン。汝グレイに我の加護を与える」
私の身体は穏やかで温かな光に包まれた。
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