乙女の事情

 初めてマリアに会った日。

 マリアはまだ6歳の少女だった。父の側近である宰相の娘として初めて家に来た時には、まだ父の背中に隠れているような子だった。


 私が「はじめまして。私の名はヨハネス。よろしくね」と手を差し出すと、マリアは少し躊躇しながら、そっと手を差し出した。

 なんて可愛いのだろう。私は実の妹が出来たように嬉しかった。


 マリアが10歳の誕生日を迎えた日。

 この国では10歳で社交界デビューをする事になっている。マリアのそんな記念すべき年に、私は100本の赤いバラの花束を贈った。


「マリア、誕生日おめでとう」

「わぁ、ありがとうございます。ヨハネス様」

「ヨハネス様だなんて他人行儀な。公的な場ではないのだから、前みたいにヨハネス兄様と呼んでくれ」


 そう言うと、マリアは少し顔を赤らめ、小さな声で訴えかけた。


「……もうお兄様だなんて呼びたくないです」

「え?」

「私はヨハネス様の事、初めて会った時からお兄様だなんて思った事は一度もありません。私はずっとヨハネス様の事を1人の男性としてお慕いしております」

「マリア……すまない。君の気持ちには応えられない。マリアにはもっと相応しい人がいるよ」

「いいえ、私にはヨハネス様しか見えません。今はまだ私の事を妹にしか見れなくても、いつか必ずあなたを振り向かせてみせます」

「そうか。じゃあ5年後その気持ちが変わらなかったら、私と結婚しようか」


 そして5年後、変わらず私を愛してくれたマリアと添い遂げたのだ…………はぁ。


「……ネス。ヨハネス! 自分の置かれている状況がわかっていますか! あなたのその愛するマリアが命を落としそうになっているんですよ! 思い出に浸ってないで、ちゃんとその手がかりを見逃さないように目を見開いて見ていてください」

「はい、すみません」


 ご主人に叱責され、国王は我に返り、猛省する。しゅんと項垂れた様子は、まさに子犬のようだ。


「では続きいきますね」



 国王の頭の中にまたその時の光景が浮かんだ。


「ヨハネス様。私の心は変わりません。このバラの花に誓って。5年後、私が15の誕生日を迎えた日、私は赤いバラの花束を持ってあなたに会いに行きます。その時はどうか私をあなたの花嫁にしてください」


 5年後、マリアは見違える程美しくなって私の前に現れた。赤いバラの花束を持って。


 私は彼女の前に跪き、プロポーズした。


「私と結婚してください」

「はい」


 マリアは私に美しい涙を見せながらそう答えてくれた。



 結婚式当日、マリアはどこか落ち着かない様子だった。


「マリア、どうしたんだい?」

「まだ信じられなくて……あなたと結婚出来るなんて夢みたいで」

「夢じゃないよ、君はもう私の花嫁だ」

「でも……ヨハネス様はモテるから……心配です」

「私が他の人に目移りするんじゃないかって? 私の花嫁は心配性だなぁ。じゃあ、私の気持ちが変わらないという証明をしよう。毎年必ずこの日に君に赤いバラの花束を贈るよ。君を変わらず愛しているという証だ」

「はい」


 マリアと婚姻したあの日、私達はそう誓いを交わした。




「あああああああああああ!!!」


 ザック達は突然奇声を発する国王に驚き、腰を浮かす。


「おいっ!! 急に声上げたらびっくりすんだろ!!」

「す、すまない……」


 国王はこの世の終わりかという程、真っ青な顔をしている。


「あ……いや、別にその、そこまで謝る程の事じゃないんだけど……」


 国王の青ざめた様子を見て、ザックも言い過ぎてしまったと焦り、慌てて国王を宥める。


「いや、思い出したのだ……私は……とんでもない事を……」

「とんでもない事?」

「マリアに……マリアに……バラの花束を贈ってない!!!」

「はぁ?」


 ザックは「何言ってんだ、こいつ」という顔で国王を見る。


 ザックはわかっていない。これがどれほど一大事なのかを。女心とは、複雑で難解なのだ。

 自分は相手との思い出を覚えていなくとも、自分が覚えている思い出を相手が覚えていないと臍を曲げるし、何より贈り物を忘れるなど言語道断! 一生口を聞いてもらえない事態にまで発展する事もある!


 …………らしい。この前、夜な夜なバルからそんな話を聞かされた。バルの事だ。どうやらうっかり何かしでかしてしまったようだが、朝まで延々と聞きたくもない話を聞かされる私にとって苦痛以外の何物でもなかった。

 だから私はそういう意味で嫌と言うほど女心がわかるのだ。


「ノルン様……ど、どうしたら……」

「後は自分でなんとかするって言ったでしょう?」

「でも……約束の日はもうとうに過ぎてしまって……取り返しが……」

「そうやってすぐ人に頼る。確かに私の力で過去に戻る事は出来るけど、今のあなたにそれは必要ないでしょう? ヘル様の言葉を覚えてますか? ヘル様は『己の犯した罪を思い出し、心の底から懺悔しろ』と言ったんです。なら、過去に戻ってやり直すのではなく、の誠意を見せてください」


 それでも国王が「誠意……誠意って……」とご主人に涙目で訴えるので、ご主人は「もうしょうがないなぁ。最後にもう1つだけヒントをあげます」と言い、何やら国王の耳元でコソコソ話し始めた。


 国王は「なるほど! ありがとうございます!」と言うと、勢いよく立ち上がった。


「まずは街中のバラをかき集める!!」


 そう言うや否や、国王は馬に飛び乗り走り出した。外で見張っていた側近達もその様子を見て慌てて馬に飛び乗り、国王を追った。


 国王は自ら花屋を虱潰しに探し、赤いバラをありったけかき集め、自身のアイテムボックスに詰め込んでいった。


 この街の赤いバラを全て買い占めると、国王は急ぎ王城へと戻った。


 国王は息を切らしながら、迷わず王妃の部屋へ来ると、使用人達に退席を申しつけた。


 国王は王妃と2人きりになると、「マリア……愛している……」とただひたすらに愛を伝えたという。


 それから1時間程経った頃だろうか。ようやく国王が部屋から出ると、「すぐに召喚の儀の支度を!」と近くの者に命じた。


「只今より、ヘル様召喚の儀を執り行う!」



 ふと心配になって私達もこっそり見に来ると、ちょうどヘル様を召喚する所だった。

 私達は邪魔にならないよう、柱の影からそっと見守る。


「我はヨハネス・ネオロア。この国を治めし者。死と隠蔽の神ヘル様。どうか我にそのお姿をお示しください!」


 召喚の魔法陣は藤色に光り輝くと、ヘル様が姿を現した。


「ヘル様、この度はこのような場にお越しいただきありがとうございます。ささやかではございますが、どうぞお納めください」


 国王はそう言うと、アイテムボックスから箱を取り出し、ヘル様に向けて頭上高く差し出した。


 ヘル様は戸惑いながら受け取ると、皆が頭を下げたままこちらを見ていないのをいい事に、そっと蓋を開けて中身を確認する。


 ヘル様の目が見開く。


 少しして我に返ると、ヘル様は咳払いをして蓋を閉じた。


「よっヨハネス……お、お前わわかったのか? 己の犯した、つ、罪がっ」

「はい。私は償いきれない大きな罪を犯しました。謝って済む事ではないとわかっております。私は愚かだったのです。ですが……ですが、どうか私にもう一度妻を愛する機会をお与えいただけないでしょうか」


 国王は涙ながらに訴えた。


「そ、そこまで言うなら、しっ仕方がないっ。マリアをめっ目覚めさせてやる。け、けどっ、それでマリアが、お、お前を許すかどうかはっ、知らないからなっ。…………ふぅ。我は死と隠蔽の神ヘル。我の権限により、マリア・ネオロアを目覚めさせたまえ! …………ではな」


 ヘル様はまた神らしくない捨て台詞を吐くと、呪文を唱え、去っていった。



 一体何がしたかったんだ……。


(ヘル様は、自称恋する乙女として王妃の想いに共感して、力を貸したいと思ったんですって)


 あぁ……やっぱり女心は複雑で難解だ。




 ヘル様の魔法により、王妃は再び目を覚ました。

 誰もいない自室で目を開けた王妃は、目に入った光景に驚き、感激の涙を流した。


 そこには、部屋一面に真っ赤なバラの花が敷き詰められていたのだ。

 その後少しして国王が部屋にたどり着くと、想いが伝わり、王妃と無事仲直り出来たようだ。


「よかったですね、なんとかなって」

「そうね」


 私達は窓の外からそっと仲直りした様子を見届けると、テレポートで家に帰った。



「ところで、ご主人あの時なんてアドバイスしたんですか?」


 ご主人は涙目で訴える国王に同情し、「もう1つだけ」と言って何かを伝えていた。


「もしかして……あのバラの花を敷き詰めるってアイデア、ご主人の考えじゃないですよね?」

「まさか。そこまで私に考えさせちゃダメでしょ。あれはヨハネスが自分で考えたものよ。あの人そういうのはすぐ思い付くのよね。その割にすごく抜けてるけど」

「おっしゃる通りで。では何と言ったんですか?」

「あーあれはね。『女は甘い物とブランド物に弱いから、手土産は抜かりなく』って言ったの。マリアを取り戻すには、ヘル様を説得しないといけないでしょう? 結局大事なのは気持ちだけど、その気持ちが伝わりやすくなるアイテムも、交渉事には重要なのよ。ヨハネスもそれを聞いて色々閃いたみたいで、随分と入手困難なお菓子をヘル様に献上したみたいね」


 そう淡々と話すご主人に、私はつくづく女性とは恐ろしいものだと身に染みて感じた。

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