魔王の運命

「嫁になる気はないけど、魔王にはなろうかな」



 ご主人の突拍子もない言葉に、魔王も唖然とする。


「は? それはどういう意味だ」

「私達の悪しき心とやらは、今まであなたが肩代わりしてくれてたのよね。それはあなたの定められた運命として、あなたが生まれる前から勝手に決められていた」

「そうだ。それがどうした。もうその怒りはさっきぶちまけた。今更どうこうするつもりはない。そもそも今の俺にはどうもしようがないしな」


 魔王はご主人の加護がある限り、何も悪さは出来ない。納得しきっている訳ではないが、仕方のない事だと捉える他ないのだろう。


「でもそれっておかしいわ。悪しき心を背負う魔王にも、その魔王を倒す使命を課せられた勇者にも、私達が当たり前に持っている自由がないじゃない」

「はっ。そんな事言うのはお前くらいだ。運命ってのはそういうもんなんだよ。誰かが可笑しいと言ったところで変わるもんでもない。誰かがこの役目を担わなきゃいけないんだよ。それが俺だったってだけだ。だが、まぁお前にそんな風に思ってもらえただけで、救われたような気がするよ」

「それならよかった。あなたは本当に寛大な心を持っているのね。でも私は、それじゃ納得がいかない」

「イズミ?」


 ご主人は突然魔王に向けて魔法を放った。


「なっ!? 貴様、何をするっ!?」


 無警戒の魔王は避ける事も出来ず、ご主人の魔法を真正面から受け止めた。

 皆動揺してその場で何も出来ずにただ呆然と立ち尽くす。

 そうこうしている内にじきに魔法の光は収まった。


 魔王をまじまじと見るが、特に何も変化は見られない。

 だが、ご主人だけは満足げな笑みを浮かべている。どうやら魔法は成功したようだ。



「スルト、あなたはもう魔王じゃないわ」

「どういう事だ?」


 ご主人は魔王にステータスを見るよう促した。



--------------------


名前:スルト

職業:未定

HP:38590/38590 MP:56884/56884

特殊スキル:復讐の力Lv10

加護:ノルンの加護


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「!?」

「職業……未定!?」

「魔王じゃない!!」

「ご主人、これはどういう事ですか!?」


 ご主人は混乱する私達にもわかるように、ゆっくりと説明してくれた。


「私は今、運命の力で魔王の運命を書き換えたの。前にロキが『運命を書き換えれば、自分が最高神にだってなれる』って言うのを聞いてピンときて。それなら私がスルトに代わって魔王になる事も出来るのかなって」

「…………ん? ちょっと待ってください。今『魔王になる』って言いました?」

「ええ、言ったわ」

「ご主人!! なんて事を!!」

「いいいイズミ、魔王とはどういう事だ!」

「皆慌てすぎよ」


 そりゃ慌てるだろう。神であるご主人が、神とは対局の魔王になったと言うのだから。

 魔王スルトも自身のステータスを見てまだ動揺を隠しきれない。

 それはそうだ。何千年、何万年と当たり前のように続き、どうやっても変わる事がないと思われていたものが、今まさに変わったのだから。


「私、誰かが嫌な役目を引き受ける事で成り立つ幸せって嫌なの。私達が今こうして平和なのは、今まで歴代の魔王が魔王という役目を引き受けてくれて、勇者がその悪しき心の化身である魔王を倒してくれていたからでしょう? でも魔王も勇者も、こんな使命さえなければ、もっと違った人生があった筈。もっと彼らが自由に生きる道があった筈よ」

「だからといって、ご主人がそれを引き受ける事ないじゃないですか! それなら私がその役目を担います!」

「だからそれが嫌なの。グレイが引き受けても同じ事でしょ」


 そんなの……ご主人だって同じではないか……。


 神々はこの世界の未来の事は考えていても、それが何かの犠牲の上で成り立っている事を知りながら、ずっとそれに目を瞑ってきた。

 ご主人は初めてそれに目を向け、変えようとしたのだ。


 当たり前の事だ、今までもずっとそうやってきたと言われればそれまでだ。だが、ご主人はそれを良しとしなかった。それならば自らがその犠牲になろうと。


 あぁ……これぞ真の神だ。私がずっとお仕えしたいと思っていた神そのものだ。


 代われるものなら、私が代わりたい。でもご主人はそれを良しとしない。ならば、私はご主人の使い魔として、どこまでもご主人と共にいる。


 たとえご主人が他の者から忌み嫌われ、命を狙われる存在だとしても。


「私は大丈夫よ。時の力があるから、悪しき心が溜まってきたら、元の何もない状態にリセットするだけだし」

「へ?」


 ご主人はあっけらかんと言う。


「そういう意味でも、私が魔王になるのがちょうどいいの。時の力でいつでもリセット出来るなら、勇者も必要ないしね」

「ちょ、ちょうどいい……」


 開いた口が塞がらない……。

 というか、さっきの私のあの決意は何だったのか。そんなの全く必要なかったではないか。

 恥ずかしくて何処かの物陰に隠れてしまいたくなる。この閑散とした魔王城にそんな隠れる場所などどこにもないのだが。


 ……魔王さん、もう少し大きめの家具とか置いた方がいいと思いますよ。



「ほ、本当に……本当に俺は自由に生きていいのか……」


 スルトはまだ信じられないのか、身体を震わせながら、何度もステータスを確認する。


「ええ。あなたはもう魔王ではないもの。何になりたいかは、自分で決めればいいわ。"勇者"もこの世界にはもういない。彼もケルパ村で新しい人生を歩み始めているわ」


 「そうか……」スルトは目を瞑り、少し息を落ち着けると、元の威厳のある顔に戻り、両脇に控える魔族達に告げた。


「俺はもう魔王ではない。お前達も自由に生きろ」

「私達はあなた様と共に」

「共に」


 執事は右手を胸元に置くと、穏やかに微笑み、お辞儀した。メイドは表情を変えず、それに倣う。


「俺はもう魔王じゃないんだぞ」

「はい、承知しております。これは先代である魔王様のめいです。魔王様は死ぬ間際、私達に"我が子"を託され、『この魂が滅びるまで傍で仕えよ』と仰せになりました。ですからあなた様が魔王であろうとなかろうと、私達はその命が尽きるまで、傍でお守りいたします」

「いたします」

「…………はっ、好きにしろ」


 スルトは吐き捨てるようにそう言うが、おそらく照れ隠しだろう。

 誰の事も信用出来ず、孤独だと感じていたスルトにとって、たとえそれが彼らの敬愛する先代からのめいゆえだとしても、魔王でなくなった自分の傍にいる道を選んでくれた事に心から安堵していた。「魔王でない自分」にもその価値があるのだと。


「しかし、いざ自由だと言われると、それはそれで何をしたらいいかわからないものだな」

「ゆっくり考えればいいじゃない。時間も選択肢もたっぷりあるのだから」

「そうだな」


 初めて自分の為に生きる未来に目を向けたスルトは、希望に満ちた輝かしい目をしていた。




「あ、スルト。あの魔法陣ここにも作れない?」

「あ? ああ。地下までは随分と距離があったな。待ってろ、今やってやる」


 スルトは器用に長い指先で床に魔法陣を描いた。


「ありがとう。あ、私達が帰った後もこの魔法陣は消さないでね」

「なぜだ?」

「これがあれば私の家にいつでも遊びに来れるでしょう?」

「遊びに? おい、俺は一度この世界を滅ぼそうとしたんだぞ」

「でも滅ぼさずに済んだし。今は友達でしょう?」

「友……達……」


 ではないと思うが……。


「はははははは! お前本当に面白いな。俺を友達だと? 益々気に入った。お前はいつか必ず俺の嫁にする」

「お断りします」

「はは、揺るがないな。まぁいい。何か困った事があればすぐに俺を呼べ。お前には借りがある。一生かけても返しきれない大きな借りがな」

「ありがとう。遠慮なくそうさせてもらうわ」


 ご主人とスルトは互いを見て、結婚とは違う生涯の約束を交わした。



「じゃ、今日のワインの販売もある事だし、うちに帰ろっか」

「ご主人、こんな日でもワインを売りに行くんですね……」

「ええ、そうよ。待っている人達がいるんだもの」


 そうだ。私達には待っていてくれる人達がいる。早くバル達に無事を伝えに行こう。今もきっと心配で気が気じゃない筈だ。

 私達はスルト達に手を振ると、魔法陣に飛び乗り家に戻った。


「ただいま帰りましたよ、皆さーー……ん?」


 私は、戻ってきて最初に目に飛び込んできたものに目を疑う。


 間違いない。

 あの地べたで口を開けて寝そべっているあいつは、私がよく知るあの男だ。


 私の眉間がヒクヒク動き出す。それを見て弟子達が慌てて土下座する。


「すみません!! 僕達も止めたんですけど、どうせこの世界が滅びるなら、最期にワインを飲めるだけ飲んでおきたいと……」



 で、あの通りベロベロに酔っ払いましたと。


 …………こいつ。

 もう滅びる事前提で考えていたな。


 やっぱりバルはバルだった。もうこの男に何かを期待するのはやめよう。




「なんだ、無事に帰ってきたか」


 さらに、後ろから聞き慣れた声がする。

 間違いない。この濁声はあのお方のものだ。


「ロキ、ただいま」

「おかえり」

「ちょっと! 『おかえり』じゃないですよ! 肝心な時にいなくなって! こっちは大変だったんですから!」


 ロキ様は魔王が攻めてくるとわかると、この世界や主人を放って天界に逃亡した。これは神の使い魔としてあるまじき行為だ。


「知っている。全て天界で見ていたからな」

「高みの見物って訳ですか」

「ああ。イズミに頼まれたからな」

「だからって使い魔としてそれはどうなん…………え?」


 ロキ様にまだまだ溜まりに溜まった文句をぶつけてやろうと思っていたが、予期せぬ答えが返ってきて、思わず拍子抜けする。


「どういう事ですか?」

「余は天界で、ある男の監視を頼まれていたのだ」

「監視? ある男って誰です?」


 ロキ様は私の質問には答えず、ご主人に向けて険しい表情で報告する。



「イズミ、奴が動き出したぞ」

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