神化

 獣神族じゅうじんぞくは、神に仕えるべくしてこの世に生を受ける。尊敬する素晴らしい神に仕える事、それを何よりの喜びとする。私もかつてはその日を夢見ていた。

 


 私は生まれた時から他の者に比べ、能力がずば抜けて高かった。魔法は教わらずとも使えたし、威力は生まれたばかりの神をも超える程だった。これだけの力があれば、どの神に仕えるかは選び放題だ、そう思っていた。


 だが、優れていたのは最初だけで、どれだけ努力を重ねてもそれ以上伸びる事はなく、そうこうしている内に周りからは追い抜かされ、私は呆気なく地に落ちた。


 プライドはもうズタズタにへし折れていたが、生きていく為にはどこかの神に取り入る他なかった。


 そして、神様の中で唯一誰からも志願のなかったロキ様に仕える事を決意したのだ。


 それでも、ロキ様の使い魔としてそれなりに上手くやってきたつもりだ。

 ロキ様は遊んでばかりで全く仕事をしないばかりか、何か面白そうな事があるとすぐに手を出し、やるだけやって満足するとあっさりそれを手放す。私は日々その後始末に追われた。「私はこんな事をする為に生まれてきたのか?」そう自問した事もあったが、使い魔とはそんなものだし、卒なくこなしてこそ真の使い魔というものだ、そう自分に言い聞かせた。


 ロキ様から感謝の言葉など貰った事はないが、仕事とは出来て当たり前、当たり前にした事に感謝などない。当然だと思った。


 私も私で、ロキ様の事は嫌いではないが、神として敬ってはいない。


 だからこれでいいのだ。


 私はこの生活にもそれなりに満足していた。

 今後も変わる事はない、そう思っていた。



 ご主人に出会うまでは。



 ご主人は何も考えていないような顔をして、全て綿密に計画し、必ずそれをやり遂げる。

 上手くいかなかったからといって、失敗を誰かのせいにしたり、中途半端な状態で誰かに押し付けたりはしない。上手くいかなかった事などなかったけれど。


 誰かの力を借りる時も、いつもそこには理由があった。誰でもいい訳ではない。

 なのだ。誰でもない、とされているのだ、そう思えた。


 私も少しはご主人の力になれただろうか。

 今、あの時感じられなかった達成感でいっぱいだった。



「グレイ、今後もイズミを傍で支えてやってくれ」

「はっ!」


 私は力強くそう答えた。

 ご主人も私の肩に手を置き、頷いた。


「さて、問題はこの世界の神だ。もはやこの2人には任せられん」


 エーギル様は一呼吸置くと、ご主人を見つめ、はっきりとした声で言う。


「イズミ、この世界の神になってくれないか?」


 その言葉に、皆まさかと驚きを隠せない。それはそうだ。人間が神になるなど、前代未聞だ。


 人間とは欲深く思慮の浅い生き物だ。もし彼らに神の地位など与えれば、初めて知る超越した感覚に酔いしれ、世界は我が物だと錯覚する。絶対にあってはならない事だ。天界ではそう考えられていた。


 だが、人間だから欲深いというのは、それこそ浅はかな考えだったのかもしれない。神であるロキ様やオーディン様こそ、己の欲望の為だけに世界を我が物のように扱ってしまったのだから。


「イズミ、今天界では神が不足している。ロキ1人欠けただけでも痛手だったが、オーディンもとなると、もはや世界を管理しきれん。他の神々もイズミが神になる事には、皆賛成してくれている。イズミ、この世界の神になってくれないか?」

「そんな急に言われても。神って何したらいいのかわからないし」


 エーギル様は「なんだ、そんな事か」とご主人を安心させるような笑みを浮かべると、ゆっくりと話し始めた。


「神とはこの世界の人々に崇められていさえすればいい。世界は信仰心によって成り立っている。信仰心は魔力となって日々世界樹に蓄積され、それによって調和が保たれている。神はその世界樹の番人とでも思ってもらえればいい。勿論神への信仰心が薄ければ、世界樹は枯れ、この世界は滅びてしまうが」

「そんな大事な事を私なんかに任せていいの?」

「大丈夫。イズミがこの世界をより良くしようと試みれば、信仰心は自ずと付いてくる。それに、万が一世界樹の魔力が枯渇しても、他の世界から人間の魂を呼び寄せれば、それだけで世界樹に栄養が行き渡る。転移者や転生者はこの世界に来るにあたって、直接神に会うから神の存在は当然信じているし、さらに過大なスキルを付与すれば、その恩義から自ずと神を信仰する。これはあくまで応急処置だが、実はこれを続けるのが1番手っ取り早い。事実、ロキやオーディンは信仰心が少なすぎるゆえに、この手段を幾度となく使ってきた。イズミに対して使ったように。まぁ転生者はイズミが初めてだけどね」


 世界樹の栄養が足りていない場合は、その非常事態にすぐ対応出来るよう、それぞれの神様に転移者リストというものが渡されている。そのリスト外から選んでも構わないが、そのリストに書かれている人間は、性格的に一定の条件をクリアしている者である為、そこから選ぶのが望ましい。


 要は神様から有能なスキルを沢山もらっても感謝しないような人間は、転移させても意味がないので、与えられたものに感謝の出来る最低限の人格を持った者が選出されているという訳だ。


 ロキ様は転移者リストにあった人間から選べばいいものを、それもやり過ぎて飽きてしまったらしく、自ら選び、ご主人を転生させた。通常は人間の持つべきスキルを相手が喜ぶまで渡す事にしているが、それにも飽きてしまったらしく、気まぐれで自らの神の力を貸したという訳だ。普通はそんなに飽きる程使わないのだが。


 そしてロキ様の誤算は、リスト外から選出した事でご主人に関する情報が一切なかった事と、人間を侮っていたが為に事前に調べようとしなかった事だ。


 まぁそのおかげで私は今こうして楽しく暮らせているのだが。



「この世界をより良くする……」


 ご主人が呟くように反芻すると、エーギル様が安心させるように穏やかな低い声で続けた。


「何、難しく考える事はない。今やっている事を続けていれば良い。イズミは自らビンテージワインを作り、瞬く間に街の人々に普及させた。イズミが神になると知れば、それだけで多くの人々が信仰するだろう」

「今の生活を続けていいの?」

「ああ。世界樹に魔力が枯渇しないようにしていれば、あとは何をしていても構わない。天界で暮らしたいなら私の隣に部屋を用意するし、下界で今の生活を続けるならそれでもいい。もっと気楽に考えてくれればいいんだ」

「そうだぞ、気楽に考えればいいのだ!」

「あなたは気楽に考え過ぎです」


 むぅと膨れっ面のロキ様だが、ご主人が神になる事を反対するかと思ったが、意外にもそれには納得しているらしい。自分が神に戻る事を諦めてはいないだろうが、それとは別にご主人の事は認めているのだろう。ああ見えて意外と情の深い人だ。


 ちなみに、神が下界で暮らす事はご主人だけに認められた権利ではない。ロキ様やオーディン様も含め、他の神達も同様に「世界樹の魔力を保つ事」以外は自由で、一度も天界から降りない者もいれば、ずっと下界で紛れて暮らす者もいる。


 ロキ様の場合は「いつでも簡単に神に会えると思ってもらっては困る。たまにしか姿を見せないからこそ、有り難みが増すというものだ」と言って、ほとんど下界には降りなかった。

 本当はただ下界に行くのが面倒だっただけだと思うが。生粋の方向音痴だし。


「神の位が与えられれば、それなりの力も与えられる。それに何かあればいつでも私や他の神に相談してくれていい。だから安心して受け入れてほしい」


 ご主人は暫く悩んでいたが、エーギル様をチラリと見ると、先程から変わらずご主人に向けて穏やかな笑みを浮かべていた。その顔を見て、迷いが消えたのだろう。ご主人ははっきりとした声で答えた。


「わかった。私、神になる」

「ありがとう、イズミ。チュール様からイズミ宛に新しいスキルも預かっているんだ。イズミには必要ないかもしれないが、付与しておいたから必要な時に使ってね」

「ありがとう」

「それから、私に会いたくなったら今度は天界においで。イズミならいつでも歓迎するよ。じゃあ、またね。あ、これは持って帰るから安心してね」

「えっ……ちょ、まっ……」


 エーギル様はぐいっと強引にオーディン様の首根っこを掴むと、一緒に天界へと戻っていった。


「行っちゃった」

「行っちゃいましたね」

 


 大丈夫、この世界の事は任せて。


 ご主人の晴れやかな表情はそう語っているように見えた。

 私達はエーギル様とオーディン様の姿が見えなくなるまで見送った。




 ……そして、なんだか視線を感じる。


「あ、あの…………ご主人、そんなに見られると恥ずかしいのですが」

「だって私フェンリル見るの初めてなんだもん。すごーい。本物! 触ってもいい? おぉ、ふさふさ!」

「もう触ってるじゃないですか。というか、ご主人こそ神様になられたのですから、あなたの方がもっとすごいんですよ」


 神であったロキ様に仕えていた時には"ただの使い魔"でしかなく、人間であるご主人に仕えてから"神獣"になるとは。なんとも皮肉な話だ。そして結果ご主人は神となり、今は言葉通り"神獣"となった。


 フェンリルは、その名に相応しい者にしかなる事は出来ないとされる、天界に住まう私達でも幻の、憧れの存在だ。先代が命を落としてから暫く存在していなかったと聞く。その偉大な名を私が賜る日が来るなんて……。



 私が神獣になった余韻に浸っていると、ロキ様がそれに水を差した。



「イズミ、そなたさっき――の力を使っただろう」

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